大夕張駅

大夕張駅ホームと改札口跡 思い出の街角

大夕張駅ホームと改札口跡

   旧ホーム跡の方に入ってみた。  それまで毎年のように何度か訪れていたが、さすがに他人の家の裏庭に勝手に入るような気持ちがして、入ったことはなく、できなかった。(実際、診療所の施設の一つとして使用されていた)    この時、そうさせたのは、失われるものへと哀惜の情だったのだろう。    長大な石…
グラウンドから駅舎と夕張岳 1997 思い出の街角

グラウンドから駅舎と夕張岳 1997

 鹿島小学校グラウンドからは、大夕張駅のホームと、停車中の石炭列車がよく見えた。    前回、『大夕張駅 大夕張に残った建物 1997』の写真にある駅舎から改札を抜けてホームがあったところ。  完全に建物の『裏』として使われている様子。      廃線から20数年、ホーム跡は縁石に名残をとどめ、この…
大夕張駅を通過する下り列車 昭和45年 思い出の街角

大夕張駅を通過する下り列車 昭和45年

 1997年から始めた『ふるさと大夕張』に、長谷川潤一さんが提供してくれた初期の頃から掲載していた写真の内の一つ。    だから覚えているという人も多いでしょう。     以下の文章も1998年当時のコメントに多少手をいれながら、再度掲載します。    『ふるさと大夕張』を作成していた頃も、なつかし…
大夕張駅 1997 大夕張に残った建物 思い出の街角

大夕張駅 1997 大夕張に残った建物

 旧三菱大夕張鉄道の大夕張駅の駅舎。  1997年当時は、この建物の南側に鹿島生活館(地域のコミュニティセンター的な建物だろう)と、大夕張診療所が一つの建物に入り、駅舎の建物自体は、大夕張調剤薬局として使われていた。  写真では切れてしまっているが、右側の入り口に看板がかかっていたような記憶がある。…
大夕張駅冬 1996  思い出の街角

大夕張駅冬 1996 

平成8年(1996年)12月10日の大夕張駅。 母、祖父母が千年町に住んでいたという投稿名「まゆゆ」さんが投稿された写真から。 冬の旧大夕張駅駅舎。     まゆゆさんの投稿は、次のページのコメント欄から。 https://ooyubari.com/2020/01/30/s433titosemati…
住宅地其の一(夕張岳山麓ノ見晴シ) 絵葉書

住宅地其の一(夕張岳山麓ノ見晴シ)

戦前に数多く発行された絵葉書の一枚。 昭和5年頃。草創期の大夕張。 中心に大夕張駅(昭和4年に北部駅から大夕張駅に改称)と周辺の住宅地の写真。 駅にはホームの様子もわかる。   栄町には鉱員用の炭砿住宅が建並ぶが、手前の富士見町のあたりは下草が生い茂り未だ荒れ地である。    手前右手写っていないが…
昭和32年 大夕張駅 見送り風景 思い出の街角

昭和32年 大夕張駅 見送り風景

昭和32年。  4月も中旬の頃だったという。まだ肌寒い日が多く、服装にも冬の名残りが感じられる。 この中に鹿島小学校から富野小に転勤になる祖父もいるが、大夕張の外にでる交通機関は鉄道しかなかった時代、転出する人が多かったことだろう。 大夕張駅ホームの駅名標付近に集まるあふれるばかりの見送りの人々。 …
大夕張駅を出発するNo.6 運んだ、石炭を人を

大夕張駅を出発するNo.6

白煙を上げて大夕張駅を出発するNo.6。 撮影した『海も好き』さんの記憶では、鹿島小学校下の踏切付近から撮影したのではないかという。 右に見えているのは、消防署の建物の裏になり、もう少し手前に火の見櫓が続く。 『No.6』が吐き出す煙とともに、大夕張駅前の背の高いポプラの木が風にそよぐ。 白黒写真に…
大夕張駅前 歩道橋より 思い出の街角

大夕張駅前 歩道橋より

大夕張に設置された唯一の『歩道橋』から大夕張駅前、栄町商店街方面を見たところ。昭和45年頃。 左手前には消防署・警察署,右手に拓銀、夕張信用金庫。 その奥に郵便局などの金融機関が集まる街の中心部。 保養所前にある夕鉄バス『大夕張駅』のバス停にバスが停車中。 昭和45年頃 歩道橋より駅前…
昭和32年 大夕張駅 見送りの風景3 思い出の街角

昭和32年 大夕張駅 見送りの風景3

昭和32年4月 大夕張駅 見送りの風景3 祖父長谷川安造が昭和13年春以来19年間勤めた鹿島小学校を転勤になり、大夕張に別れを告げた。 大夕張駅ホームでの見送りの様子。   白黒写真に着色した画像 大夕張駅 【泊川俊徳】 (2007/03/28(Wed) 11:13)  子供の頃、大夕張駅は随分大き…
閉山直後の大夕張駅 思い出の街角

閉山直後の大夕張駅

昭和48年閉山直後に撮影された大夕張駅。 鹿島小学校側から大夕張駅ホームと改札口。 白黒写真は、鹿島小学校の郷土室に保管されていたものだったが、痛みがひどい。 修正して着色した。   白黒写真に着色した画像 鹿島小学校グラウンド側から撮影した大夕張駅 なお、同じ頃、カラー写真でとられた同じ構図の大夕…
大夕張駅構内 思い出の街角

大夕張駅構内

昭和48年の大夕張駅構内。 左に駅舎、続いて鹿島通運。 右に倉庫・精米所が見える。   向かって左の側線が、フレンド裏の石炭置き場に伸びていた。 踏切のそばにあった富士見町詰所のあたりから、作業の様子をよく眺めていたなあ・・・。 白黒写真に着色した画像   ブログ『煙の記憶』より 下は、大夕張鉄道の…
大夕張駅 思い出の街角

大夕張駅

 昭和40年頃。大夕張駅 駅舎。  特に、昭和30年代、昭和37年に南部間との道路が開通するまでは、大夕張を出るには鉄道しかなかったころ、生活の中心には、この駅があった。  学生服姿の中高校生が、日差しの中に佇んでいる。  警察署の影が大夕張駅の庭に伸びる。  道路沿いには、水道栓がある。が、ここで…
大夕張駅の見送り 思い出の街角

大夕張駅の見送り

昭和39年頃 炭砿合理化で炭砿を去る人たちを見送る人々。   言葉にならない心の声が聞こえる。 「新しい土地でも、頑張れ」、「元気で暮らせ」、「いつかきっと、また会おう」・・・・   先頭で被っていた帽子を振る男性の表情が、別れのすべてを物語っている。 白黒写真に着色した画像   職場の同僚、ご近所…