宝町

宝町 標語塔と住宅 思い出の街角

宝町 標語塔と住宅

1990年代、夏。 すでに炭鉱はなく、立ち退き間近な平成の頃。   宝町から岳富町へ続く緩やかな坂道の入り口ともいえるこの場所。   昭和43年の住宅地図や航空写真によれば、ここは宝町一丁目。炭鉱住宅が6棟建っていた。     かつて、ここの狭い空き地で三角ベースの野球を毎日のようにやっていた子ども…
雪原の標語塔 訪問記

雪原の標語塔

2002年の冬、宝町。 深い雪に埋れる1月の大夕張。   この時、白い雪を被ったダム工事のための土砂の山が町のあちらこちらにできていた。   その中に、大夕張に残されていた生活の証の一つである標語塔が青い空を背景に屹然と立っていた。     左が岳富町、右に行くと千年町。 道路の岳富町側にやや下った…
宝町のクリスマス 楽しかった日々

宝町のクリスマス

昭和25年(1950年)12月25日。   宝町でクリスマスの日に子どもたちが集まった会が開かれた。 集まった子どもたちは宝町に住んでいた子どもたち。   場所はおそらく宝町の集会所だっただろう。 この日は子どもたちを集めて、今でいう『クリスマス会』のようなものが行なわれたのだろう。   敷かれたゴ…
宝沢 晩秋 2001 写真

宝沢 晩秋 2001

そのむかし、宝沢は沢を埋め立て暗渠となり、その上に緑町と千年町を結ぶ道路を通した。 昭和7年の秋から翌昭和8年の1月にかけてのことだった。      戦後、そこにできた商店街と、新しく与えられた岳富という町のなまえ。    すでに町はなく、舗装された道路だけが宝沢の窪地に緩やかな弧を描き残っていた。…
夕張市立図書館鹿島分館 思い出の街角

夕張市立図書館鹿島分館

 宝町にあった鹿島図書館。  写真の右下には、当時通勤や仕事で使われていた二輪のオートバイが停まっている。    この建物は、昭和35年に新築以降の建物で、自分が利用したのもこの建物。    本通りから宝町の図書館に向かって入って行くと住宅と図書館の間は、かつての住宅の跡地なのか、写真のように空き地…
宝沢 冬 2002 訪問記

宝沢 冬 2002

宝町の広場、集会所のあったあたりから、岳富町(宝沢)を間に緑町。 町はもうない。   標語塔に「人の子もわが子もみんな社会の子」という標語が読める。 それぞれの時代に掲げられたいくつもの言葉が、赤茶色に錆びた標語塔に重なり合って浮かび上がっていた。 唯一読み取ることのできたこの言葉が、地域に向けて発…
マラソン大会(宝町) 学び舎の思い出

マラソン大会(宝町)

 昭和45年(1970年)鹿島中学校マラソン大会。  中学校の卒業アルバムから新たにスキャンし直して、画像を修正しながら着色してみた。以前よりはかなり見やすくなったのではないかと思う。  本通りから宝町に入っていく道だったが、色をつけながら思い出していたのだが、確か、左手前の宝町浴場と向こうの宝町生…
宝町浴場・詰所・集会所 思い出の街角

宝町浴場・詰所・集会所

 千年町方向から岳富町への緩やかな右勾配の坂の手前に、宝町浴場。  浴場・宝町詰所・宝町集会所の順に三つの建物があった。  掲示板の隣に詰所、影になっていてよく見えないが、集会所だろう。  集会所のやや後方、宝町の1丁目、標語塔が建っているそのあたりに住宅が6棟あった。  夕方、中学校から帰宅途中の…
昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami 思い出の記

昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami

白黒写真に着色した画像   宝町3丁目の炭砿住宅。妻と姉。  向かって左で犬を抱いているのが妻で、赤ん坊を抱っこしているのが、妻の姉、そして近所のおじさんです。  妻は、北菱閉山で大夕張に来て、大夕張閉山で登川にいきました。昭和47年(1972年)ぐらいに大夕張に来て、75年には登川に行っています。…
1938年(昭和13年) 昭和

1938年(昭和13年)

2月 中央斜坑掘削開始。10月20日,大夕張鉄道が,専用鉄道から地方鉄道への改組が認可。通洞の駅名を大夕張炭山と改称。 31日,清水沢出張所を新清水沢と改称。11月 15日,大夕張発電所設置(旧鹿島沢・旧大夕張の2発電所は廃止)。   宝町ができる。   【夕張市人口 57306 : 大夕張地区人口…