平成9年

白銀橋が見えた風景 1997 2丁目3番地

白銀橋が見えた風景 1997

     明石町に近づくと、道路脇の木立が途切れて、湖水の上に浮かびあがる白銀橋。      右手に続く湖の先にこの橋が見えると明石町の町は もうすぐだ。       「大夕張に帰る」    そんな思いが、よりいっそう強くなった。        近づくにつれて感じていた、わくわく感というか、ドキドキ…
三弦橋 パノラマ 1997 思い出の街角

三弦橋 パノラマ 1997

 大夕張を訪ねる人は、おそらく長い旅路の果てに、南部のトンネルを抜けるとここでほっと一息つきたくなったことだろう。    大夕張ダムができるその昔、深い峡谷が人々を迎えた時も、谷がダムに飲まれて巨大な湖となったあとも、景色は変われど、大夕張への入り口であったことは変わらなかった。    1997年の…
幼稚園   園庭の名残り 1997  思い出の街角

幼稚園 園庭の名残り 1997 

『はらっぱ』の中の遊具。 原野の中の遊具といった風情だが、きちんと手入れがされていて、当時、子どもたちの遊び場として機能していたようだ。    栄町から富士見町方向をみる。 奥の白い建物のみえる場所あたりに富士見町の詰所があった。正面奥に踏切があり、石炭列車が左右に走った。 向こうの山の中腹に浄水場…
1997年の現実 写真

1997年の現実

『集団移転に伴う一時保管場所』   解体された資材が積み重なり置かれた場所のそばに、そう書かれた看板があった。   そこには大型の家財道具や生活用品のようなものが無造作に置かれていた印象があった。    一時保管?なんのために・・・置かれていた場所なのかはわからなかった。    ただ、家庭の家財道具…
歩道橋からのまち 1997 思い出の街角

歩道橋からのまち 1997

  歩道橋からみたかつての大夕張駅前、1997年7月のすがた。   旧鉱業所事務所のイサオ製作所から煙がたなびいている。   住民の数356名、人の暮らしが感じられた最後の大夕張のまち。     これ以降1998年にかけて街から建物があっと言う間に消えてなくなっていった。       1997年7月…
鹿島小学校3階校舎からの眺め 1997 思い出の街角

鹿島小学校3階校舎からの眺め 1997

   鹿島小学校6年竹組の教室前の廊下に立ち、窓から休み時間に、グラウンドで遊ぶ大勢の小学生や街をぼんやり眺めていた一人の小学生が、30年後同じ場所に立った。  子どもたちが走る度に砂埃がまいあがる乾いた赤茶けたグラウンドは、緑の絨毯に敷き詰められたグラウンドに変わり、眼下から湧き上がるにぎやかな歓…
旧フレンド美容院の角 1997 思い出の街角

旧フレンド美容院の角 1997

  前回、前々回の投稿した写真をつなぎ合わせて一枚の『作った写真』 合成写真。だからパノラマとも違う、遠近感もおかしなことになっているかもしれない。   子どもの頃、富士見町の家に帰る・・・ここは右に行くのが馴染みの道だった。   だからこの写真を見ていると、どうしても右に向かう道が気になってくる。…
理容パーマ『フレンド』 1997 大夕張に残った建物 思い出の街角

理容パーマ『フレンド』 1997 大夕張に残った建物

   小さい頃から通った床屋の建物が目の前に。見覚えのある建物が残されていて懐かしかった・・・。  反面、人家の形跡はあるものの、すでに人が住まなくなってかなり立つらしく、玄関と窓に打ち付けられた木枠もすでに朽ちかけて荒れ果てるその姿にはなんとも言えない気持ちになった。    建物手前の道を右手に行…
大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から 思い出の街角

大夕張のまち その8 1997 栄町商店街を北側から

  『大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街』の写真の左側奥に、青い屋根をした建物が見える。  そこから反対側(南側)に向かっての写真。   青い屋根をしたその建物が、かつての理容パーマ『フレンド』の建物で、商店街の北の端にあたり、『まち』の終わりだった。      ここでは、右…
大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街 思い出の街角

大夕張のまち その7 1997 大夕張銀座と呼ばれた商店街

   おとな達のあいだで、ここ駅前から栄町の商店街が大夕張銀座と呼ばれていたことを知ったのは、佐藤貞雄さんの『大夕張10景(9)駅前銀座』(岳麓の里)を読んでからだった。    自分自身の周囲の子どもたちや大人達の口から大夕張銀座と言葉を聞いたことがなかったような気がする。  商店街の方に行く時には…
大夕張駅ホームと改札口跡 思い出の街角

大夕張駅ホームと改札口跡

   旧ホーム跡の方に入ってみた。  それまで毎年のように何度か訪れていたが、さすがに他人の家の裏庭に勝手に入るような気持ちがして、入ったことはなく、できなかった。(実際、診療所の施設の一つとして使用されていた)    この時、そうさせたのは、失われるものへと哀惜の情だったのだろう。    長大な石…
グラウンドから駅舎と夕張岳 1997 思い出の街角

グラウンドから駅舎と夕張岳 1997

 鹿島小学校グラウンドからは、大夕張駅のホームと、停車中の石炭列車がよく見えた。    前回、『大夕張駅 大夕張に残った建物 1997』の写真にある駅舎から改札を抜けてホームがあったところ。  完全に建物の『裏』として使われている様子。      廃線から20数年、ホーム跡は縁石に名残をとどめ、この…
大夕張のまち  その5 中心部  1997 写真

大夕張のまち  その5 中心部  1997

かつての駅前から、バス停から南側。 方角的には『1997.5.10 大夕張のまち その2』の反対側となる。   前回までに掲載した二枚の写真を合成し、パノラマ風にして視野を広げたもの。   ここでは写っていないが、防火水槽の赤い標識の少し奥に消防の櫓と建物がある。   駅前のバス停、信金の建物、歩道…
千年町 バス停1997 思い出の街角

千年町 バス停1997

  夕鉄「千歳町」美鉄「千年町」のバス停が立つ。   大夕張-千年町の間には、山内線「岳富町」「宝町」のバス停があった。   夕張、札幌に向かう時、山内線で停車するはずのその二つのバス停に止まらずバスは走った。   都会で走る『特急』『急行』という言葉の意味を、大夕張で学んだ瞬間だった。     1…