昭和40年

桜荘  みんなの卓球台|山家直己(やまかなおみ) 映像

桜荘 みんなの卓球台|山家直己(やまかなおみ)

  千歳町桜荘長屋2件隣同期の石野義明が、大夕張の昭和40年頃の8ミリデータを相模原自宅に送って頂き、弟、久和と見て石野先生が買った卓球台で子供達皆んなで楽しんだ想い出が写し出され、感動の一言。   猪俣も映っていてまだ太っていなかった笑笑  少年野球はピッチャー瓜田(小樽病院長)キャッチャー山家か…
聖心幼稚園 見学旅行 学び舎の思い出

聖心幼稚園 見学旅行

昭和41年に第一聖心幼稚園を卒園した菅井さんが、園の行事でお出かけ、見学に出かけた先の写真。 大勢の保護者も一緒に参加しているようだ。   先生を中心に、話を聞いている園児達が反応して手を上げている。     場所は大夕張のどこかだろうか、園児たちをつれて当時、そう遠いところにでかけたとは思われない…
坂道 思い出の街角

坂道

曲がりくねった川と山の間にできたいくつもの河岸段丘。 その上のわずかな平地にできた住宅地を行き来するため、大夕張には橋と坂道が多かった。   春日町と弥生町を結ぶ坂、宝町と緑町を結ぶ坂、常盤町と明石町を結ぶ坂、駅から高校に向かう間の坂道・・・短い坂、長い坂道など思い出していくと、数限りなくわいて出て…
礦業所のスキー大会 思い出の街角

礦業所のスキー大会

ノルディックのスキー大会。 礦業所の職員慰安行事の一つだったのだろう。様々な行事が行なわれていたスポーツ大会の一つ。   スキー場前の富士見町1丁目の山側の道路をゼッケンをつけた参加者が鹿島小学校グラウンドの方向に進む。 どんなコースだったのだろうか。     昭和40年頃と思われる。   白黒写真…
坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿 その2 街の行事

坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿 その2

この神輿の先頭を行くのは、『坂道を春日町から弥生町へ登る山神祭神輿』の写真。 神輿のあとに馬に乗った神主さんのような人物が続く。   『ふるさと大夕張2丁目3番地』で紹介している写真や動画の中にも、山神祭の行列の中に馬が登場してくるが、そもそも子どもの頃から今までどんな隊列を組んで行列していたかなど…
南部独身寮 思い出の街角

南部独身寮

昭和40年(1965年)、『大阪の小林』さんが一夏を過ごした南部貯木場の独身寮。 当時の南部独身寮とのかかわりについて、小林さんは『懐かしき貯木場(南部)』の中で、次のように書いている。 小生は昭和40年の一夏(七月中旬から八月中旬まで)南部にありました営林署の貯木場で、大学の友人二人と共にアルバイ…
昭和40年 南部貯木場事務所付近全景 思い出の街角

昭和40年 南部貯木場事務所付近全景

  南部貯木場から事務所付近をみたパノラマ写真。   今回あらためて気がついたのだが、写真奥、正面のやや上の位置には、南部小学校の校舎が見えていた。   そして、正面の積み上げられた丸太の上には作業をしているらしき人物の姿もいることがわかる。 右手のモルタルの建物は当時、矢板医院だったらしい、今も南…
写真 昭和40年南部貯木場 その4 思い出の街角

写真 昭和40年南部貯木場 その4

『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。四枚目。  以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』と同じように、大夕張営林署の貯木場から事務所付近にむけて写したもの。  遠目にだが、事務所建物には「災害絶滅」「安全第一」の標語の看板がかかっているのが見える。       …
写真 昭和40年南部貯木場 その3 思い出の街角

写真 昭和40年南部貯木場 その3

『懐かしき貯木場(南部)|大坂の小林』掲載の写真四点の内の一枚。三枚目。 貯木場から遠幌方面、貯木場の東側半分をみたところ。     白黒写真に着色した画像   次は、昭和40年以来、38年ぶりに南部を訪れた『大阪の小林』さんの訪問記。 https://ooyubari.com/2020/06/29…
写真 昭和40年南部貯木場 その2 思い出の街角

写真 昭和40年南部貯木場 その2

  『懐かしき貯木場(南部)|大阪の小林』に掲載の写真4点のうち、一枚。    この写真は、以前掲載した『写真 昭和40年南部貯木場 その1』の位置関係でいうと、同じ山を背景に視点を右に振ったかたちになる。  おそらく写真を撮影した人は、その1の写真を撮ってから、数十メートル右に歩いて山側を背景にふ…
雪かき 楽しかった日々

雪かき

   雪かき、雪はね、雪割り・・・降った雪に関わる力仕事は、天候や気象条件によりいろいろな思いもするが、家庭でのこの日の雪かきは、しばらく大量の雪が降り続いた後、気温が上がり、雪が少し溶け気味で水分を含んだ重い雪が相手だっただろう。    スコップで四角に切りながら、広げていった。    セーターで…
ウサギのぴょん吉|石原賢治 思い出ばなし

ウサギのぴょん吉|石原賢治

 鹿島小学校2年、3年の頃の話で近所のTさん宅で、ウサギを飼っていました。   そこのお兄さんによく遊んでもらってまして、ウサギが子を産んだと聞き、見に行きました。    ウサギは非常に感受性が強いのか、人に子を見られると食い殺すとかで、網には布で目隠しされて外から見えないようになってました。   …
八百五十 山の向こうへの思い 大夕張の全景

八百五十 山の向こうへの思い

昭和40年頃、八百五十山頂からの大夕張。 あいにく対面の夕張岳は雲の中だが、礦業所以北の官行の工場地帯から、千年町・常盤町あたりまでの住宅地が雪の中に黒く見えている。 白黒写真に着色した画像   八百五十山頂からの大夕張 やまのむこうは? 【丸山直記】1999年02月23日    私は昭和23年6月…
大夕張営林署 思い出の街角

大夕張営林署

  昭和40年代 錦町。 鹿島中学3年の頃、転校してきた子と仲良くなった。親が営林署勤めだった。 彼の官舎は、錦町の購買会の角から天理教会に向かう坂の中程にあった。 線路から山に向かって並ぶ住宅が段々に高くなっていく。 家の前でキャッチボールをしたことがあった。 どちかが山側で、一方が下になる。 下…