1955年

冬の裏山 思い出の街角

冬の裏山

  富士見町の住宅地から八百五十への尾根へと続く山。 昭和35年頃、富士見町6丁目の礦業所の前の坂の登るとてっぺんの家、坂の一番上の住宅に引っ越すことになった。   当時薬局にいた大橋秀雄先生が引っ越すことになり、その後に入ったのだった。 二軒一戸建ての住宅の、隣に田中さんが入っていて、その家には同…
山スキー 楽しかった日々

山スキー

栃木で生れ東京で薬学を学び、戦後三菱鉱業の大夕張炭砿病院に就職した父は、北海道に単身渡った。 富士見町の啓心寮に入った父は同じ、独身の寮の仲間たちと、時には病院の若い看護婦さん達を誘って、夏は野球、冬はスキーと、大夕張での独身生活を楽しんでいたという。   そんな父の、おそらく八百五十でのスキーでの…
昭和30年頃 川遊び 楽しかった日々

昭和30年頃 川遊び

昭和30年頃(1955年)のシューパロ川での川遊び。 丸刈り頭の男の子が元気に走る。   川で遊ぶときは、素っ裸、あるいは褌というの姿は、ふつうに見ることができただろう。   白黒写真に着色した画像          …
昭和30年代 千年町駅 思い出の街角

昭和30年代 千年町駅

昭和30年代の千年町駅駅舎。   千年町の住人ではなかった。 駅を利用したこともない。(まったくないとは言い切れないが・・) なんどもそのそばを通り、行ったことがあるのに、駅自体の記憶はあまりない。   千年町というとバス通りと山を背にした寺院街の光景が最初に思い浮かぶ。 それは商店街の通りからの視…
大夕張圃園全景 思い出の街角

大夕張圃園全景

 大夕張地区では、昭和5年から人工林の育成が始められた。    帝室林野局札幌支局大夕張出張所が昭和14年に設置され、昭和22年4月に大夕張営林署となった。    昭和29年の洞爺丸台風で大きな被害を受け跡地整理のために、トドマツを中心に針葉樹が植栽された。  昭和31年には、学校林として、鹿島中学…
二股ダム地点(大夕張ダム) 思い出の街角

二股ダム地点(大夕張ダム)

大夕張国営かんがい排水事業 記念史(1967.10.23)より 同書には、ダム地点として掲載させている。 大夕張ダム着工以前の二股(南部)より上流の写真、ダム工事に着手する昭和29年(1954年)前後の写真と思われる。   遠くに夕張岳 左手の崖に大夕張鉄道 右手の崖に桜ヶ岡の開拓農家が数軒見える。…
鹿島東小学校 遠足 学び舎の思い出

鹿島東小学校 遠足

昭和30年(1955年)9月。 祖父のアルバムでこの写真を見たときには、深浦先生らしい先生がいたので鹿島小の行事かと思ったが、よくみると、昭和21年生まれの叔母がいる。 叔母は、当時宝町に住んでいたので、鹿島東小学校に通っていた。深浦先生は、昭和30年鹿島小学校に赴任し同年中に鹿島東小学校に転任にな…
坑口 その2 炭鉱とともに

坑口 その2

大夕張炭鉱の数多くあった坑口の一つ。昭和30年頃と思われるが詳細不明。 坑口に大きく掲げられた看板の字が不鮮明で読み取れないのが残念。   以前掲載した「坑口」の写真と一緒に投稿された写真。   白黒写真に着色した画像   参考までに夕張市史や、社史による坑口のおおよその位置図は次のページから ht…
八百五十のゲレンデ 思い出の街角

八百五十のゲレンデ

昭和30年 八百五十のゲレンデ。 白黒写真に着色した画像   八百五十  【小笠原 憲】 1998年02月27日(金)16時47分10秒 お久しぶりです。 遠い昔の記憶によると(昭和35,6年)、八百五十は鹿島小の横の沢をどんどん登っていって、更に山に登って・・というようなところでした。 鹿島小の冬…
祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子 思い出ばなし

祖父の勇姿 | 勝又優子・桃子

 祖父は昭和37年まで大夕張常盤町に住んでおり、当時ジャンプの選手として活躍していたとの話です。  大夕張代表として、4山対抗大会に出場し、少年組で優勝したとの事です。   画像が新聞の切り抜きのため鮮明ではありませんが、当時のジャンプスタイルを偲べると思います。   (2005年6月19日 記) …
八百五十のゲレンデ(3) 楽しかった日々

八百五十のゲレンデ(3)

『大夕張小唄』にも詠われた『八百五十』。  見渡す限りの銀世界  スキーで鍛える この体    スキーをするには絶好の斜面で、ヒュッテもあった。 山神社から尾根伝いにいくコースと、沢づたいに行く2つのコースがあった。 ヒュッテは、吹き抜けの2階もあり、スキーの合宿ともなると十数人もの人数が宿泊する大…
農場前臨時乗降場 運んだ、石炭を人を

農場前臨時乗降場

 昭和30年頃 桜ヶ丘方面と行き来する乗降場であったのだろう。対岸の桜ヶ丘方面に行くには、尚、崖の道を下り、シューパロ川にかかる細いつり橋を渡らなくてはいけなかった。   写真を拡大すると、制帽をかぶった鉄道員らしき人物や乗降する複数の人が見える。   白黒写真に着色した画像 後のシューパロ湖駅より…
3号つり橋から橋を渡る列車  思い出の街角

3号つり橋から橋を渡る列車 

昭和30年頃 桜ヶ岡から、シューパロ川にかかる『3号つり橋』の上からちょうど、列車が大夕張方向に向かってやってきた。 目の前に見えるのは、五十鈴沢橋だろう。 大夕張ダムによるシューパロ湖が生まれる前の様子。 昭和32年まであった『農場前臨時乗降場』に続いたという崖の道も見えている。   白黒写真に着…
坑口 炭鉱とともに

坑口

昭和30年前後に撮影されたもののようだが、場所、その他詳細不明。   ケーブルに巻上機が設置されていて、坑口の周辺は資材が散乱し、使われているようにみえない。 白黒写真に着色した画像…