1970年

鹿島小学校 下校の行列 学び舎の思い出

鹿島小学校 下校の行列

学期末だろうか。両手に荷物を抱えて、いっせいに下校する姿にも見える。 それとも、正装しているような子も見えるので入学式だろうか? 確かに学校前の道は雪どけ道のようではある、がそれにしても・・・4月の大夕張はこんなに雪が多かっただろうか。     男の子は黒いランドセルに女の子は赤いランドセルを背負い…
工場地帯から夕張岳 思い出の街角

工場地帯から夕張岳

冬、送電塔が見える。おそらく工場地帯の高くなったところから写した写真だろうか。   『遙かなる思い出の故郷』の中で使用されている写真に着色した画像。 遙かなる思い出の故郷 https://ooyubari.com/2020/04/08/harukanaruomoide/  …
工場地帯 炭鉱とともに

工場地帯

 昭和45年頃の大夕張礦業所の工業地帯。  たくさんの数の工場や施設があり、拡大して眺めると飽きない。     『索道ヨリ工場地帯ヲ望ム』と同じ視点の40年間の発展を示す写真といってよく、礦業所の北側から、工場地帯、住宅地の方まで俯瞰する。  写真右端にうつる礦業所事務所越しに炭砿病院、栄町アパート…
鹿島東小学校周辺 航空写真と住宅地図 対比  地図

鹿島東小学校周辺 航空写真と住宅地図 対比 

 『散歩道』内にある昭和43年頃の『千年町鹿島東小学校付近』の住宅地図と、空中写真に各施設の名称を書き込んだ航空写真を並べてみた。    千年町の教員住宅から一時期鹿島小学校に通ったことがあり、個人的には思い出の深い場所でもある。     昭和47年 目印となる建物や施設の名称をいれた空中写真   …
明石警察官駐在所 思い出の街角

明石警察官駐在所

昭和45年 明石町駅近くの通りに面して建っていた駐在所。 『明石警察駐在所』の看板がかかる。  掲示板には、空き巣にに入ろうとしている泥棒のような人物と鍵のマーク。  『鍵をかけましょう』という呼びかけだろうか。    人の多かった大夕張では、当時鍵をかけていても、空き巣に入られることがあった。  …
栄支所裏手富士見町 思い出の街角

栄支所裏手富士見町

 かつて大夕張鉄道の歴史を記した『山史』のホームページがあった。『山史』を編纂された菊池さんの息子さんである審人さんが作成されていたもので、貴重なサイトだったが今はない。  その中に掲載されていた懐かしい一枚だ。たぶん閉山前後の写真だろう。    大夕張炭山をゆっくりと発車した石炭列車は少しずつスピ…
鹿島中学校 球技大会 その2 学び舎の思い出

鹿島中学校 球技大会 その2

  昭和46年3月卒業の鹿島中学校卒業アルバムから。 「球技大会」とタイトルを打たれたページの一コマ。 アルバム編集委員のつけたコメントには、「何こちゃこちゃやってるの」というコメントが付けられている。   確かに、何をしているのとツッコミを入れたくなるけれど、おそらくサッカーの試合だったのだろう。…
常盤町詰所の池? 楽しかった日々

常盤町詰所の池?

この写真について投稿者の菅原正広さんは次の様にいっていた。  これは何処ですか?分かる方居たら教えて下さい。そもそも大夕張なのかもわかりません。 弟と私の服や靴からみて昭和45〜6年だとは思うんですが。 昭和45年か46年頃     この写真を見て、自分は常盤町の詰所の横の池を思い出した。    も…
三菱大夕張炭砿病院 思い出の街角

三菱大夕張炭砿病院

 昭和45年頃の炭砿病院。  その頃。    右手の突き出た屋根のある部分が、正面玄関。左手は北側の玄関。職員関係者用の玄関だった。    正面玄関と北側の玄関の間に見える一階の窓のところが、事務室・受付だった。  正面玄関を入った先の吹き抜けの立派な階段を上がると診療室がならび、二階にはその窓が見…
昭和45年健保会館(武徳殿) 思い出の街角

昭和45年健保会館(武徳殿)

    写真でいえば、「三菱礦業所大夕張幼稚園から聖心第二幼稚園」の写真から右に繋がる写真。 昨日掲載した『幼稚園 園庭の名残り 1997』の時点でいえば、とうぜん広い「はらっぱ」だった。       ちょうど季節は今ごろか。 武徳殿正面の花壇にはチューリップやマリーゴールドなど色とりどりの花々が咲…
大夕張駅を通過する下り列車 昭和45年 思い出の街角

大夕張駅を通過する下り列車 昭和45年

 1997年から始めた『ふるさと大夕張』に、長谷川潤一さんが提供してくれた初期の頃から掲載していた写真の内の一つ。    だから覚えているという人も多いでしょう。     以下の文章も1998年当時のコメントに多少手をいれながら、再度掲載します。    『ふるさと大夕張』を作成していた頃も、なつかし…
夕張信用金庫大夕張支店 思い出の街角

夕張信用金庫大夕張支店

     昭和32年(1957年)に開設された。その頃、千年町の大井質店の一角を借りて店舗があった。 (「大井組と大井質店」の中の清一氏の葬儀時の写真に看板が見える)     駅前のこの建物はその後の建築だろう。    信金の建物の向かって右に見えるのは、北海道拓殖銀行の建物と掲示板。  舗装されて…
明石町14丁目 楽しかった日々

明石町14丁目

昭和45年頃。 明石町は、シューパロ川に近い1丁目から順番に、明石町駅近くの15丁目まで炭鉱住宅がきれいに建ち並んでいた。   ここは、14丁目の住宅そば。明石町駅に近い住宅の一角。右手後ろに共同水道の小屋。   休日なのだろう、屋根には日の丸が掲げられている。何を食べているのだろうか、袋入りのアイ…
昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4) 思い出の街角

昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4)

   手前の緑ヶ丘の教員ブロックの周辺から宝沢の泉町をはさんで、錦町・千年町と続く。    そして遠く、常盤町鹿島中学校の校舎まで見通すことができる。    昭和43年の白銀橋の落橋事故により、鹿島中学裏から白金に抜ける道路開削によってできた山の斜面の崖も見える。   『ふるさと大夕張2丁目3番地』…