1972年

常盤橋と野球帽と 楽しかった日々

常盤橋と野球帽と

沢をまたぐ道路ができるまで、千年町と明石町方面結んだ常盤橋。 昭和47年常盤町の街並みを背にカメラに向かって何か話しているようなのは、菅原少年。吊橋の欄干に電飾がともる。お祭り、お盆の日だろうか。       常盤橋の電飾ですが、多分手掛けていたのはうちの父です。 炭鉱で電工場、いわゆる変電所ですか…
どこに行っても忘れないもの 【線路】 学び舎の思い出

どこに行っても忘れないもの 【線路】

東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。     ■坂道 ■机 ■線路   の中から 線路 と題する文章。 【線路】 鉄の二本の線路を、 どこにいてもわすれない。 ・・・ いろいろな職場から、 いろいろな地域から、 ある人はバスで、ある人は汽車で…
どこに行っても忘れないもの【机】 学び舎の思い出

どこに行っても忘れないもの【机】

前回の、東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。   ■坂道 ■机 ■線路 の中から 机 と題する文章。             【 机 】 どこに行っても忘れないもの それは机です。 ・・・ 教室の、あの場所に、自分の机が あります ・・・ 本…
どこに行っても忘れないもの【坂道】  学び舎の思い出

どこに行っても忘れないもの【坂道】 

   当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。  夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。  おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。    どこに行っても忘れないもの と題して、 ■坂道 ■机 ■線路  の…
終着駅の奥村チヨ -大夕張にやってきた芸能人- 楽しかった日々

終着駅の奥村チヨ -大夕張にやってきた芸能人-

昭和47年(1972年)の夏、UHBの開局記念番組のロケ時の写真。 大夕張駅ホームで、鉄道の職員の方々と共にパンタロン姿の奥村チヨ。     奥村チヨが歌う当時のPVのような映像がyoutubeに出ていた。(今は削除されみることができない)   前半、雪の積もる駅構内から、駅を出てくる場面で、貼って…
ラジオ体操 全国中継 |石原賢治 随想

ラジオ体操 全国中継 |石原賢治

 まだまだ暑い日が続きます。  台風一過でほんのり秋の気配でもと思いますが、もう少しがまんでしょうかね?  北海道はもう2学期も始っている様ですが、私の子供達は、まだ夏休み中です。    まだ、子供がちびの頃は、朝6時30分のラジオ体操に参加すべく、半分眠った状態でも無理やり起こし、公園広場に連れて…
協和会館 思い出の街角

協和会館

天井には、柔らかく煌めくオレンジ色の照明。 座る椅子は、少し硬いが板の、はね上げ式の椅子。 映画の楽しさを教えてくれた場所。 会館前の看板に映画ポスターが見える。 右からの順になっている 23~24日 上のポスターは、これだけでは残念ながら文字が潰れてしまってわからない。 下のポスターは、 昭和44…
夕張市役所鹿島支所 思い出の街角

夕張市役所鹿島支所

 昭和47年頃 千年町に鹿島労働会館の建物の横にあった。  市役所鹿島支所の建物の壁に掲げられた垂れ幕には、写真を拡大してみると、『 「石炭産業の長期安定と 産炭地防衛を市民総意で推進します」~~~推進本部 』と読むことができる。  石炭産業の衰退がいわれ、閉山の話も聞こえてきたころ。    鹿島支…
昭和47年 三吉神社 思い出の街角

昭和47年 三吉神社

昭和47年頃、三吉神社(千年町) 三吉神社は戦前に開設されたという。 千年町在住の中島政雄氏(中島組-北宝建設)が建立したもので、初めは明石町にあったが、大夕張ダム建設による水没のため、千年町に移されたといわれている。   氏子が多く、開運や厄払いで一時は賑わいを見せたという。   多くの商店が建ち…
高島屋ラーメン 学び舎の思い出

高島屋ラーメン

 東高生には馴染みの深い『高島屋ラーメン店』(明石町)  店先の横に机や椅子が用意してあり、そこに腰をかけて勉強をしている生徒達の姿。店主と生徒のつながりが見えるようでおもしろい。     白黒写真に着色した画像   昭和47年発行 夕張東高等学校20周年記念誌『シューパロ』より…
宝町浴場・詰所・集会所 思い出の街角

宝町浴場・詰所・集会所

 千年町方向から岳富町への緩やかな右勾配の坂の手前に、宝町浴場。  浴場・宝町詰所・宝町集会所の順に三つの建物があった。  掲示板の隣に詰所、影になっていてよく見えないが、集会所だろう。  集会所のやや後方、宝町の1丁目に住宅が6棟あった。  夕方、中学校から帰宅途中の私は、この6棟の住宅の前の空き…
大夕張駅構内 続き 思い出の街角

大夕張駅構内 続き

長谷川さんの『じゃじゃぽっぽ』の17ページの写真に着色。 栄町ー富士見町の踏切に自動車が止まっている。 右手には石炭置き場への側線。   白黒写真に着色した画像   大夕張駅構内から健保会館・幼稚園方面を見る …
昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami 思い出の記

昭和47年 宝町3丁目の炭砿住宅と妻|Kawauchi Masami

白黒写真に着色した画像   宝町3丁目の炭砿住宅。妻と姉。  向かって左で犬を抱いているのが妻で、赤ん坊を抱っこしているのが、妻の姉、そして近所のおじさんです。  妻は、北菱閉山で大夕張に来て、大夕張閉山で登川にいきました。昭和47年(1972年)ぐらいに大夕張に来て、75年には登川に行っています。…