随想 グズベリ!|内川准一 子供の頃、食べるものがないわけでもないのに、弥生町、我が家の前の長屋(12舎)のグスベリをよく失敬しました。 トゲで血がにじんでも、お構いなしでした。 ジジィにときどき怒鳴られたけど、それが楽しみなのでした。 子供の頃、何も食べるものが無い時、家の前の垣根になっていたグスベリは… 続きを読む
思い出ばなし この日を迎えると・・ | jun 思い出されるのは大夕張に生きていた当時の頃。 しばれたね~ 大晦日は家族団欒。 ミカン箱、裸まいり、除夜の鐘。 厳かな雰囲気とウキウキした気分が融け合っていました・・ 年が変って元旦の朝。 湯たんぽから洗面器に水を移して顔を洗い、最初は両親に挨拶。 みんなで神棚にご挨拶。 お年玉を… 続きを読む
随想 アオタン |内川准一 「千葉県君津市は自分の同期生がいまして、高校卒業以来、約30年同じ職場で勤務しているんですが、この街はカナリ大夕張出身者が多いんじゃないかな?」 ヒロさんの、この文章を読んで、あることを思い出した。 千葉県君津市と東京都の一部では、以前から北海道方言「アオタン」が通用する。と言うこと。 … 続きを読む
随想 新型車 |内川准一 スバルから新型の軽自動車が出た。 興味があったので、カタログをもらってきた。 長さ3.2m、幅1.5弱、車輪の間は2.2mの小さな車だ。 小さな車が好きなので、すっかり気に入ってしまった。 夫婦2人になったらこんなのでもいいかな?(買わないけど・・) 昔、スバル360という車があった。 … 続きを読む
随想 ポリオ(小児マヒ)の流行 |准 1959年に指定伝染病に指定されたポリオ(小児マヒ)は、翌1960年からは、さらに勢いを増し、全国で猛威を振るった。 北海道では5月に、夕張地区(大夕張)で大流行し、全道に広がって106名の死者を出した。 自衛隊によるDDTや石灰の散布は行なわれたが、道内45万人の幼児に対しワクチンは3万人分し… 続きを読む
随想 夕張奥のトムンチ・コタン|准 「夕張の奥にトムンチ・コタンというところがあり、ここには性の悪い熊でも獺(かわうそ)でも貉(むじな)でも蜂でも、この世の中であらゆる悪いことをした者を集めて置くところがあると伝えられている(名寄市:北風磯吉老伝)。」 * * * 雨天と低温続きの大型連休でしたが、明日で終わります。 … 続きを読む
随想 窓が埋まったときは!|内川准一 一昨日。我が家に1本の電話。電話の主は亡・父親宅の隣家。 「あの~○○ですけど~」、妻「何かありましたァ?」、隣人「屋根から雪が落ちて家の壁に当たったんですけど、みてもらいたいんですけど・・」、妻「分かりました、帰ってきたら夫に電話させますから。」、隣人「なるべく早くお願いします。」プツン。 … 続きを読む
訪問記 八百五十登頂記|内川准一 平成14年(2002年)3月31日 八百五十に行ってきました 国道から山頂とぼた山 予定通り、今朝40年ぶりに八百五十の山頂に立つことができました。2,3日前から好天の予報が出ていたけど、予定に無いほどの好天!青い空に白く切り取ってはめ込んだように見える夕張から芦別に連なる山々が、神々しいほどで、か… 続きを読む
訪問記 大夕張の夜 | 内川准一 1999年 6月4日 金曜日 17時53分11秒 旧・鹿島小の校庭で 一人テントを張って 無人になってしまった大夕張の夜を過ごすつもり! あの賑やかだった大夕張が どんなに深い闇の中に沈んでいるのか 何が 大夕張を支配しているのか そして 長い 長い 空白を経て いま50歳を迎えた私が どれだけ昔の… 続きを読む
訪問記 冬の大夕張 | 内川准一 昭和24年大夕張生まれ。昭和37年4月札幌に転出。 平成9年(1997年)3月21日冬の大夕張へ 大夕張の閉鎖が近い。今年中に街も学校もなくなってしまうと、来年からは本当に何もない野原になってしまう。思い出を辿るための何物もなくなってしまう前に、住んでいる人のいる間に冬の大夕張も見ておきたい。 … 続きを読む