運んだ、石炭を人を 9201 9201 北部移転当初の昭和4年から昭和38年まで、活躍を続けた蒸気機関車。 白黒写真に着色した画像 昭和35年大夕張炭山 入替えに活躍した9201号と9237号 【奥山道紀】 9200形機関車は,昭和4年専用鉄道の北部延長,自営運転開始に合わせて美唄鉄道より譲受ました。 以来,「920… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 農場前臨時乗降場 昭和30年頃 桜ヶ丘方面と行き来する乗降場であったのだろう。対岸の桜ヶ丘方面に行くには、尚、崖の道を下り、シューパロ川にかかる細いつり橋を渡らなくてはいけなかった。 写真を拡大すると、制帽をかぶった鉄道員らしき人物や乗降する複数の人が見える。 白黒写真に着色した画像 後のシューパロ湖駅より… 続きを読む
本棚 空知地方史研究協議会編「空知の鉄道と開拓」|奥山道紀 空知地方史研究協議会より「空知の鉄道と開拓」が刊行されました。 内容は空知管内の国鉄から私鉄・専用線・森林鉄道までの歴史が網羅され、各市町村の郷土史家等が中心になって執筆しています。 「三菱大夕張鉄道」については一時期、夕張東高校の教諭を務めた北海道開拓の村学芸課長の野村崇氏が執筆しており想い… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 列車の冬支度|奥山道紀 10月も残り僅か。 11月に入ると三菱大夕張鉄道でも本格的な冬支度です。 大夕張炭山の機関庫では、ラッセル車が整備され、客車にもダルマストーブが設置されます。 夕張岳の頂が白く化粧をすると、やがて炭鉱街も雪の季節となります。 シューパロ湖も凍結し、白銀の世界になるのも間もなくです。 19… 続きを読む
思い出の街角 昭和43年 千年町駅 千年町駅は郵便局や駐在所のあった商店街がならぶメインストリートからやや明石町よりのところにあった。 昭和25年11月1日、千年停留所として開業。 昭和35年3月21日千年町駅になり、昭和45年無人化された。 昭和48年三菱大夕張炭礦閉山のため、12月16日営業廃止となった。 当時,駅長… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 旭沢橋梁を行く『NO.5』 昭和47年 白黒写真に着色した画像 沢の下より橋の上の列車を見上げる 旭沢橋梁を進行中の混合列車【奥山道紀】 プレートガーダーをトラスで補強した「特異」な橋梁形式の旭沢橋梁を渡る№5牽引の上り列車です。 遠幌~南大夕張間の「遠幌加別川橋梁」も同形式です。… 続きを読む
思い出の街角 南大夕張貯木場と森林鉄道SL 昭和10年代半ば 南部。 南大夕張貯木場 森林鉄道SL『7号』 白黒写真に着色した画像 南大夕張貯木場と森林鉄道SL 【奥山 道紀】(2005年4月23日) 夕張岳山麓の三菱大夕張鉄道の大夕張炭山(通洞)、南大夕張、遠幌(短期間)の各駅からは、かつて森林鉄道が、さらに奥地へと延び切り出された木… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 南大夕張駅を発車した列車 昭和46年、8月22日。南大夕張駅を発車した列車。 このあたり奥の高台には、南部小学校の姿が見えている。 南大夕張までの風景と一転し、この先は、目の前にシューパロ湖、両側に険しい山がせまり、いよいよ山奥に入ったという感じがつよくしたものだ。 それは、大夕張の住民にとっては、『やっと帰ってきた… 続きを読む
炭鉱とともに 北夕炭砿 三菱大夕張鉄道『遠幌~南大夕張間の沿線にあった炭鉱』の一つです。 『ふるさと大夕張』には、奥山さんの解説を掲載していましたので、それを再度転載します。 北夕炭鉱 【奥山道紀 】(2002年11月20日) 清水沢から列車で大夕張炭山へ向い遠幌を過ぎた辺りに、二つの石炭積込みポ… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 大夕張炭山 昭和45年 白黒写真に着色した画像 大夕張炭山 No.8 三菱大夕張炭鉱ポケット(大夕張炭山) 【奥山道紀】2002/11/21(Thu) 20:27 炭鉱は地下深い切羽から採炭した石炭を斜坑や立坑で、地上へ運び出し選炭後、貨車で各消費地へ送り出します。地上ある巨大な選炭工場や積込ポケット、発電… 続きを読む
運んだ、石炭を人を ダルマストーブ 白黒写真に着色した画像 ダルマストーブの設置された車内 ダルマストーブ 【奥山道紀】 列車の暖房は普通、蒸気機関車のスチームを配管に通して行っていたが、地方線区を走る列車では輸送量もそれほど多くなく、貨車と客車を連結した混合列車が主体でした。 貨車には暖房配管が無く、客車の暖房に活躍した… 続きを読む
楽しかった日々 『走れ!ケ-100』大夕張炭山駅ロケ 昭和48年8月 閉山の年の8月。12月には、大夕張炭山~南大夕張間は廃止となりました。 この昭和48年にTBS系(北海道はHBC・北海道放送)で放送されたテレビドラマ「走れ!ケー100」のロケが行われました。主演の大川栄子さんの姿も見えます。 それまで『キイハンター』の「谷口ユミ」役で、チャー… 続きを読む
楽しかった日々 志垣太郎のCM撮影 -大夕張にやってきた芸能人- 昭和47年12月。CM撮影で,客車内で撮影が行われた。グリコアーモンドチョコレートのCM撮影。 カラー写真の色調を補正し、リフレッシュしました 大夕張炭山 機関庫 客車の前で かつて『ふるさと大夕張』の掲示板で、志垣太郎と大夕張のかかわりについて話題になったことをがありました。古い記録からですが、… 続きを読む
交通関係 三菱バス パンフレット 昭和40年頃 観光事業PRのために製作されたらしい。見辛いが各営業所等の住所なども入っている。 三菱バスパンフレット 【奥山道紀】(2021年1月16日) 三菱鉱業美唄鉄道事務所大夕張営業所が、夕張市で一般貸切旅客自動車運送事業免許認可(札陸自認第618号)を受けたのが道路開通の約半年後の1963(… 続きを読む
思い出の街角 読売新聞大夕張通信部 (千年町) 取り壊し前の読売新聞大夕張通信部 読売新聞大夕張通信部 【奥山道紀】(2001年10月01日) 大夕張が炭鉱で賑わっていた頃には、会社の社報や労働組合の機関誌を始め、各文化サークルの会報など、色々な出版物が発行されていました。 読売新聞の販売所は大夕張通信部を兼ねていましたが、所長の高橋勇治… 続きを読む
交通関係 地図式バス乗車券(三菱バス・夕鉄バス) 昔懐かしい地図式のバス乗車券 【奥山道紀】 バスの車内で車掌さんが鋏で乗車停留所、降車停留所、料金にパンチを入れて発行してくれました。 三菱バスと夕鉄バス、急行(特急)の夕張駅前や札幌行はこの地図式乗車券でした。… 続きを読む
陳列棚 シューパロ湖 貸しボート券 シューパロ湖貸しボート券 【奥山道紀】 シューパロ湖の「貸しボート券」が出てきました。 200円と記載されていますが、昭和50年代のものと思います。 大夕張ダムによる「シューパロ湖」の登場により1962(昭和37)年2月には夕張岳と周辺一帯が「富良野・芦別道立自然公園」として指定されました。 付近… 続きを読む