随想 思わぬ出来事|佐々木洋子 ちょっと前の出来事なのですが・・・ 3月初め、東京や千葉にも雪が積もりました。午後からアクアラインバスで母と東京へ行きました。 東京駅前に北海道フーディストというお店があります。 そこで店員さんが母に声をかけて来ました。 同級生?と思いましたが母より年上のかたです。 母をどこかで見たことがある… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 冬のバスと車掌さん 1965年(昭和40年)頃 冬の三菱バス大夕張営業所前で撮影された写真だろうか。 中扉の旧塗装は、千年町のいとこの家に行くときにいつもこれに乗っていた。 馴染み深い車体だ。 扉の足下についていた『クレハ』のロゴもなぜか覚えている。 車掌さんのパーマヘアもなつかしい。 この頃、こういうヘアスタイル… 続きを読む
思い出ばなし 高橋呉服店の思い出 |佐々木洋子 駅前商店街にあった高橋呉服店を、覚えていらっしゃいますでしょうか? 実は、私の母はバスガイドになる前に、高橋呉服店でアルバイトをしていました。 数ヶ月のアルバイトでしたが、高橋夫妻とは今でもお付き合いがあります。 私の記憶は、小学3年生の夏休みに家族で大夕張に帰ったとき、高橋夫… 続きを読む
運んだ、石炭を人を バス前(車掌さんと一緒に) 子どもの頃、乗りものに乗ることが大好きだった。(といってもバスと汽車しかなかったが・・・) 乗るときはわくわくしていた気持ちが、降りるときにはなんだかちょっと寂しい気持ちにもなった。ずっとこのまま乗っていたい、そんな気分だった。 長時間乗りものに乗りたい気持ちはその後、家族を連れて「北… 続きを読む
運んだ、石炭を人を バス前(運転手と車掌さん) 昭和38年頃の三菱(鉱)バス、運転手さんと車掌さん。 白黒の時には気がつかなかったが、色をつけてみて、撮影された場所がわかった。 写真、バスの左後ろに見える掲示板の一部と銀色のパイプ。バス右上に見える三角屋根の一部。 ここは、昭和31年の開通から40年頃まで、山内線の始発、終着のバス停、『砿… 続きを読む
楽しかった日々 昭和40年 バス旅行 その2 『昭和40年バス旅行 その1』の写真と同じ昭和40年8月14日の写真。 写真の三菱バスの後部には『シューパロ』と名前がつく。 白黒写真に着色した画像 「シューパロ」と書かれた車体と、休憩中の運転手とバスガイド 当時、三菱バスの貸切車には愛称名がついていた。 『三菱(鉱)バスにのって』の写真で… 続きを読む
楽しかった日々 昭和40年 バス旅行 その1 昭和40年8月14日 日付はちょうどお盆の頃、団体旅行だろうか。途中、休憩中の一コマ。 小学生から中学生の顔も見える。 白黒写真に着色した画像 バスガイドさんをはさんで?運転手さんと打ち合わせ中?… 続きを読む
随想 北海道言葉と食べ方の話題|佐々木洋子 私の住んでいる君津には、たくさんの大夕張出身者がいると思います。 引っ越しした当時は、同じ団地に住んでいました。 皆 家を建ててバラバラですけど・・・ さて、北海道方言と言えばたくさんありますが『うるかす』(つける・ひたす)は、標準語だと思っていました。 10数年前に、千葉県人に指… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 急行大夕張駅前行(三菱バス) 昭和40年頃 白黒写真に着色した画像 停車中、談笑の運転手さんと車掌さん。 三菱バスの車掌さん 【飯田雅人】(2021年1月11日) 写真の三菱バスの行き先表示は、『急行大夕張駅前』だから、夕張駅前での出発前のひとときなんだろうか。 南部での途中停車中のバス停かもしれない。いずれにしても、バスの窓… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 三菱バスの運転手さんと車掌さん 昭和40年頃 後部座席に座る運転手さんと車掌さん。運転手さんは鞄でしょうか、大事そうにかかえています。車掌さんは、『三菱』と文字の入った腕章をしています。 後部座席に座る運転手さんと車掌さん うっとり 【飯田雅人】(2020年11月21日) 子どもの頃の夢として、男子のなりたい職業として上位… 続きを読む
楽しかった日々 三菱バス営業所の車掌さん 昭和45年頃(1970年頃) 車庫でバスの汚れ落としの合間のスナップだろうか。砿業所の建物が車掌さんの肩越しに見えています。バスの窓下の帯からは、「三菱(鉱)バス シューパロ」の文字。… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 昭和40年 バス車内風景 昭和40年頃 中扉で車掌さんがいる三菱バス。懐かしいです。後ろの二つ窓がついているタイプのバスも強く印象に残っているバスです。マイクのコードが伸びています。団体の慰安旅行でしょうか。 想像を膨らませて、この写真を見てみることにしましょう。 今バスは、乗客を乗せて、車庫前を出発するところです。窓… 続きを読む