昭和35年 富士見町

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 昭和35年頃、大夕張神社からの写真。こうしてみると、ブロックは建物の中で目立ちます。中でも、左の啓心寮の近くに見える白いブロックそばの道路の角に立つ木が、『夢の街-訪問記-僕と木』でふれた私的な思い出の木でした。

 2006年に訪れた時の記事は、以下

この写真の中で、自分は見たことが無かったものが、写っています。それは、手前のロープトゥの脇にロッジ風の建物。滑り降りた子どもたちがロープにつかまるために、先頭の子から並んでいた風景がすぐに思い浮かびますが、こんな洒落た山小屋風の建物が、この当時、この場所にはあったのですね。


昭和45年『SLブーム』の中で  【飯田雅人】

 神社から富士見町方面、昭和45年頃、いとこが東京から鉄道の写真撮影に来て、一緒に登った記憶があります。当時,私は中学生、いとこは、18歳くらいだったと思いますが、どうして『汽車』を、わざわざ東京から撮影に来るのか不思議でした。

 どんなことを話したのか、今となっては思い出せませんが、町を見下ろしながら、たぶん町の説明をしていたのでしょう。1週間くらい泊まっていったいとこは、その間、三菱大夕張鉄道の蒸気機関車たちを撮影していきました。残念ながら、その写真がどのようなものであったかは、音信も途絶え今では知るすべもありません。


3件のコメント

  • 添付の写真は、昭和48年6月頃の撮影と思います。

    >いとこが東京から鉄道の写真撮影に来て、一緒に登った
    ホント不思議ですよねぇ~、汽車をわざわざ撮るなんて!
    しかし、私も汽車を撮る為にわざわざ大夕張神社に登った一人です(笑)
    大夕張駅発車を俯瞰撮影するには、神社が丁度良かったのでしょうね。
    たぶん、SLファンは「○○と煙は高い所が好き」なのです。

    ↓SL写真のブログ「煙の記憶」
    https://umimosuki623.blog.fc2.com/

    • いえいえ、撮影にかける情熱は、「煙の記憶」からもよく伝わってきまて、敬服いたします。
      おかげでこのような素敵な写真を拝見できるわけですから。
      さて、昭和48年6月といえば、三菱大夕張炭砿が閉山を決定した頃ですね。街はきっと大騒ぎだったんでしょうね。
      鹿島小学校のグラウンドにはイタヤカエデの長い影が伸び、そんなことを感じさせない穏やかな6月の夕暮れを感じさせます。

      • >敬服いたします。
        ありがとうございます(笑)
         
        >三菱大夕張炭砿が閉山を決定
        チョッと調べてみましたら、一コマ前が閉山反対ペイントの写真です。
        大夕張駅を炭山駅へ向かうところを撮ったと思うのですが、
        その後に神社へ登り、大夕張全景を撮ったのでしょうね。
        光線状況もそうなので、間違いないと思います。
         
        しかし、いま改めて考えてみると、いくらこの頃は中学生とはいえ、
        よく神社に行ったり来たりしたものだと感心します。
        今なら神社への道の中腹の折り返しで倒れてしまうでしょうね(笑)
        また、何か見つけたらUPしますので。
         
        ↓SL写真のブログ「煙の記憶」
        https://umimosuki623.blog.fc2.com/

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