絵画

ふるさとの山河、心の風景

追分グラウンドにて ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

追分グラウンドにて ~祖父のスケッチ帖から~

10月28日の記載。描かれたページの順番から昭和15年から昭和21年までの頃であることは間違いない。 戦争の時代。 大夕張尋常高等小学校(鹿島国民学校)の高等科女子を受け持っていたという。 遠足の時の昼ご飯の風景だと思われる。   見てのとおり、「追分グランドに於て」と書かれてある。   大夕張目線…
遠足 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

遠足 ~祖父のスケッチ帖から~

  昭和21年10月22日遠足と祖父の字で記入がある。 調べるとこの日は、火曜日。 子どもにとって遠足は、前日の夜はリュクサックに詰めた荷物を枕元に置いて、次の日が待ち遠しくて眠られなかったものである。 そして、遠足といえば、天気が気になる。   気象庁のサイトで、地域から年月を遡って過去の天気を調…
朝の夕張岳   ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

朝の夕張岳   ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月23日 朝 とのメモ。 日付が出てくると、つい曜日まで知りたくなるのは性分である。   昭和14年(1939年)のスケッチに出かけたこの日は、木曜日。 今なら『勤労感謝の日』で祝日だが、当時は・・・。   昔の人なら覚えているかもしれない、「新嘗祭」(にいなめさい)(しんじょうさい)…
働く看護婦 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

働く看護婦 ~祖父のスケッチ帖から~

  看護婦さんという言い方から看護師さんというようになって久しいが、当時の看護婦さんの働いている姿をスケッチした三枚。 思い出しながら自宅で、あるいは病室の中で時間を持て余しつつスケッチ帖を手に描いていたのだろうか。日時の記載はないが、昭和14年の病院の絵の続きのページに描かれていた。 キャップと、…
病室にて ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

病室にて ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月19日。 『病室に於いて」とある。 どこかの炭鉱住宅を思い出して描いたのか、窓から見える風景を描いたのか。   昭和40年代自分が、父を炭砿病院の病室に見舞った時、病院の窓から見えた景色はよく覚えている。 病室の窓からは、東には隔離病棟そして東南方面の住宅地が見えた。 その頃と同じで…
同室患者 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

同室患者 ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月20日. 炭砿病院の病室。「仝室患者」と書かれているが、同じ部屋の患者であれば、この時期、祖父も一時入院していたことになる。 祖父の書き残したものによると、 「昭和の初め頃、流行性眼病とか耳の障害、また外科では、自分の不注意から湯たんぽによる足のヤケド等で治療を受け短期間で回復」(長…
炭砿住宅 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

炭砿住宅 ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月20日と記されたスケッチ。 昭和14年は、当時祖父35才。弥生町から宝町に引っ越した年だった。 炭砿住宅をスケッチしたものだろうか。玄関、外便所など特徴ある建物。 けっこうな量の雪が積って見える初冬の風景。 場所は不明。 住宅地 初冬の大夕張 長谷川安造『流れのように』大夕張のくらし…
住宅地 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

住宅地 ~祖父のスケッチ帖から~

昭和14年11月19日の記載があるスケッチ。小さなスケッチ帖の2ページに描かれた風景。 祖父長谷川安造が、沼ノ沢から大夕張に転勤となり、新築炭住の弥生町に引越したのは昭和13年(1938年)春。 翌14年(1939年)、宝町に新炭住が完成し、そこに引越した。 更に、昭和15年(1940年)、宝町に夕…
夕張岳 ~祖父のスケッチ帖から~ 絵画

夕張岳 ~祖父のスケッチ帖から~

黒い表紙の小さなスケッチ帖を開くと、昭和14年11月19日の夕張岳が描かれている。 表紙の裏に鉛筆の粉がついて、ページ全体が黒ずんでいるが、描かれた線はしっかり残っている。   かつて祖父の自宅仏間には、夕張岳の写真(『ふるさと大夕張2丁目3番地』に掲載している昭和28年の夕張岳)を引き伸ばして飾っ…
祖父のスケッチ帖    絵画

祖父のスケッチ帖  

祖父長谷川安造が沼ノ沢から大夕張の尋常小学校に赴任したのは、昭和13年春のこと。 34才の働き盛りの家族五人を抱えての引越しだった。 祖父は、絵を描くことが好きだったようだ。 秋の冷え込む頃に写生に歩き、土手や山野に腰をおろしてスケッチしていたため、肛門を悪くし入院し手術したという。 退職してからも…