思い出ばなし

むかあ~し、むかあ~し、ちょっとむかし、こんなこともありましたとさ。
子どもの頃に返って、思い出してみました。

消えた缶ビール|久々湊真一 思い出ばなし

消えた缶ビール|久々湊真一

  本州に来て暫く経ったある日、 『寒さに対する自分の感覚が、内地の人と多少違う』   ということに気がつきました。  内地の人は氷点下になると、全部「寒い」の一言になってしまって 「どのぐらい寒いのか(寒さの程度)」 をあまり区別していないようです。   私は、例えば氷点下5℃と氷点下20℃の違い…
通知表からの思い出|石崎佳美 思い出ばなし

通知表からの思い出|石崎佳美

見つけました❗️ 鹿島小学校の通知表を。    やはり、記憶は正しかったのは、昭和48年の12月迄(小学校2年生2学期迄)、鹿島小学校に在籍していたようです。   久々湊昭三先生の印鑑は、押してあるのに、それを見たという親の印鑑が無いです。   もう、学校に返す事が無いという所に寂しさを感じました。…
春日町の外水道|成田利夫 思い出ばなし

春日町の外水道|成田利夫

   春日町は、外にある屋根だけの小屋にある水道から、水を引いていました。    たしか各家にはホースをつないで水を引いていて、台所に置いていた大きな甕に溜めていた記憶があります。        冬の寒い朝は、甕の水の表面に5mmくらいの厚さの氷が張り、それを柄杓で割って水を汲んでいました。    …
馬頭観音 |小林光志 思い出ばなし

馬頭観音 |小林光志

 便所場球場に近い大久保さんの向かいに、労働馬の慰霊碑がありました。   「大久保組」ご存知ですか?  ここに多くの労働馬がいました。   私が大夕張にいた頃は、ちゃんと感謝をこめて祭っていました。   (追記)  大久保組の大久保家は、私の遠い親戚でもありましたので ちょくちょく行き来してました。…
闘犬のはなし| 泊川俊徳 思い出ばなし

闘犬のはなし| 泊川俊徳

   子供の頃、春日町の川原で闘犬をしていて、興行を何度か見に行きましたが、短い流行だつた感じでした。    4メートル位の円形で、角材の柵の中で闘犬が行われていました。    闘犬も専門的に訓練されて無い感じで、場当たり的に戦っていたようでした。     一時的な流行でした。    当時、子供なが…
お下がりのスキー| 石崎佳美 思い出ばなし

お下がりのスキー| 石崎佳美

  もう、夢か現実だったのかは、定かではありません、、  小学校1年生の冬スキーで登校しました。  1列になって、1年生の私は1番前で、私の前には最上級生の男の子がいました。  ところが…💦。  スキー板があまりも長く、体に合っていなかったので、何度も何度も転び、思うように前には進めません。 それま…
暮れの餅つき | ziny 思い出ばなし

暮れの餅つき | ziny

 毎年12月28日は代々木町の我が家の餅つきの日でした。   昭和30年代、この末広がりの日には、しめ飾りをつけるのと餅つきでしたね。    外はシンシンと雪が降っている。     玄関の障子(ある時期から飾りガラス戸)をはずし、隙間風よけに目張りをしたビニールの上に、新聞紙も所々貼ってあった。  …
本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸 思い出ばなし

本間商店と東高のボタン | 斎藤敏幸

本間商店のおじさんからいただいた、夕張東高のボタン     1997年10月  週末に大夕張へ行ってきました。  ちょうど紅葉が始まっていて、夕張岳の麓も色づいていました。  地元の人に尋ねると、10月10日頃が最もきれいだろうと言ってました。  秋には、一度尋ねてみようと思っている方は、今週末の連…
正月の餅|飯田雅人 思い出ばなし

正月の餅|飯田雅人

 大夕張の師走の話題から、餅の思い出を。 以前『夕張文化』44号に木村東市さんという方が『大夕張歳時記』という回想を書かれていました。   その中で,昭和10年代?の話。   暮が近くなると岩手の母の実家から米一俵ともち米が送られてきて、当時シューパロ川の川縁にあった千年町番外地の堀田牧場に頼んで正…
『ラジオ体操』の出来事 | 石崎佳美 思い出ばなし

『ラジオ体操』の出来事 | 石崎佳美

  朝のラジオ体操、初めて参加した時のことでしょうか。   私の後ろに、お隣りのお姉さんMちゃんが付き添いしてくれました。 代々木町の家の近くには、同じくらいの年齢の女の子は貴重な存在でした。   広場にみんなとゾロゾロあるいていた時に、Mちゃんが片方しか靴下を履いていないことを発見してしまい、大き…
『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一 思い出ばなし

『それ』のおいしい作り方 |久々湊真一

   小学校5年の時に、何故か化学者に憧れて、試験管やらビーカーを買ってきた。     長年シコシコと貯めていた小遣いを、思い切り良く全部これに充てたのでした。   「何に使うの?」   と両親から咎められたが、案の定、実験のアイテムも無くて、ただ透明の容器を眺めて磨いて、ニタニタしていただけであっ…
七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny 思い出ばなし

七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny

     我が家の親の部屋に大夕張鉱業所の記念の皿が飾ってあります。    直径26cmの白地の皿に、紅梅の一枝に咲く数輪の花と蕾と、うぐいすが描かれ、皿の中央寄り縦に右から【 心を一つにして 社長 大槻文平 】と記されております。   裏面には【 七万屯突破記念 昭和41年3月 三菱大夕張鉱業所 …
ウサギのぴょん吉|石原賢治 思い出ばなし

ウサギのぴょん吉|石原賢治

 鹿島小学校2年、3年の頃の話で近所のTさん宅で、ウサギを飼っていました。   そこのお兄さんによく遊んでもらってまして、ウサギが子を産んだと聞き、見に行きました。    ウサギは非常に感受性が強いのか、人に子を見られると食い殺すとかで、網には布で目隠しされて外から見えないようになってました。   …
大根の花 |ziny 思い出ばなし

大根の花 |ziny

  11月の今頃はもう、鹿島の地も白くなっては、消え、また白くなっては消え、地面はゴム長靴の時期でしょうね。   あの頃の夏には、代々木町2丁目の我が家の前庭にはとうきびが結構大きくおがってました。  おばけとうきびといった実の不揃いのも、まま、ありましたが、甘くて美味しい味の思い出です。   トマ…