夢の街

かつて石炭で繁栄した街の昔と今の記憶をもとめ、追いかけた記録。

〘 わかめ 〙と〘 ワカメ 〙 | 高橋正朝 #188 続・大夕張つれづれ

〘 わかめ 〙と〘 ワカメ 〙 | 高橋正朝 #188

 私が鹿島東小学校に入学したときから、時どき校歌斉唱があったが、もちろん、意味などわかりはしない。  全校生徒の斉唱であったから、口をパクパクさせていただけだった。       詞は、教室の壁や体育館の壁に張り付けていたかはわからない。 記憶にない。 仮に張り付けていたとしても、私にはまともに読めな…
大夕張あれこれ | jun 随想

大夕張あれこれ | jun

      大夕張での生活ですが、この齢になっても、くだらないことはいろいろ思い出せます。       ・肉屋さんの軒先に、馬の脚が吊るされていたこと   ・父のお酒を買いにときどき空瓶持で行ったこと (今では見られない3合瓶とかもあった。)   ・米?塩?の専売通帳があって、持参して買物したこと …
炭鉱病院の病室で聴いた大相撲のラジオ放送 |高橋正朝 #187 続・大夕張つれづれ

炭鉱病院の病室で聴いた大相撲のラジオ放送 |高橋正朝 #187

 私が鹿島東小学校の4年生のとき、急性盲腸炎になり、炭鉱病院に入院して手術した。  手術後の経過は順調で、入院期間は、たぶん10日間ぐらいだったように思う。  昭和33年の5月の中旬のころだった。       父親が、その少し前に、当時売り出されたポータブルトランジスタラジオを病室に持ってきた。  …
思い出の啓心寮 | みほ 随想

思い出の啓心寮 | みほ

 栃木県北部の那須町、黒磯市をおそった集中豪雨から二週間が過ぎましたが、いまだに二名の行方不明者が発見されておりません。   私の住む、真岡市は被害はありませんでしたが、川はかなり増水し天災の恐ろしさを改めて感じさせられました。   那須にはスキーやキャンプなどで毎年行っています。   つい、数週間…
金太郎飴と千歳飴 | 高橋正朝 #186 続・大夕張つれづれ

金太郎飴と千歳飴 | 高橋正朝 #186

   昭和23年生まれの私の年代とその前後は、金太郎飴はわりとよく食べていた飴だった。  今でも購入できるようだが、その辺の店で見つけるのは難しいようだ。         ネットを見ると、購入できる店の紹介があるが、今の時代、わざわざ出かけるよりも、配達費がかかっても、送付してもらうのがベターだと思…
 カルピス、不二家ハイカップ、森永コーラス | 高橋正朝 #185 続・大夕張つれづれ

 カルピス、不二家ハイカップ、森永コーラス | 高橋正朝 #185

   私が大夕張に住んでいた当時、飲んだことのある乳酸飲料は、標題に挙げたもののうち、カルピスだけだった。  他の2つは、カルピスに似たものであろうと想像していたが、実際に飲んだのは、東京に出てからだった。        カルピスを初めて飲んだのは、私が、鹿島東小学校の1年生の、春が過ぎるか夏に入る…
曇天の湖畔 森林鉄道橋 写真

曇天の湖畔 森林鉄道橋

シューパロ湖畔から二号橋。 三弦橋よりにあった『短い』ほうのトラス形をした森林鉄道橋。    終日雲に覆われた冬の日、穏やかで静寂に包まれたモノトーンの世界となった。     2005年1月撮影     以下は同じ日に撮影した。 https://ooyubari.com/2020/08/12/syu…
緑町1丁目の石壁 2002年 訪問記

緑町1丁目の石壁 2002年

緑町は駅前の詰所を1丁目1番地とすると、そこから東は弥生町、南は、宝沢の方に伸びていた。   駅前から、道路は、埋め立てられた宝沢を底にゆるやか1ちょうな窪地になって宝町方面へ向かう。 その道路沿いに商店街が並び、戦後は、岳富町と呼ばれていた。     緑町の住宅地は、緩やかに傾斜する岳富町の商店街…
不二家提供のアニメ〘 ポパイ 〙での広告商品|高橋正朝 #184 続・大夕張つれづれ

不二家提供のアニメ〘 ポパイ 〙での広告商品|高橋正朝 #184

 不二家のミルキーのペコちゃんのイラストを、飯田さんが添付していましたが、それを見て、少し印象が違うな?と思い、ネットでチェックしてみたら、ミルキー発売当時のイラストなんですね。       前回の書き込みは、100%記憶だけで書き込み、ネットでのチェックを怠ったので、記憶マチガイを是正できませんで…
長屋と共同浴場の思い出  | 山家直己  思い出ばなし

長屋と共同浴場の思い出  | 山家直己 

  桜荘周辺に同期も多く、先輩や後輩・父母達も一緒になって卓球が出来て長屋人情物語です。   さらに共同の大きな風呂は、大人も子供も裸の付き合いで、知らないうちに仲間意識が出来て、誰にでも挨拶が出来るようになる教育の場だったかもしれないね。     ただ思春期頃は、母と一緒に、同期の女の子達とお風呂…
小さき頃の思い出と閉山の頃 |山家直己 随想

小さき頃の思い出と閉山の頃 |山家直己

  富士見町の思い出は、1番はスキーです。     4年までは緑町に住んでいましたので、幼稚園からスキーしていました。 帰りは友達と神社側から小学校のグランドを抜けて(夕方暗くなりグランドの空にグレーの母船型のUHOを2人で見たよ)スキーを履いたまま線路と車道を渡り、家まで帰るのを恒例にしていた。 …
 不二家のミルキー | 高橋正朝 #183 続・大夕張つれづれ

 不二家のミルキー | 高橋正朝 #183

昭和26年(1951年)ミルキー発売。ペコちゃんの目玉は持って歩くとコロコロ動いた。      表題に入る前に、2024年2月2日に、〘 みた 〙さんから、『続・大夕張つれづれ # 143 北海道弁•••あめくさい・あめてる・あめる』 に書き込みがあり、不良ことばとしての例が書かれていました。  北…
記憶の中のお祈り |小野美音子 思い出ばなし

記憶の中のお祈り |小野美音子

  教会での劇を終えて帰宅する菅井さん親子     「昭和40年鹿島小学校前」の写真にジ~ンときたことがあります。    東方の博士役を終え満足そうな菅井さん。  3人を見守るように、お母様が身体を少しかしげ、かごを持つ姿にどこか聖らかで暖かいものを感じたからです。    そしてバックに映る美しい教…