夢の街

かつて石炭で繁栄した街の昔と今の記憶をもとめ、追いかけた記録。

鹿島中学校の閉校にあたって |S.H 随想

鹿島中学校の閉校にあたって |S.H

 思えば鹿島中学校は昭和22年5月開校以来、九千二百余名の及ぶ卒業生を社会に送り出し、名実ともに輝かしい伝統を築きながら今日に至りました。  以後石炭の斜陽化で街の過疎化が進み、その中で、シューパロダムの建設が取り沙汰されている今日、大夕張にとって鹿島中学校の閉校は何ともいえない一抹のさびしさを感じ…
違和感 その2 |小野美音子 随想

違和感 その2 |小野美音子

違和感に同感!で~す。  そういえば北海道の結婚式は会費制が殆どでしたがこちらは招待制が多いですね。  由緒正しい母子家庭同士(私の方は歴史が浅め)の結婚でも主人が招待制で行うと言ったので、内地は面倒そう・・と思いましたが、今では暖房も北海道式です。   北海道方言の「ばくって」「ごみをなげる」を使…
違和感 |久々湊真一 随想

違和感 |久々湊真一

 SONY号は懐かしいですね。上空からの映像があったなんて、涙、涙です。   寒くなってきましたね。 本州は、そろそろ炬燵を引っ張り出す季節になりました。 私が本州に住むことになって中々馴染めなかったものに、このコタツがあります。   下半身のみ炬燵に入り、背中がスース-する形で暖をとるのは、非常に…
屋根の雪 写真

屋根の雪

その昔、吉井薬局となりのだるま食堂だった建物。 隣の建物とともに最後まで駅前に残った。   2002年冬 誰も居なくなった大夕張で、名残を残していた。 ドカ雪の翌日、トタン張りの屋根に積る雪が暖気にとけ、つららを伝った水が軒先にしたたる。   それでも春はまだ遠い。      2002年(平成14年…
黄色い旗と思い出ノート 3 回想・随筆

黄色い旗と思い出ノート 3

以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。   平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第三集(平成12年分)を掲載します。        平成10年 すでに廃校に…
黄色い旗と思い出ノート 2 回想・随筆

黄色い旗と思い出ノート 2

以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。   平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第二集(平成10年~11年分)を掲載します。        平成10年 すで…
アニメ、〘 進め!ラビット 〙と、マンガ家〘 カゴ 直利 〙|高橋正朝 #229 続・大夕張つれづれ

アニメ、〘 進め!ラビット 〙と、マンガ家〘 カゴ 直利 〙|高橋正朝 #229

 表題の〘 進め!ラビット 〙は、ウィークデーの夜、5分間ぐらいのテレビ放送だった。       主人公はラビットで、相棒はタイガーだった。        私は、このアニメは、原作は、日本だとばかり思っていた。 その理由は、登場するアニメのキャラクターは、〘 カゴ 直利 〙が描くマンガのキャラクター…
12月28日の餅つき|Toshinori 思い出ばなし

12月28日の餅つき|Toshinori

我が家でも、炭鉱に住んで居た頃、餅つきをしました。 当時、炭鉱長屋では 年末12月28日が餅つきの日と決まっていました。   隣近所で早起きして、ぺッタン ぺッタンと、一斉に 餅つきの音が聞こえていました。   今となっては懐かしいです音です。   12月28日が、町中が 餅つき・・・。   各家々…
黄色い旗と思い出ノート 1 回想・随筆

黄色い旗と思い出ノート 1

以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。   平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第一集(平成10年~11年分)を掲載します。        平成10年 すで…
テレビ番組オープニング曲、♪ 石から生まれたお猿の子、水簾洞の王様だ ••••••♪ | 高橋正朝 #228 続・大夕張つれづれ

テレビ番組オープニング曲、♪ 石から生まれたお猿の子、水簾洞の王様だ ••••••♪ | 高橋正朝 #228

 前回、ヤン坊ニン坊トン坊のラジオドラマのことに触れた。   そして、ヤン坊役を演じた里見京子については、まったく記憶に残ってないことを吐露した。         ヤン坊ニン坊トン坊は、猿の兄弟の話しである。       猿が活躍する話しとしては、孫悟空がある。     以下の詞は、テレビ番組のオー…
手掴みで捕まえた八目うなぎ |お父ちゃん 思い出ばなし

手掴みで捕まえた八目うなぎ |お父ちゃん

小学校5~6年生のころ。 夜7時ころ近所の友達4~5人で炭山の機関庫によって、ゴミ箱の中からたっぷりと油のしみたボロ切れを拾います。   それを手にぶら下げて機関庫の裏の土手をおり、とっぷりと日の暮れた取水堰へと向かうのです。    取水堰の中ころまで進み、途中、拾ってきた油のぼろきれを木にしっかり…
NHK ラジオドラマ、ヤン坊ニン坊トン坊 | 高橋正朝 #227 続・大夕張つれづれ

NHK ラジオドラマ、ヤン坊ニン坊トン坊 | 高橋正朝 #227

   NHK のこのドラマの内容はまったく覚えていない。ウィキペディアに、このドラマのことは載っているのだが、オープニング曲の一部だけを記憶している。      早口でしやべる黒柳徹子の声はよく記憶している。 それが彼女の特質というか、個性だから、視聴者の記憶に残る。  横山道代の声は、若干覚えてい…
♪ 知ってるオジさん知ってるかい ♪|高橋正朝 #226 続・大夕張つれづれ

♪ 知ってるオジさん知ってるかい ♪|高橋正朝 #226

 これは、NHK のラジオの子ども向けの番組のオープニング曲だった。  このオープニング曲の詞とメロディは覚えているが、2番めの詞はあったかどうかは定かでない。  通常は、1番めの詞の歌が終わると、すぐにその日のテーマの話しが始まった。         ネットで、この番組のことをチェックしたら、1つ…
12月初冬の眺望公園 ふるさと大夕張の碑 写真

12月初冬の眺望公園 ふるさと大夕張の碑

2024年12月5日、午前中に千歳に行く用事があり出かけた。 千歳から見る夕張岳方面は、山の姿は見えないものの青空も垣間見えた。 その青空に惹かれるように夕張を回って帰った。    途中、清水沢の読売新聞に立ち寄り、本当にお久しぶりに高橋さんにお会いすることができた。   たぶん、高橋さんは自分のこ…
 歌のない歌謡曲 | 高橋正朝 #225 続・大夕張つれづれ

 歌のない歌謡曲 | 高橋正朝 #225

   私が鹿島東小学校4年生のとき、すなわち、昭和33年( 1958年 )初秋に我が家にテレビがくるまで、ラジオ番組はよく聴いていた。     それら番組のなかで、松下電器のものがあった。      それが、首題の〘 歌のない歌謡曲 〙である。        ネットでチェックしたところ、ウィキペディ…
♪ウ〜ラのお庭の柿の木でぇ〜♪ |高橋正朝 #224 続・大夕張つれづれ

♪ウ〜ラのお庭の柿の木でぇ〜♪ |高橋正朝 #224

  この表題は、ラジオ放送のサンヨー電機の、洗たく機のCM ソングの一部分である。        私が記憶しているこの CM ソングの詞は、つぎのとおりだ。     ♪ ウ〜ラのお庭の柿の木でぇ〜、ママゴト遊びのおよめさん、カワイイおよめさん、お宅はどちらの洗濯機?サンヨーサンヨー、サンヨー電機 ♪…
沈んだ泉町 写真

沈んだ泉町

秋の宝沢(泉町)そして『湖風葬』と同じ日に撮影した別の一コマ。 移りゆく秋の日差しに、地表に雲が微妙な影を落とす。   場所はおわかりだろうか。 左手前の道跡は、鹿島小学校の裏手の道。小学校6年生の時には、理科の授業で宝沢の地層や崖の観察にこの道を山の方に上がっていったような記憶がある。 鹿島小学校…
カワイの肝油ドロップ とサクマのドロップ | 高橋正朝 #223 続・大夕張つれづれ

カワイの肝油ドロップ とサクマのドロップ | 高橋正朝 #223

 表題の〘 カワイの肝油ドロップ 〙 は、私が鹿島東小学校の低学年のとき、先生からいただいて食べたものだった。        4年生のときにも、1度か2度くらいいただいたような気がするが、記憶間違いで、すでに、〘 肝油ドロップ 〙を、学校で配給するのを止めてしまっていたのかもしれない。       …
感想と今の旧炭鉱都市などについて思うことです|現代っ子 随想

感想と今の旧炭鉱都市などについて思うことです|現代っ子

  初めてきました、複雑な心境です。   嘗て栄えた街が、数年でもはや消滅してしまった・・・。  鉄道まであって、商店街を形成していたのに・・・   現在の写真をこのページで見させていただくと、本当にこの地に数万もの人たちが住んでいたと思うと不思議でなりません。  地図なんかを見ても・・・想像できな…
視聴者参加番組〘 素人ラジオ探偵局 〙 | 高橋正朝 #222 続・大夕張つれづれ

視聴者参加番組〘 素人ラジオ探偵局 〙 | 高橋正朝 #222

視聴者参加番組〘 素人ラジオ探偵局 〙     これは、NHK 第二放送の番組だった。      NHK 第二放送を聴いていたのは、鹿島東小学校の3年生になって、天気予報を熱心に聴き始めたからである。 その理由は、天気予報図に興味をもち、多少ではあるが、理解できるようになったからである。      …