楽しかった日々 雪にまみれて 昭和35年頃。 炭砿病院近くの線路そばの富士見町。 全身雪まみれになったのか、されたのか・・・。 この写真に、大夕張らしさがあるのかどうかとふと考えた。 家の前の道の周りに積った雪を超えると、そこに広がる雪原や、空き地に積って周りの畑とつながって境目のなくなった一面の雪。 そこ… 続きを読む
楽しかった日々 雪だるま 私の住む札幌では第74回の『さっぽろゆきまつり』が始まった。 2月4日から11日までの一週間、大通り、すすきの、つどーむの3会場で行なわれる。 今年は4年ぶりの全面開催ということで、国内外からの観光客を大勢集めているらしい。 今は3会場に増えた雪祭りも、最初、大通り会場だけで実施されていた。 そ… 続きを読む
楽しかった日々 雪の中のくらし 雪かき 昭和35年頃。 富士見町5丁目あたりの、炭砿病院の線路をはさんで向かい側にあったあたりの住宅前。 雪のあと、日差しが出て来て家の前を雪かきに出る。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
楽しかった日々 屋根の上のスキー 家を埋め尽くすほどの雪が降った夜。 次の日、屋根の上には新雪が積る。 地面に積った雪と屋根からなだれ落ちた雪がつながってしまう・・・。 晴れた日には、そこは子どものスキー場と化す。 昭和35年(1960年)頃、場所不明。 白黒写真に着色した画像 https://ooy… 続きを読む
楽しかった日々 餅つき 昭和36年12月28日。 この日、祖父の家での餅つき。 祖父は、当時富野小学校に隣接する校長住宅に住んでいた。 玄関から入ると、左手に台所兼土間、右手に茶の間という間取りになっていた。 その土間で行なわれた餅つきだと思うが、土間はそれまで大夕張で見たことがなかったような広さがあった。 … 続きを読む
楽しかった日々 三菱大夕張炭砿病院 職員写真 昭和36年5月。 草の上には雪が未だとけ残る。 白黒写真に着色した画像 昭和36年頃 三菱大夕張炭砿病院職員写真 父と炭鉱病院【飯田雅人】 三菱大夕張病院は薬剤師であった父の職場でした。私は小さかった頃,富士見町6丁目下の病院とは目と鼻の先の線路をはさんだ公園のそばの家に住んでいました。 父… 続きを読む
楽しかった日々 宝町のクリスマス 昭和25年(1950年)12月25日。 宝町でクリスマスの日に子どもたちが集まった会が開かれた。 集まった子どもたちは宝町に住んでいた子どもたち。 場所はおそらく宝町の集会所だっただろう。 この日は子どもたちを集めて、今でいう『クリスマス会』のようなものが行なわれたのだろう。 敷かれたゴ… 続きを読む
楽しかった日々 昭和30年代 購買会前の行き交い 前回、『昭和30年代 購買会』の写真の一部を拡大した部分写真。 建物の姿とともに、行き交う人々の姿に当時の生活が蘇る。 季節はいつ頃だろうか。 浴衣を着た子どもの姿。 父親に手を引かれた幼い子ら。 赤ちゃんを背負った若い母親と立ち話に興じる和服姿の女性と背広を着た男性。 穏やかな人… 続きを読む
楽しかった日々 山スキー 栃木で生れ東京で薬学を学び、戦後三菱鉱業の大夕張炭砿病院に就職した父は、北海道に単身渡った。 富士見町の啓心寮に入った父は同じ、独身の寮の仲間たちと、時には病院の若い看護婦さん達を誘って、夏は野球、冬はスキーと、大夕張での独身生活を楽しんでいたという。 そんな父の、おそらく八百五十でのスキーでの… 続きを読む
楽しかった日々 昭和30年頃 川遊び 昭和30年頃(1955年)のシューパロ川での川遊び。 丸刈り頭の男の子が元気に走る。 川で遊ぶときは、素っ裸、あるいは褌というの姿は、ふつうに見ることができただろう。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
楽しかった日々 常盤町を背に|遠藤義博 私は昭和27年(1952年)産まれです。 子供の頃、常盤町に住んでました。 昭和55年に千歳市に住んでいて、鹿島中学校まで家族でドライブに。校舎も取り壊されグラウンドで、フキ採りをしたのが大夕張の最後の思い出です。その時は、大夕張が水没するとは思っていなくて、今考えると残念です。 今… 続きを読む
楽しかった日々 常盤橋と野球帽と 沢をまたぐ道路ができるまで、千年町と明石町方面結んだ常盤橋。 昭和47年常盤町の街並みを背にカメラに向かって何か話しているようなのは、菅原少年。吊橋の欄干に電飾がともる。お祭り、お盆の日だろうか。 常盤橋の電飾ですが、多分手掛けていたのはうちの父です。 炭鉱で電工場、いわゆる変電所ですか… 続きを読む
楽しかった日々 常盤町詰所の池? この写真について投稿者の菅原正広さんは次の様にいっていた。 これは何処ですか?分かる方居たら教えて下さい。そもそも大夕張なのかもわかりません。 弟と私の服や靴からみて昭和45〜6年だとは思うんですが。 昭和45年か46年頃 この写真を見て、自分は常盤町の詰所の横の池を思い出した。 も… 続きを読む
楽しかった日々 運動会の日|菅原正広 家族やご近所さん達と鹿島橋を渡っています。 バスケットやお重を提げているので、多分運動会に向かうところでしょうね。 皆笑顔であるところがミソですね。 大夕張の住民にとって運動会って一大イベントだったのがよく分かりますね。 昭和43年(1968年)頃… 続きを読む