思い出貼

雪降る鹿島小学校 校門 思い出の街角

雪降る鹿島小学校 校門

雪降る日 神社山の向こうの八百五十の尾根もかすんで見えない。 雪模様のそんな一日。   初めて訪れた人は不思議に思うかも知れない。 校門からは、鹿島小学校の正面は見えない。 街の方を向いて建っていない。    かつてはここは東の門であり、正面には三階建の校舎に相ふさわしい二メートル以上の高さがある校…
富士見ヶ丘スキー場 『食堂』 思い出の街角

富士見ヶ丘スキー場 『食堂』

スキー場のロープ乗り場のゲレンデには『山小屋風食堂』があった。 なんとよばれていたのかは、わからない。   昭和30年代、写真は『1961年~1971年 大夕張映像』のスクリーンショットから。   石野くんのお父さんが撮影した8ミリ映像にUHBがつけたキャプションでは、1961年となっている。   …
聖心幼稚園のクリスマス会 |石崎佳美 楽しかった日々

聖心幼稚園のクリスマス会 |石崎佳美

昭和44年頃、栄町の第二聖心幼稚園でのクリスマス行事の一コマ。      行事を終えてプレゼントを受け取る園児たち   幼稚園の匂いははっきり覚えています。  工作ののりの匂いです。  教室に入るとすぐわかります。のりの匂い。  小学校になってから幼稚園に行った時もその匂いは変わらず、、、 子供が幼…
雪にまみれて  楽しかった日々

雪にまみれて 

  昭和35年頃。 炭砿病院近くの線路そばの富士見町。   全身雪まみれになったのか、されたのか・・・。 この写真に、大夕張らしさがあるのかどうかとふと考えた。      家の前の道の周りに積った雪を超えると、そこに広がる雪原や、空き地に積って周りの畑とつながって境目のなくなった一面の雪。   そこ…
鹿島小学校 下校の行列 学び舎の思い出

鹿島小学校 下校の行列

学期末だろうか。両手に荷物を抱えて、いっせいに下校する姿にも見える。 それとも、正装しているような子も見えるので入学式だろうか? 確かに学校前の道は雪どけ道のようではある、がそれにしても・・・4月の大夕張はこんなに雪が多かっただろうか。     男の子は黒いランドセルに女の子は赤いランドセルを背負い…
工場地帯から夕張岳 思い出の街角

工場地帯から夕張岳

冬、送電塔が見える。おそらく工場地帯の高くなったところから写した写真だろうか。   『遙かなる思い出の故郷』の中で使用されている写真に着色した画像。 遙かなる思い出の故郷 https://ooyubari.com/2020/04/08/harukanaruomoide/  …
聖心幼稚園 見学旅行 学び舎の思い出

聖心幼稚園 見学旅行

昭和41年に第一聖心幼稚園を卒園した菅井さんが、園の行事でお出かけ、見学に出かけた先の写真。 大勢の保護者も一緒に参加しているようだ。   先生を中心に、話を聞いている園児達が反応して手を上げている。     場所は大夕張のどこかだろうか、園児たちをつれて当時、そう遠いところにでかけたとは思われない…
聖心幼稚園 キリスト誕生劇 学び舎の思い出

聖心幼稚園 キリスト誕生劇

この写真は、小学校横にあったカトリック教会の第一聖心幼稚園に通っていた菅井宏史さん(第1回卒園)が、『キリスト誕生劇』に「東方の博士役」を演じたスナップ写真。   昭和40年頃。 12月クリスマスの頃の幼稚園の行事。        第一聖心幼稚園と第二聖心幼稚園 https://ooyubari.c…
雪だるま 楽しかった日々

雪だるま

私の住む札幌では第74回の『さっぽろゆきまつり』が始まった。 2月4日から11日までの一週間、大通り、すすきの、つどーむの3会場で行なわれる。 今年は4年ぶりの全面開催ということで、国内外からの観光客を大勢集めているらしい。   今は3会場に増えた雪祭りも、最初、大通り会場だけで実施されていた。 そ…
昭和43年 鹿島小学校教職員 学び舎の思い出

昭和43年 鹿島小学校教職員

昭和43年(1968年)鹿島小学校教職員写真。 3月の卒業期、昭和42年度の年度末に撮影された写真だと思われる。   中田隆智(昭和29年12月20日着任~昭和47年8月31日退任)、正木英造(30年4月1日~47年3月31日)、木村統志子(31年1月20日~60年3月31日)、上野真廣(32年3月…
坂道 思い出の街角

坂道

曲がりくねった川と山の間にできたいくつもの河岸段丘。 その上のわずかな平地にできた住宅地を行き来するため、大夕張には橋と坂道が多かった。   春日町と弥生町を結ぶ坂、宝町と緑町を結ぶ坂、常盤町と明石町を結ぶ坂、駅から高校に向かう間の坂道・・・短い坂、長い坂道など思い出していくと、数限りなくわいて出て…
冬の裏山 思い出の街角

冬の裏山

  富士見町の住宅地から八百五十への尾根へと続く山。 昭和35年頃、富士見町6丁目の礦業所の前の坂の登るとてっぺんの家、坂の一番上の住宅に引っ越すことになった。   当時薬局にいた大橋秀雄先生が引っ越すことになり、その後に入ったのだった。 二軒一戸建ての住宅の、隣に田中さんが入っていて、その家には同…