思い出貼 2024年9月28日にビエンチャンで出遭ったオランダ人カップル|高橋正朝 #218 首題のオランダ人カップルに出遭った場所は、私が、ラオス出国時で、ビエンチャンのバスターミナルだった。 ヨーロッパ人は、他に、1人旅の若いロシア人女性だけで、私を含んだ他の8人はアジア人である。 ラオスの出国管理の手続きを終え、同じバスでタイの入国管理事務所に向かう… 続きを読む
思い出の街角 冬の炭住 冬の炭砿住宅。 真冬の厳冬期にしては積った雪の量は少なくみえる。雪の降り始めか、春近い雪どけ期か。 場所は、大夕張かどうかも含めてはっきりしないが、後ろの山と住宅の並びの感じが緑町や、宝町あたりの感じにとても似ている。 ちなみに物置小屋にプラスチック製のスノーダンプ(ママさんダンプともいう)… 続きを読む
街の行事 鹿島小学校下の出店 その2 6月14・15・16日の三日間に行なわれた大夕張の山神祭。 昭和45年頃、鹿島小学校の坂下にたくさんの出店が立ち並んだ。 こちら側は、鹿島小学校下の出店。 向かい側の線路沿いにも多くの店が並んだ。 元は、こちらのページにある映像から。 https://ooyubari.com/2022/… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロの風 その2 前回に続いて昭和40年「石炭の街ゆうばり」(STV制作)の映像中の一シーンをスクリーンショットして、着色、カラー化した画像。 シューパロ湖に浮かぶボート。昭和40年(1965年)頃の若者たちの姿の一コマ。 映像について詳しくは、次のページから。 https://ooyubar… 続きを読む
楽しかった日々 シューパロの風 昭和40年(1965年)頃、シューパロ湖に浮かぶボート。 背景の遠景は鉄道と湖畔の道路方面だろう。 シューパロ湖畔でボート遊びに興じる若者たち。 大夕張を遠く出て帰省した若者、地元大夕張で働く若者と久しぶりの再会を楽しんでいるのだろうか。 あるいは、できたばかりのダム湖に夕張方面から遊びに来た若… 続きを読む
思い出の街角 閉山直後の大夕張炭山駅 活気が失われた炭山駅。 線路枕木が撤去され、すでに雑草が伸び、荒れた印象の写真だ。 故郷の懐かしい駅を知るものにとっては、この写真を鹿島小学校の資料室で見た時には、心地好いものではなかった。というか、そこにあった『閉山直後』とキャプションされた写真の数々は衝撃的でさえあった。 街を地域をこうも破… 続きを読む
思い出の街角 三菱バス車庫と炭砿病院 昭和45年頃。 海抜318メートルにある街の上空半分を低く垂れ込めて覆う厚い雲。 雲の合間からさす強い陽射しがまぶしい。 大夕張の暮らしを思い出す。 白黒写真に着色した画像 バス車庫の思い出など 【飯田雅人】 黒い雲がおおう空。影できていることがから日差しはあるよ… 続きを読む
閉山を迎える街 昭和48年の街 その8 上村さんが、昭和48年に撮影という写真のシリーズから。 自分が住んでいたのは昭和46年3月までだったのだが、その当時と街並みはほぼ変わらないだろう。 栄町から富士見町方面を見渡した部分。 自分が富士見町6丁目に住んでいたのは、山のすぐそば、山の近く。 家の裏の沢を越えて道なき急な坂を登る、そ… 続きを読む
思い出の街角 三菱大夕張炭砿労働組合 組合事務所 三菱大夕張炭砿労働組合解散記念誌『未来にむかってたくましく進もう』から。 本の最初には写真が何点か載っている。 最初の写真は、大夕張の神社からの町の全景が折り込まれている。 その次のページに、「三菱大夕張」と中央に大きく描かれた炭労の旗と、昨日の取り上げた昭和48年月の解散パーティに集まった7人… 続きを読む
記念の日 三菱大夕張炭砿労働組合 歴代組合長 三菱大夕張炭砿労働組合解散記念誌『未来にむかって』から。 三菱大夕張炭砿閉山による労働組合の解散記念パーティにて顔を揃えた歴代の組合長たち。 1945年8月日本の敗戦後、昭和20年11月10日大夕張炭坑夫労働組合が発足。 戦後28年に渡り、炭砿労働者の生活環境や待遇改善を目指して闘争を行なった。… 続きを読む
音の風景 大夕張 鳥のさえずり -カッコウ- 以下百科事典風に書くと、 全長35cmほど、日本には5月頃に南方から夏鳥として飛来する。 オスの鳴き声がそのまま名前の由来となっており、メスは「ピッ、ピッ、ピッ」と鳴く。 体は細身で頭から背、翼の上面などは灰色、腹は白色で細かい横縞があり、雌には灰色部分が赤茶色をしたタイプもいる。 夏を告げ… 続きを読む
楽しかった日々 ふたり 炭鉱住宅の軒先。 虫採り網を立てかけ、虫かごをもたされて、「今はそんな気分じゃないよ」と、ご機嫌斜めの気分の中で、父がシャッターを切ったような、そんな記憶がおぼろげながら浮かぶ。 小さい頃よく女の子と遊んだ。 近所の公園や空き地に咲いた『たんぽぽの海』での「花摘み」 その後の、黄… 続きを読む
炭鉱とともに 大夕張礦業所 事務所 昭和40年頃 『昭和40年 大夕張礦業所 正門前』と同時期の撮影と思われる。 同じく色調を修正し、編集済。 下の元画像の色を修正編集した画像 大夕張礦業所事務所 元の写真 以下は、昭和36年発行『夕張市の企業と名士録』に掲載の大夕張礦業所。 https://ooyubari.co… 続きを読む
炭鉱とともに 大夕張礦業所 事務所 昭和30年頃 昭和30年代前半、おそらく1958年頃の大夕張礦業所事務所建物を撮影した写真。 白黒写真に着色した画像 昭和30年代の大夕張礦業所事務所 https://ooyubari.com/2021/05/06/kogyosyoko… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年 大夕張礦業所 正門前 この写真を含めて、大夕張の住民立ち退きが話題になり「ふるさと大夕張」を始めたころに、夕張市から大夕張の写真を提供していただいた、そのうちの一枚で、これまで大夕張の町の写真などを目にしたことがなかった自分にとって、本当にふるさとにもどったような気がしたものだった。 ここは大人たちの仕事場とい… 続きを読む
思い出の街角 錦町2丁目 スモモの木 昭和28年(1953年)頃 錦町2丁目2番にあった家の庭のスモモの木。 4月に鹿島東小学校への入学を控えた新1年生の男の子と、母の記念写真。 このスモモの木の下を錦町から泉町、大夕張方面に行く人が毎朝夕、通って歩いたという。 写真の左手、上り坂になり、1丁目3番と2丁目の… 続きを読む
音の風景 豆腐 ラッパ Too fuu・・・・ 大夕張の音の中で、幼い記憶にある豆腐屋さんのラッパの音。 夕張岳を正面に見据える富士見町6丁目方面の急な坂道。雨が降れば雨水が道路を坂道を上から下へと流れ落ち、その跡が道に幾多の起伏を刻んだ道路。 その6丁目の山の方にあった我が家にも豆腐屋さんのリ… 続きを読む
楽しかった日々 湖畔亭での食事風景 昭和42年頃のシューパロ湖湖畔亭。 窓の外には、当時のボートの影らしきものが映り込む。 手漕ぎボートや、遊覧モーターボート、湖畔亭の開業当時そんな時期が一時期あった。 いつものことながら、真ん中に写る人物の新聞に目が止まった。 『明日 発売開始』の文言とともに、『ある大統領の死』… 続きを読む
思い出の街角 湖畔亭での食事風景 食後の一服 食後の一服。 1960年に発売開始された昭和の大人気たばこ、『ハイライト』のパッケージがテーブルに置かれている。 昭和45年に80円に値上げされたというが、この時は発売当時の70円という値段だっただろう。 前回の『湖畔亭の食事風景 古新聞紙のエプロン』では、一見小部屋風にみえたが、湖畔亭の飲食ス… 続きを読む
思い出の街角 湖畔亭での食事風景 古新聞のエプロン シューパロ湖畔の『湖畔亭』、ラーメンや、カレーライスの話は、『思い出ばなし』にも出て来た。。 写真は、北海道名物ジンギスカンである。 ふるさとの「雄大な夕張岳と青く輝くシューパロ湖」を眺めながらのジンギスカンは、格別だったろう。 新聞紙に穴を開けて、そこから首を出して、遊んでふ… 続きを読む