思い出の街角 殉職者慰霊塔(千年町) 三菱大夕張炭鉱の事故犠牲者の霊を弔うために、大夕張在住の篤志家によって建てられた慰霊塔。 願正寺の山平セツさん、佐藤ハツさんらが中心になって建立された。 千年町の願正寺と妙法寺の横の小道から鹿島墓地に向かって、北に15メートルほど入ったところにあったという。 白黒写真に着色した画像 碑:… 続きを読む
運んだ、石炭を人を 塩狩峠ロケ列車 シューパロ湖岸、下り列車のNO.4。 『ふるさと大夕張』への掲載当時、撮影した長谷川潤一さんから、次のコメントをいただいた。 <長谷川潤一さんのコメント> 「塩狩峠ロケ」はラッセル車と同じ場所で雪中、撮ったものです。 三浦綾子原作で、確か松竹映画。 佐藤オリエ?が女優さんで来ていたと思いま… 続きを読む
楽しかった日々 だっこちゃん 昭和36頃、全国的にだっこちゃん(ダッコちゃん)ブームがあった。 『だっこちゃん』は、1960年(昭和35年)に発売された、空気で膨らませるビニール製の人形だった。 色は黒く、身体を傾けると片目でウィンクをする20cmくらいのかわいらしい人形だった。 協和会館での映画上映前の映画ニュー… 続きを読む
街の行事 昭和26年頃 メーデー 大夕張駅前 昭和26年頃、大夕張駅前のメーデーの様子。 左に三菱購買会,その奥に健保会館が見えている。 大夕張郵便局の辺りから撮影されたそうだ。 大夕張銀座とよばれた駅前の栄町商店街のメインストリート。昭和20年代は私の知る昭和40年頃と比べて,ずいぶん印象が違う。そもそも購買会は昭和30年代… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4) 手前の緑ヶ丘の教員ブロックの周辺から宝沢の泉町をはさんで、錦町・千年町と続く。 そして遠く、常盤町鹿島中学校の校舎まで見通すことができる。 昭和43年の白銀橋の落橋事故により、鹿島中学裏から白金に抜ける道路開削によってできた山の斜面の崖も見える。 『ふるさと大夕張2丁目3番地』… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-3) 昭和40年代、正面に見える夕張岳の南側の特徴的な山の頂は何とよんでいたのだろうか。 「あの山」の頂が、「そこにある」ことを意識しつつ、今回これを機に調べてもみたが、結局わからないまま現在に至ってしまった。 鹿島小学校の新校舎、三階の教室の窓から毎日見えていた山の姿。 夕張岳に連なる… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-2) 昭和40年代、正面、夕張岳には残雪、駅周辺の木々もこれから芽吹くという4月から5月初旬頃の大夕張か。 神社から見た全景よりは、低い位置からの写真のようだ。 参道の坂道の途中から撮影したのだろうか。 昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたものの2枚目。 前回一枚目も… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代大夕張パノラマ(四分割-1) 昭和40年代、栄町アパートの屋根が、平面の形状(陸屋根、りくやね・ろくやね)だったのが、片流れの傾斜ついたトタンの屋根が取り付けられた。 栄町ブロックのあたりは、青い屋根に煙突が続く・・・。 礦業所方面から鹿島小校門まで 昭和40年代の大夕張、パノラマ写真を四分割。北側から一枚ずつにしたもの。 … 続きを読む
思い出貼 千年町朝日荘前の階段 | 小野 美音子 1997年 朝日荘バス停から浴場に向かっておりる階段の跡 河井さんのおばさん、ありがとう・・ 私は、あの階段を降りて行った時のはずむような嬉しさを、今も忘れられません。 河井みちこ、ゆうこちゃん姉妹と楽しいままごと遊びが待っていたからです。 バス停まで、必ず笑顔で迎えに来てく… 続きを読む
楽しかった日々 長いスキーを担いで出発 昭和40年代の大夕張を、8ミリフィルムで撮影したテープをもとに編集された『遥かなる思い出の故郷』の中に、スキーをかついだ子どもたちが、炭鉱住宅の中を歩いていくシーンがある。 家の前にスキーを立てかけたスキー、自分の背の丈を超えた長尺のスキーをかついで歩いていく子どもたちの姿。 長いスキー… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの 【線路】 東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 線路 と題する文章。 【線路】 鉄の二本の線路を、 どこにいてもわすれない。 ・・・ いろいろな職場から、 いろいろな地域から、 ある人はバスで、ある人は汽車で… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【机】 前回の、東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)からの、夕張東高定時制の生徒たちの書いた文章。 ■坂道 ■机 ■線路 の中から 机 と題する文章。 【 机 】 どこに行っても忘れないもの それは机です。 ・・・ 教室の、あの場所に、自分の机が あります ・・・ 本… 続きを読む
学び舎の思い出 どこに行っても忘れないもの【坂道】 当時の夕張東高定時制の生徒達が作成した文章がある。 夕張東高校20年誌『シューパロ』(昭和47年10月)に掲載されたもの。 おそらく、以前『学び舎に思う』で紹介した、『鹿島のあゆみ』掲載の詩の原作がこれだと思われる。 どこに行っても忘れないもの と題して、 ■坂道 ■机 ■線路 の… 続きを読む
思い出の街角 大夕張駅に向かって 春日、弥生、代々木の3つの町の境界線が接するようなこの場所。 同じような立ち位置で撮影した写真に、『代々木アパート手前から』と『大夕張駅から代々木アパートまで』(下記参照)があるが、その二つの写真の中間あたりから撮影した写真だ。 おそらく撮影者の右手には中西豆腐店や代々木町の… 続きを読む