思い出貼

大夕張 鳥のさえずり -カッコウ- 音の風景

大夕張 鳥のさえずり -カッコウ-

以下百科事典風に書くと、 全長35cmほど、日本には5月頃に南方から夏鳥として飛来する。 オスの鳴き声がそのまま名前の由来となっており、メスは「ピッ、ピッ、ピッ」と鳴く。    体は細身で頭から背、翼の上面などは灰色、腹は白色で細かい横縞があり、雌には灰色部分が赤茶色をしたタイプもいる。  夏を告げ…
ふたり 楽しかった日々

ふたり

 炭鉱住宅の軒先。  虫採り網を立てかけ、虫かごをもたされて、「今はそんな気分じゃないよ」と、ご機嫌斜めの気分の中で、父がシャッターを切ったような、そんな記憶がおぼろげながら浮かぶ。       小さい頃よく女の子と遊んだ。  近所の公園や空き地でに咲いた『たんぽぽの海』での「花摘み」  その後の、…
大夕張礦業所 事務所 昭和40年頃 炭鉱とともに

大夕張礦業所 事務所 昭和40年頃

  『昭和40年 大夕張礦業所 正門前』と同時期の撮影と思われる。 同じく色調を修正し、編集済。   下の元画像の色を修正編集した画像      大夕張礦業所事務所 元の写真       以下は、昭和36年発行『夕張市の企業と名士録』に掲載の大夕張礦業所。   https://ooyubari.co…
昭和40年 大夕張礦業所 正門前 思い出の街角

昭和40年 大夕張礦業所 正門前

 この写真を含めて、大夕張の住民立ち退きが話題になり「ふるさと大夕張」を始めたころに、夕張市から大夕張の写真を提供していただいた、そのうちの一枚で、これまで大夕張の町の写真などを目にしたことがなかった自分にとって、本当にふるさとにもどったような気がしたものだった。     ここは大人たちの仕事場とい…
錦町2丁目 スモモの木 思い出の街角

錦町2丁目 スモモの木

    昭和28年(1953年)頃 錦町2丁目2番にあった家の庭のスモモの木。   4月に鹿島東小学校への入学を控えた新1年生の男の子と、母の記念写真。     このスモモの木の下を錦町から泉町、大夕張方面に行く人が毎朝夕、通って歩いたという。     写真の左手、上り坂になり、1丁目3番と2丁目の…
豆腐 ラッパ 音の風景

豆腐 ラッパ

 Too fuu・・・・  大夕張の音の中で、幼い記憶にある豆腐屋さんのラッパの音。          夕張岳を正面に見据える富士見町6丁目方面の急な坂道。雨が降れば雨水が道路を坂道を上から下へと流れ落ち、その跡が道に幾多の起伏を刻んだ道路。    その6丁目の山の方にあった我が家にも豆腐屋さんのリ…
湖畔亭での食事風景 楽しかった日々

湖畔亭での食事風景

  昭和42年頃のシューパロ湖湖畔亭。 窓の外には、当時のボートの影らしきものが映り込む。   手漕ぎボートや、遊覧モーターボート、湖畔亭の開業当時そんな時期が一時期あった。     いつものことながら、真ん中に写る人物の新聞に目が止まった。   『明日 発売開始』の文言とともに、『ある大統領の死』…
湖畔亭での食事風景 食後の一服  思い出の街角

湖畔亭での食事風景 食後の一服 

食後の一服。 1960年に発売開始された昭和の大人気たばこ、『ハイライト』のパッケージがテーブルに置かれている。 昭和45年に80円に値上げされたというが、この時は発売当時の70円という値段だっただろう。   前回の『湖畔亭の食事風景 古新聞紙のエプロン』では、一見小部屋風にみえたが、湖畔亭の飲食ス…
湖畔亭での食事風景 古新聞のエプロン 思い出の街角

湖畔亭での食事風景 古新聞のエプロン

   シューパロ湖畔の『湖畔亭』、ラーメンや、カレーライスの話は、『思い出ばなし』にも出て来た。。  写真は、北海道名物ジンギスカンである。  ふるさとの「雄大な夕張岳と青く輝くシューパロ湖」を眺めながらのジンギスカンは、格別だったろう。       新聞紙に穴を開けて、そこから首を出して、遊んでふ…
鹿島小学校から鹿島東小学校方面 思い出の街角

鹿島小学校から鹿島東小学校方面

  昭和40年頃、大夕張神社からの遠望。 神社の山の木々の間に鹿島小学校,宝沢の築堤の向こうに岳富町商店街。 そして遠く千年町、シューパロ川近くに鹿島東小学校グラウンドと、高台に見えるのは、桜・青葉荘か。   西日が商店街や校舎を照らし、眩しく照り返す。     白黒写真に着色した画像       …
道路開通記念碑前にて (2) 思い出の街角

道路開通記念碑前にて (2)

昭和42年頃のシューパロ湖畔。 道路か開通記念碑は、南部-明石町間の道路開通を記念して、昭和37年10月に建立。それから5年程立った頃。   ダムによってできたシューパロ湖は、富良野芦別道立自然公園の一画として風光明媚なその風景を印象づける。   数年後、三菱大夕張炭鉱の閉山を知る由もなく、新しくで…
道路開通記念碑前にて 思い出の街角

道路開通記念碑前にて

     昭和42年頃。  下の今さんのコメントにもあるように、一行4人が、シューパロ湖畔を訪れ、湖畔亭で食事をした際に写真をとった。    当時の道路開通記念碑は、湖畔亭横の小公園に、湖を背に立っている。    シューパロ湖と道路開通記念碑を背景にした記念写真。      白黒写真に着色した画像 …
昭和30年代の運動会 応援風景(4) 学び舎の思い出

昭和30年代の運動会 応援風景(4)

鼓笛隊の出番を終えて、家族の席で後の競技を観覧してしているのだろうか。   鼓笛隊の制服を来ている子どもたちの姿が散見される。   鼓笛隊の制服は、『鼓笛隊』の中で石原さんが書いているが、「クリ-ム色のベレー帽、まっ白のシャツにエンジ色のネクタイ、水色の半ズボンに、これまたまっ白の運動靴にハイソック…
昭和30年代の運動会 鼓笛隊行進 学び舎の思い出

昭和30年代の運動会 鼓笛隊行進

昭和30年代の鹿島小学校の運動会。 後ろに鹿島小学校の校舎と、国旗掲揚塔と、本部のテントが見える。   鼓笛隊の隊列を組んだ入場行進が始ったところだろうか。   国旗掲揚塔には、日の丸の旗と万国旗が取付けられ、風にそよいでいる。   白黒写真に着色した画像        親戚一同で応援しています。 …
昭和30年代の運動会 鼓笛隊入場 学び舎の思い出

昭和30年代の運動会 鼓笛隊入場

  鹿島小学校玄関前の鼓笛隊。 昭和30年代後半、当時、鹿島小学校の朝礼台は国旗掲揚塔のある正面玄関側に設置され、運動会の時にはこちらが正面になっていたと思う。   鼓笛隊の行進は、この場所から入場し、グラウンドを回ったことを、当時児童の一人として運動会に参加していた自分は朧気ながら覚えている。  …
昭和30年代の運動会 応援風景(3) 学び舎の思い出

昭和30年代の運動会 応援風景(3)

昭和30年代鹿島小学校の運動会 応援風景から。 土手からバックネット越しに、富士見町の家並みが見える。    写真にも観覧の人たちの間にロープが、通っているのが見える。   今では、観客席の区切りにトラロープのような丈夫な紐を使って席を設けるが、当時は、わら縄で父母席が区切られていた。   藁をより…
昭和30年代の運動会 お昼の弁当 学び舎の思い出

昭和30年代の運動会 お昼の弁当

昭和30年代鹿島小学校の運動会 応援風景から。 お昼のお弁当の時間。   重箱に詰められたおかず。 そして、水筒とともに、足下に置かれた一本の瓶。   ラベルから、メーカーまではわからないが、サイダーの瓶だとわかる。    サイダーは、この時期、お祭りや運動会での飲むことのできる特別な飲み物だった。…
昭和30年代の運動会 応援風景(2) 学び舎の思い出

昭和30年代の運動会 応援風景(2)

昭和30年代の鹿島小学校の運動会、応援風景。 よく見ると後ろの中学生たちの向こうにカトリック教会のキリスト像がみえる。   教会の講堂の前にはキリスト像とともにきれいに花を咲かせた花壇があった。   その花壇の木の柵が後ろに写っている。   白黒写真に着色した画像   蓙(ゴザ・ござ)を敷いて家族で…
昭和30年代の運動会 応援風景 学び舎の思い出

昭和30年代の運動会 応援風景

  昭和30年代。 カトリック教会と鹿島小学校グラウンドの間の土手あたり。   土手の前列のあたりには鉄棒があり、そこに身体を寄せて見物している人たちの姿も多い。     大勢の人たちが敷物を敷いて応援に熱が入る。 バックネットの向こうには富士見町の住宅。         白黒写真に着色した画像  …