思い出の街角 富士見町6丁目の記憶 昭和40年(1965年)頃 富士見町 私が富士見町6丁目に住んでいたのは小学校入学前あたりから,小学校3年生の頃まで。 鹿島小学校から帰る時は、校門を出て大夕張鉄道沿いの道を歩き、そこから山の方の坂道を上った。 反対に、鹿島小学校に行くには、そこから4丁目のあたりまで坂道になっていた。鉱… 続きを読む
大夕張の全景 南部 全景 昭和の初め、炭砿の中心が南部から北部大夕張へ、そして昭和48年以降ふたたび石炭で栄えた南部の街の全景。 中央に、三菱南大夕張炭砿と営林署の貯木場。 夕張岳を背に奥に大夕張ダム。 ダムから下流、夕張川が流れる。シューパロ川というのは二股より上流の呼び名だった。 一番手前が『菊水町』、右に橋… 続きを読む
思い出の街角 昭和48年 栄町商店街 TV番組の中で資料映像として流れたフィルムから、退色を補い彩色をほどこしてみた。 この頃、「メガネの福川」の看板の向こう、伊藤玩具店のあとできた「パチンコ」店、その隣にはよく見えないが、Cokeの赤いロゴと雀球平和の看板。ここは昭和43年の住宅地図では志村菓子店だった店。 そしてその隣の本間… 続きを読む
思い出の街角 昭和40年代 大夕張駅前 昭和45年(1970年)頃の大夕張駅前。 駅前広場から駅前の商店街を見る風景。 同じ位置からの写真は、これまでも見てきたが、微妙に看板などの標示に違いを見い出す。 人が住む「街」は生き続け変化をし続けているようだ。 「大夕張駅前の移り変わり」と題したページに掲載した三枚の写真の内の一枚。 元… 続きを読む
思い出貼 富士見町6丁目の坂|EZONORA 鹿島小学校を背にして、ほぼまっすぐの道路を進んで、どんづまりから少し下ったところの富士見町6丁目に住んでいたことがあります。 思いつくことといえば、鉱業所に勤務していた方だと推測しますが、大変太った方が、退社の時間になると、自力では坂道を登ることが無理があったのか、いつも同僚らしき人のズ… 続きを読む
思い出の街角 桜荘の庭 千年町の鹿島東小学校のグラウンドを見下ろす場所に、桜荘、青葉荘が建っていた。 ここは、桜荘の庭。 小さな池に向かって一心に遊んでいる一人の少女。 その向こう、遠くに見えるおばさんのいる道路を下っていくと、東小学校だった。 中学校行のバスも走った、舗装の途切れたあたりの道路。 道… 続きを読む
炭鉱とともに 選炭場 昭和40年代と思われる。三菱大夕張炭礦選炭場。 石炭の積込みには、ベルトコンベアについている秤で、炭の量が分かり、1台に積む石炭の量は、常に同じしくみになっていたという。 大夕張炭山 選炭場『大夕張炭労 解散記念誌(s47)所収』… 続きを読む
炭鉱とともに 選炭場の選炭婦たち 夕張のどの炭鉱も選炭場には、大勢の選炭婦と呼ばれる女性がいた。 大夕張炭砿にも選炭婦と呼ばれる女性たちがいた。 バンドと呼ばれるキャタビラー状の機械にのって流れてくる石炭を、炭塊の大小、岩塊の別などを素早く選別し、選り分けていた。 とかく男の荒々しい炭鉱の職場の中でも、ここは、晴れやかな活況… 続きを読む
思い出の街角 協和会館 天井には、柔らかく煌めくオレンジ色の照明。 座る椅子は、少し硬いが板の、はね上げ式の椅子。 映画の楽しさを教えてくれた場所。 会館前の看板に映画ポスターが見える。 右からの順になっている 23~24日 上のポスターは、これだけでは残念ながら文字が潰れてしまってわからない。 下のポスターは、 昭和44… 続きを読む
街の行事 お祭り集合写真(富士見町) 昭和37、8年頃。富士見町詰所前。 線路をはさんで向こうに健保会館の屋根が見える。 父がお世話役の一人としてうつっている。 男兄弟ふたりがいた我が家だったが、ここにはいない。 特に引っ込み思案で恥ずかしがりの私は、ここにいたとしても、雨のそぼ降るこの日の天気、早く帰りたくて泣きべそをかきながら立って… 続きを読む
思い出の街角 大夕張炭山駅を出発する列車 撮影した長谷川さんによると、昭和45年11月だという。 最近は、着色も少しは慣れてきて写真を見返す余裕も出てきたと自分でも思うけど、この時期の大夕張では晩秋、いつ雪がふるかという頃で、緑少し盛りすぎ・・・たか。 『ふるさと大夕張』の最初の頃から掲載させてもらっている写真も、色をつけて気がつくことが多… 続きを読む
思い出貼 カラスの襲撃 |石原賢治 小学5年の頃、ソロバンを習っていまして、ある日曜日に鹿島中学校で昇級試験がありました。 早めに富士見町の家を出て、歩いて中学校へ向かいました。 岳富町を通る時、何を血迷ったのか、歩道の上の擁壁伝いを歩いていました。 そう、鉄道のすぐ脇道を歩いたのです。 これは、正式な道ではありません。… 続きを読む
思い出の街角 富士見町 炭鉱住宅 白黒写真に着色した画像 チヒロ君の思い出 【飯田 雅人】 住宅の後ろの山がせまる感じが、富士見町5丁目あたりの山側の一段と高いところに、何軒か並んで建っていた住宅を思い出す。 実際、この炭砿住宅の形にははっきりとした記憶があって、幼稚園から小学校にかけて仲良かった西本チヒロ君が、山… 続きを読む
街の行事 弥生町から春日町へ降りて行く坂道を行く山神祭神輿 春日町から弥生町に登ってくる神輿を弥生町の崖の上から撮影した写真。坂のこちらは、弥生町3丁目、向こうは、4丁目ということになるのだろうか。 崖の下はすぐ春日町の炭住が建ち並ぶ。 駅前の通りの先を右手に曲がって、弥生町3丁目と4丁目の間をくだっていく坂道、弥生町の子どもたちにとっては、雪スケート… 続きを読む