思い出の街角 雪に埋まる街 昭和45年(1970年)頃だろうか、昭和30年代には炭住が建ち並んだ栄町の1番から10番までの土地は空き地が雪原になって目立つ。 児童会館の北側の栄町児童公園のあたりは、雪の下。 写真左上の大夕張駅方向から、協和会館、弥生町浴場、弥生町詰所、代々ギアパートのある交差点まで商店街の通りが延び… 続きを読む
思い出の街角 鹿島中学校常盤町校舎全景 II 鹿島中学校をグラウンドからみた画像。 正面に体育館。 体育館の前から広がる土手で、体育祭や体育の授業では、ここに腰掛けてサッカーやソフトボールの試合を見ながら、のんびりと先生や同級生たちと語らったことのある人たちも多いのではないだろうか。 向かって右手が昭和40年代には理科室や音楽室があっ… 続きを読む
記念の日 豆まきとひな祭り 今日2月2日は節分。 暦の上では明日が立春。 季節の変わり目に訪れるという邪気を払い、無病息災を願う行事とされている。 鬼払いの行事として、豆まきをしたり、今は節分料理として恵方巻を食べたりする家庭も多いだろう。 大夕張では、豆は「ラッカセイ(落下生)」をまいた。これは北海道では一般的だ… 続きを読む
写真 屋根の雪 その昔、吉井薬局となりのだるま食堂だった建物。 隣の建物とともに最後まで駅前に残った。 2002年冬 誰も居なくなった大夕張で、名残を残していた。 ドカ雪の翌日、トタン張りの屋根に積る雪が暖気にとけ、つららを伝った水が軒先にしたたる。 それでも春はまだ遠い。 2002年(平成14年… 続きを読む
思い出の街角 鹿島中学校常盤町校舎全景 I 鹿島中学校を常盤町の住宅街からみた画像。 玄関が三つ。 左手東側が生徒玄関。 中央が正面玄関。 向かって右手が西玄関。 西玄関は、給食室に近く主に物品の搬入に使われていたのだろうか。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
楽しかった日々 八百五十登行 その2 昭和28年(1953年) 前回『八百五十登行 昭和28年(1953年)』と同じ時の写真。 この日は湿った雪だったのだろうか、雪がつかないようにワックスを塗布している写真が残されている。 もっとも、大人たちはともかく、子どもたちはワックス、イコール白い蝋燭のことだった。 スキー場に出かけるときは必ず、ローソクを一本ヤッケの… 続きを読む
楽しかった日々 八百五十登行 昭和28年(1953年) 昭和28年2月15日。 写真の裏に「八百五十登行」と祖父の覚え書きがある。 この日は、カレンダーを見ると日曜日だった。 参加者は、中央に顔が見える石垣校長をはじめ、鹿島小学校の先生達の一行だったのだろう。 ところで「登行」・・・(とこう)という言葉に聞き覚えのある人もいたのでは。 スキー… 続きを読む
陳列棚 徽章コレクション 1998年2月5日、札幌駅近くの札幌第2ワシントンホテル2階『いろり番』で当時『ふるさと大夕張』のオフ会が行なわれた。ネットで知り合った人たちの初めての顔を合わせての会だった。 興奮冷めやらぬその様子は、今も『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の『交流会の記録』で読むことができる。 その際に、佐藤… 続きを読む
あらかると 昭和26年(1951年)鹿島東小学校 開校の頃 白黒写真に着色した画像 浜出栄子先生とは、自分が大夕張を出てから祖父の家で何度かお会いしたことがある。 叔母の結婚先の親戚筋になる。 その縁で、祖父の家には何度か遊びに来たことがあった。 すでに昭和も晩年の頃だったと思うが、その頃、自分も祖父の家で暮らしていたので、印象がある。… 続きを読む
あらかると 「町」の呼び方 今朝の新聞に日本の「市町村」の町の名を「まち」と読むか「ちょう」と読むか、どちらで読むかについての記事があった。 記事によると、東日本では「町」を「まち」西日本では「ちょう」と呼ぶ傾向にあるという。 その理由については不明、今後の研究に待たれると結論づけている。 「市町村」単位の「町」… 続きを読む
回想・随筆 黄色い旗と思い出ノート 3 以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。 平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第三集(平成12年分)を掲載します。 平成10年 すでに廃校に… 続きを読む
回想・随筆 黄色い旗と思い出ノート 2 以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。 平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第二集(平成10年~11年分)を掲載します。 平成10年 すで… 続きを読む
2丁目3番地 千年町小泉呉服店の風呂敷 先日久しぶりに鹿島小学校、中学校の時の同級生みほさんとメッセージのやり取りをした。 その中で「高校時代もっと勉強しておけば」という話題になった。 自分の事で恐縮だが、昔の風俗や暮らしに興味があった自分は、いまさら「万葉集」、「◯◯日記」などの古典ものにふれて(「読んで」とは言えない笑)昔の人… 続きを読む
2丁目3番地 夕張奇譚テーマソング タイムマシン 先日、『夕張奇譚 其の二 ダム湖に沈んだ街』で、紹介したYouTube番組の中に挿入されていた、夕張奇譚のテーマソング「タイムマシン」という曲。その曲の部分だけが編集されて、『ゆる怪』さんのYouTubeチャンネルにアップロ-ドされた。 そのことを制作者の『ゆる怪』さんが、コメント編の方にリン… 続きを読む
街の行事 大夕張山神社 裸まいり 1968年 2025年正月静かな元旦を迎えた。 札幌に住む自分にとって雪が積る窓の外の白い風景は、子どもの頃に過ごした大夕張の風景と何ら変わりがない。 とくに夜になると、窓の外の漆黒の闇をほんのり明るく照らす雪明りは、ある懐かい感情を覚えさせる。 写真の裸まいりの写真には、掲載されている『鹿島で暮… 続きを読む
続・大夕張つれづれ アニメ、〘 進め!ラビット 〙と、マンガ家〘 カゴ 直利 〙|高橋正朝 #229 表題の〘 進め!ラビット 〙は、ウィークデーの夜、5分間ぐらいのテレビ放送だった。 主人公はラビットで、相棒はタイガーだった。 私は、このアニメは、原作は、日本だとばかり思っていた。 その理由は、登場するアニメのキャラクターは、〘 カゴ 直利 〙が描くマンガのキャラクター… 続きを読む
思い出ばなし 12月28日の餅つき|Toshinori 我が家でも、炭鉱に住んで居た頃、餅つきをしました。 当時、炭鉱長屋では 年末12月28日が餅つきの日と決まっていました。 隣近所で早起きして、ぺッタン ぺッタンと、一斉に 餅つきの音が聞こえていました。 今となっては懐かしいです音です。 12月28日が、町中が 餅つき・・・。 各家々… 続きを読む
回想・随筆 黄色い旗と思い出ノート 1 以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。 平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第一集(平成10年~11年分)を掲載します。 平成10年 すで… 続きを読む
学び舎の思い出 昭和29年(1954年)鹿島小学校 職員写真 昭和29年3月20日。 この日に、卒業式が行なわれたのだろう、卒業記念写真と書かれている。 当時の鹿島小学校の先生たちの写真。 昭和29年3月卒業は第26回卒業生にあたる。 卒業担任は、対馬正徳、大滝寿雄、永森恒雄、池田久子、庭田和子、坂本昭雄の諸先生。 1学級の人数は50名を越え、6学級あ… 続きを読む
続・大夕張つれづれ テレビ番組オープニング曲、♪ 石から生まれたお猿の子、水簾洞の王様だ ••••••♪ | 高橋正朝 #228 前回、ヤン坊ニン坊トン坊のラジオドラマのことに触れた。 そして、ヤン坊役を演じた里見京子については、まったく記憶に残ってないことを吐露した。 ヤン坊ニン坊トン坊は、猿の兄弟の話しである。 猿が活躍する話しとしては、孫悟空がある。 以下の詞は、テレビ番組のオー… 続きを読む