思い出の街角

三吉神社 冬 1996 思い出の街角

三吉神社 冬 1996

平成8年(1996年)12月10日。 雪の中を神社に向かって人が歩いた細い一本の道が続いている。 静寂の中の三吉神社。   母、祖父母が千年町に住んでいたという投稿名「まゆゆ」さんが投稿された写真から。 神社の境内での参拝や祭り、隣につづく児童公園で遊んだことを覚えている人も多いだろう。      …
大夕張商店街 冬 1996 思い出の街角

大夕張商店街 冬 1996

平成8年(1996年)12月10日の大夕張郵便局から商店街にかけて。 母、祖父母が千年町に住んでいたという投稿名「まゆゆ」さんが投稿された写真から。  まゆゆさんの投稿は、次のページのコメント欄から。 https://ooyubari.com/2020/01/30/s433titosema…
大夕張駅冬 1996  思い出の街角

大夕張駅冬 1996 

平成8年(1996年)12月10日の大夕張駅。 母、祖父母が千年町に住んでいたという投稿名「まゆゆ」さんが投稿された写真から。 冬の旧大夕張駅駅舎。     まゆゆさんの投稿は、次のページのコメント欄から。 https://ooyubari.com/2020/01/30/s433titosemati…
鹿島橋 旧橋の跡 思い出の街角

鹿島橋 旧橋の跡

 かつて『ふるさと大夕張』の写真掲示板に投稿された、「常盤町に渡る手前の千年町側から」の写真だ。    投稿してくれた方の名前もデータもなくなり、わからなくなってしまった。     鹿島中学校への登校途中、鹿島橋の上から旧橋の橋脚の土台を左手に見ながら歩いた記憶はある。      「ああ、昔の橋のあ…
代々木町から春日町へ -直心の坂- 思い出の街角

代々木町から春日町へ -直心の坂-

 大夕張駅前から駅前通りを緩やかに下り、そこから春日町に行くには、大きくいうと二つの方法があった。    弥生町側から入ると春日南、代々木町側から入ると春日北にでた。    下の地図に書き込んだのはその道である。弥生町側にはさらに二つの道がある。    小学生の頃、春日町の同級生のところに遊びに出か…
昭和52年の大夕張全景(#5/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#5/5)

 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの鹿島小学校の裏、宝沢・千年町にかけて望む最後の一枚。    それにしても、手前の神社登り口周辺の木々の繁殖ぶりが、やけに目につく。    全景写真『大夕張秋暮色』に、昭和49年に同じ場所から撮影された、岳富千年…
昭和52年の大夕張全景(#4/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#4/5)

昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 ここに見える弥生町、そして川沿いの春日町は閉山直後にすべての炭鉱住宅が取り壊され緑の広野になっている。 浴場の建物が残る緑町もその半分になった。   鹿島小学校の東側に新体育館が建設中だ。     昭和5…
昭和52年の大夕張全景(#3/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#3/5)

 昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。  理容フレンド裏、石炭置き場への鉄道の引込線のあった辺りや、購買会バックヤード、倉庫群などがあった辺りが中心に写る。  三菱大夕張炭鉱閉山の直前、鹿島の人口およそ11000人から閉山を経て4年、住民は約…
昭和52年の大夕張全景(#2/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#2/5)

昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 三菱大夕張炭鉱閉山から4年目。 栄町2丁目から代々木町にかけての木造の炭鉱住宅がなくなっているのが、すぐに目に付く。 栄町の購買会支所や、かつての炭鉱病院、健保会館も赤茶けた錆の浮いたトタン屋根が目立つ。…
昭和52年の大夕張全景(#1/5) 思い出の街角

昭和52年の大夕張全景(#1/5)

昭和52年(1977年)の大夕張を山神社のあった場所から撮影した5枚組の全景写真のうちの一枚。 三菱大夕張炭鉱閉山から4年目。 手前のスキー場から奥のズリ山までの間、富士見町には残されたブロック住宅とともに、啓心寮、倶楽部といった会社の建物がまだ残されている。  …
常盤町川沿の炭住 昭和34年頃 思い出の街角

常盤町川沿の炭住 昭和34年頃

手前のつり橋は、千年町と常盤町を結ぶ初代暁橋、奥にはバス(山内線)も走った旧鹿島橋が見える。 鹿島橋の側には鹿島東小学校の校舎。   昭和24年(1949年)に住宅地として山林を開き新築完成した常盤町の炭鉱住宅街だったが、大夕張ダム関連の工事で、昭和36年に暁橋と鹿島橋は新しい橋に付け替えらた。  …
大夕張圃園全景 思い出の街角

大夕張圃園全景

 大夕張地区では、昭和5年から人工林の育成が始められた。    帝室林野局札幌支局大夕張出張所が昭和14年に設置され、昭和22年4月に大夕張営林署となった。    昭和29年の洞爺丸台風で大きな被害を受け跡地整理のために、トドマツを中心に針葉樹が植栽された。  昭和31年には、学校林として、鹿島中学…
殉職者慰霊塔(千年町) 思い出の街角

殉職者慰霊塔(千年町)

三菱大夕張炭鉱の事故犠牲者の霊を弔うために、大夕張在住の篤志家によって建てられた慰霊塔。 願正寺の山平セツさん、佐藤ハツさんらが中心になって建立された。 千年町の願正寺と妙法寺の横の小道から鹿島墓地に向かって、北に15メートルほど入ったところにあったという。   白黒写真に着色した画像     碑:…
昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4) 思い出の街角

昭和40年代大夕張パノラマ (四分割-4)

   手前の緑ヶ丘の教員ブロックの周辺から宝沢の泉町をはさんで、錦町・千年町と続く。    そして遠く、常盤町鹿島中学校の校舎まで見通すことができる。    昭和43年の白銀橋の落橋事故により、鹿島中学裏から白金に抜ける道路開削によってできた山の斜面の崖も見える。   『ふるさと大夕張2丁目3番地』…