思い出の街角

富士見町6丁目の記憶 思い出の街角

富士見町6丁目の記憶

   昭和40年(1965年)頃 富士見町  私が富士見町6丁目に住んでいたのは小学校入学前あたりから,小学校3年生の頃まで。  鹿島小学校から帰る時は、校門を出て大夕張鉄道沿いの道を歩き、そこから山の方の坂道を上った。  反対に、鹿島小学校に行くには、そこから4丁目のあたりまで坂道になっていた。鉱…
昭和48年  栄町商店街 思い出の街角

昭和48年  栄町商店街

TV番組の中で資料映像として流れたフィルムから、退色を補い彩色をほどこしてみた。   この頃、「メガネの福川」の看板の向こう、伊藤玩具店のあとできた「パチンコ」店、その隣にはよく見えないが、Cokeの赤いロゴと雀球平和の看板。ここは昭和43年の住宅地図では志村菓子店だった店。   そしてその隣の本間…
昭和40年代 大夕張駅前 思い出の街角

昭和40年代 大夕張駅前

昭和45年(1970年)頃の大夕張駅前。 駅前広場から駅前の商店街を見る風景。 同じ位置からの写真は、これまでも見てきたが、微妙に看板などの標示に違いを見い出す。 人が住む「街」は生き続け変化をし続けているようだ。     「大夕張駅前の移り変わり」と題したページに掲載した三枚の写真の内の一枚。 元…
桜荘の庭 思い出の街角

桜荘の庭

 千年町の鹿島東小学校のグラウンドを見下ろす場所に、桜荘、青葉荘が建っていた。    ここは、桜荘の庭。  小さな池に向かって一心に遊んでいる一人の少女。  その向こう、遠くに見えるおばさんのいる道路を下っていくと、東小学校だった。  中学校行のバスも走った、舗装の途切れたあたりの道路。     道…
協和会館 思い出の街角

協和会館

天井には、柔らかく煌めくオレンジ色の照明。 座る椅子は、少し硬いが板の、はね上げ式の椅子。 映画の楽しさを教えてくれた場所。 会館前の看板に映画ポスターが見える。 右からの順になっている 23~24日 上のポスターは、これだけでは残念ながら文字が潰れてしまってわからない。 下のポスターは、 昭和44…
大夕張炭山駅を出発する列車 思い出の街角

大夕張炭山駅を出発する列車

撮影した長谷川さんによると、昭和45年11月だという。 最近は、着色も少しは慣れてきて写真を見返す余裕も出てきたと自分でも思うけど、この時期の大夕張では晩秋、いつ雪がふるかという頃で、緑少し盛りすぎ・・・たか。 『ふるさと大夕張』の最初の頃から掲載させてもらっている写真も、色をつけて気がつくことが多…
富士見町 炭鉱住宅 思い出の街角

富士見町 炭鉱住宅

白黒写真に着色した画像   チヒロ君の思い出  【飯田 雅人】    住宅の後ろの山がせまる感じが、富士見町5丁目あたりの山側の一段と高いところに、何軒か並んで建っていた住宅を思い出す。    実際、この炭砿住宅の形にははっきりとした記憶があって、幼稚園から小学校にかけて仲良かった西本チヒロ君が、山…
大夕張駅前から代々木アパートまで 思い出の街角

大夕張駅前から代々木アパートまで

 昭和48年閉山後の写真。  駅前の通りをずっとくだり,春日町へ続く坂の手前、舗装が途切れであたりで振り返るとこんな光景が広がった。  春日町・弥生町・代々木町の分岐点とも言う場所か・・・。  道路をはさんで、左側が弥生町、右側が代々木町。  左にいくと、春日町に降りるもう一つの広い道。  遠くには…
千年町消防分遣所 思い出の街角

千年町消防分遣所

千年町のバス通りに面して建ち、大夕張劇場の東側にあった。 ポンプ車一台が配置されていたという。 昭和52年8月に廃止となったが、建物の一部はその後も、平成10年頃まで残った。   白黒写真に着色した画像   平成10年頃に残る建物   千年町消防付近地図 【大夕張の消防】 大正5在郷軍人を中心主体に…
二股ダム地点(大夕張ダム) 思い出の街角

二股ダム地点(大夕張ダム)

大夕張国営かんがい排水事業 記念史(1967.10.23)より 同書には、ダム地点として掲載させている。 大夕張ダム着工以前の二股(南部)より上流の写真、ダム工事に着手する昭和29年(1954年)前後の写真と思われる。   遠くに夕張岳 左手の崖に大夕張鉄道 右手の崖に桜ヶ岡の開拓農家が数軒見える。…
栄町1丁目の通り 思い出の街角

栄町1丁目の通り

 昭和32年11月に栄町アパートが完成し、入居が始まった。  外便所だった炭住も内便所になったという。  見えている栄町アパートは、こちらから、1丁目14番。13番、12番。  12番の隣は、・・・昭和40年代は、空き地だった。  ここでは、古い住宅が見える。  昭和36年の大夕張上空からみた『台地…
開拓から白銀橋 思い出の街角

開拓から白銀橋

昭和34年に建設された白銀橋。 雪どけの時期、残雪が多く残る畑の向こうに橋が見えて、その向こうまでの明石町の道路や、住宅が見通すことができる。 昭和30年中頃だろうか。 尚、白金地区が「開拓」から「鹿島白金」と地名変更になったのは、昭和44年。     白黒写真に着色した画像  …
サトミ会館 思い出の街角

サトミ会館

   千年町のサトミ会館。  鹿島中学の頃、ある時期、暁橋を渡って、「サトミ会館」の横を通って登下校していた。      特に、午後の学校帰り、建物を覆う目隠しのように貼られた板の入り口から見える、暗い空間に「いったい何があるのかと』、純情な中学生は、横目を使っておそるおそるのぞきたい気持ちと、なん…
鹿島労働会館 思い出の街角

鹿島労働会館

昭和47年頃 千年町 千年町にあった鹿島労働会館。戦後、結婚式や宴会、様々なイベントで活用されていた。   白黒写真に着色した画像   母が労働会館に勤務  【阿部照子(旧姓白岩)】  開館時に、母が管理人及び調理師として住み、身体を壊すまで住んで居ました。  父は役所でしたので小学生の私は両方を、…