2丁目3番地 ススキとホオズキ もうすぐ中秋の名月、今年2023年は、9月29日である。 子どもの頃は、秋になるとススキとホオズキが毎年の行事のように、窓辺に親が飾っていた。 母が毎年この時期になるとそうしたのだが、ススキやホオズキを採ってくるのは、子どもだった自分の役割だった。 今はススキはともかく、ホオズキは家… 続きを読む
2丁目3番地 ソニー(SONY)号空飛ぶ冒険 昭和34年(1959年)鹿島小学校グラウンドのソニー号 ソニー号について、初めてその名を聞いたのは、もちろん大夕張にいたときではなくて、2001年頃に内川さんから、大夕張上空を周回するその映像を見せていただいたときだった。 いきなり画面タイトルに「ソニー号来校」と出てくるから、これはもう、… 続きを読む
2丁目3番地 シューパロ川の化石 今日(2023年7月24日)、北海道新聞12面(道央版)に、かつて大夕張の鹿島小学校グラウンドで公園を行なったという『木下大サーカス』が札幌で公演中という記事とともに、『夕張の化石に触れて』というタイトルで室蘭市で開催中の展示について写真付で紹介されている。 記事を要約すると、『DENZ… 続きを読む
2丁目3番地 昭和48年11月鹿島中学校生徒住所録 ここに送ってもらった一冊の『鹿島中学校生徒住所録』と書かれた名簿がある。(正確に言うとそれを撮影した写真だが) 藁半紙をホッチキスで閉じただけ簡素な作りの名簿は、黄ばんで文字も薄くなっている。 発行された日付は、昭和48年11月。 三菱大夕張炭鉱閉山が決定した1973年… 続きを読む
2丁目3番地 シナノキ 7月上旬のある晴れた日の夕方、散歩をしていると、小さな白い花を付けている木の下を通りかかった。 すると、日中のあたたかい空気の名残りに混じって覚えのある甘い香りがした。 それはどことなく懐かしく、子どもの頃の夕暮れ時の家路につく道端の樹と同じ匂いだと思った。 さっそくスマホに… 続きを読む
あらかると ダニ峠の物語 伝説狐つき むかしむかし、大夕張が南部で、その南部に大夕張炭坑があったころの大正時代のはなし。 ダニ峠で行方不明になった数え年五歳の男の子が発見されるまでの顛末。 『二十年史』(大夕張労働組合)の第一編南部大夕張時代から蒐集。 伝説 狐つき 大正末期、南部にも流行歌が唄われ始めた。 逢いた… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張に向かう三つの道(3) 大夕張と南部を遮る壁 ダニ峠 『むかしの道ろ(昭和6年ころ)』(一部拡大) 上の鹿島小学校の資料地図で、南部と大夕張の間、シューパロ川とパンケモユーパロ川が合流し、『二股』といわれたところ、・・・(かつて大夕張ダムはその合流地点に作られた)の山側に、道が折れ曲がった線で描かれているところがある。 青葉峠(通称『ダニ峠』通… 続きを読む
あらかると 本流越 大夕張と夕張の間にある標高875メートルの山を著者の小林政雄さんは、『本流越』と呼んだが、地図やその他でその名前を探すと、幾筋の流れ出る川の名前とともに、山頂をしめす地図記号と標高点の873.6の文字だけが書かれていて、山の名称は書かれていない。山は俗称と言われるものがあるが、その一つだっ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張に向かう三つの道(2) 本流越 現地を踏破しようというそんな無謀な企てを図る体力も気力はないので、地図を眺めながら、空から眺めて遊ぶ時間です・・・。 小林政雄著『夕張風物抄』という本の中に『本流越』という名で、夕張市と大夕張との中間に、位置する山が出てくる。 夕張市小松の西方4キロメートル、海抜875メー… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張へ向かう三つの道(1) 鹿島小学校にあった郷土室の資料に、昭和2年頃大夕張に向かう『むかしの道ろ』という掲示物があった。 その解説文には次のようにある。 むかしの道ろ(昭和2年ころ) むかし、鹿島まで、3つの道路がありました。 一つは、南部の若葉鉱(今はない)から、山道を通ってきました。 もう一つは、万字炭山か… 続きを読む
2丁目3番地 白銀橋が見えた風景 1997 明石町に近づくと、道路脇の木立が途切れて、湖水の上に浮かびあがる白銀橋。 右手に続く湖の先にこの橋が見えると明石町の町は もうすぐだ。 「大夕張に帰る」 そんな思いが、よりいっそう強くなった。 近づくにつれて感じていた、わくわく感というか、ドキドキ… 続きを読む
あらかると 白銀橋と古のシューパロの流れ 前々回、『白銀橋上から古のシューパロの流れ』の写真と反対側にあたる。 川の流れでいえばシューパロ川の下流方向から白銀橋を見ている。 2005年撮影 今は湖底にその姿を留める この写真も2005年頃、夕張シューパロダム工事関連の一つとして大夕張ダムの湖水が抜かれた時に撮影した画像。 … 続きを読む
あらかると 白銀橋上から古のシューパロの流れ 訪れるといつも満々と水を湛えていた印象の強い白銀橋周囲のシューパロ湖だったが、2005年にダム湖の水を抜いたことがあった。 その時、白銀橋の上から撮影した写真。 橋の白金寄りのところで北に向けてシャッターを切った。川伝いに左側(上流)に向かえば、明石町方面に出る。 湖水を抜いたとあ… 続きを読む
あらかると 開拓橋建設と共栄橋の位置 ふるさと誌「しろがね」から。 以前掲載の「共栄橋」を渡る人物と同じ、服装や雰囲気から同じ日に撮影された写真のように見える。 Tokio Tanikawaさんのお父様が写っているというコメントがFB版であった。写る人物は谷川さんらしい。 写真には、「白銀橋の建設作業」(昭和34年頃)とい… 続きを読む