あらかると 昭和26年(1951年)鹿島東小学校 開校の頃 白黒写真に着色した画像 浜出栄子先生とは、自分が大夕張を出てから祖父の家で何度かお会いしたことがある。 叔母の結婚先の親戚筋になる。 その縁で、祖父の家には何度か遊びに来たことがあった。 すでに昭和も晩年の頃だったと思うが、その頃、自分も祖父の家で暮らしていたので、印象がある。… 続きを読む
あらかると 「町」の呼び方 今朝の新聞に日本の「市町村」の町の名を「まち」と読むか「ちょう」と読むか、どちらで読むかについての記事があった。 記事によると、東日本では「町」を「まち」西日本では「ちょう」と呼ぶ傾向にあるという。 その理由については不明、今後の研究に待たれると結論づけている。 「市町村」単位の「町」… 続きを読む
2丁目3番地 千年町小泉呉服店の風呂敷 先日久しぶりに鹿島小学校、中学校の時の同級生みほさんとメッセージのやり取りをした。 その中で「高校時代もっと勉強しておけば」という話題になった。 自分の事で恐縮だが、昔の風俗や暮らしに興味があった自分は、いまさら「万葉集」、「◯◯日記」などの古典ものにふれて(「読んで」とは言えない笑)昔の人… 続きを読む
2丁目3番地 夕張奇譚テーマソング タイムマシン 先日、『夕張奇譚 其の二 ダム湖に沈んだ街』で、紹介したYouTube番組の中に挿入されていた、夕張奇譚のテーマソング「タイムマシン」という曲。その曲の部分だけが編集されて、『ゆる怪』さんのYouTubeチャンネルにアップロ-ドされた。 そのことを制作者の『ゆる怪』さんが、コメント編の方にリン… 続きを読む
2丁目3番地 夕張奇譚 其の二 ダム湖に沈んだ街 前回12月3日に紹介した『夕張奇譚 其の一 炭坑夫の思い』に続いて『ゆる怪』チャンネルの夕張奇譚シリーズの第二弾だ。 題材を湖に沈んだ大夕張に、未来と過去と現在の思いを交差させながら舞台をシューパロ湖畔に取り上げている。 自分もしばしばシューパロ湖の湖畔を訪れる。 眼前に見えているのは、青々… 続きを読む
2丁目3番地 夕張奇譚 其の一 炭坑夫の想い ・・・・という表題のYouTube番組がある。 『ゆる怪』というチャンネルで、概要欄には、『実際にあったちょっと不思議な「怪異」を紙芝居形式でご紹介 チャンネル名の由来は、ゆるい怪異→略して「ゆる怪」』 そんな風に紹介されている。 炭砿によくありそうな暗い怪談ばなしを取り扱っているのか・・・… 続きを読む
あらかると 1997年の街歩き 閉山後の誘致企業 写真は、イサオ製作所。 旧礦業所事務所のゲートを入って、敷地内に入ったところ。 開け放たれた扉に向かって、広く道が続いていた。 1997年5月この時、工場はまだ稼働しているようだった。 イサオ製作所夕張工場(旧三菱大夕張礦業所事務所) 1973年の閉山後した後、大夕張に残った住民… 続きを読む
2丁目3番地 迷信 無邪気な迷信 道路を黒い猫が横切ると悪いことがおこる 13日の金曜日には何か悪いことがおこる 箸から箸に食べ物を渡してはいけない 三人並んで写真を撮ると真ん中の人が早死する 夜に爪を切ると親の死に目に会えない 夜口笛を吹くと泥棒に入られる 大夕張の夜は暗かった。 駅前… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 全 出典は昭和53年刊『鹿島のあゆみ』から、鹿島小学校教諭米沢作朗先生の『大夕張山歩記』を、以前、自分のコメントとともに、月ごとに分けて掲載した。 今回、それを自分の文章を省いて、一つにまとめた。 以前の月ごとに掲載された文章をご覧になりたい方は、下の『大夕張山菜記』のタグからどうぞ。 … 続きを読む
あらかると 夕張シューパロダム本体着工へ(平成17年度) 以下の資料、今手元にないので詳細は不明だが、記憶では、平成17年(2005年)頃、江別の石狩川夕張川周辺にあるたまたま立ち寄った施設で入手した。 北海道開発局の河川事業のPRの広報誌で、一般向けに掲載されていた『夕張シューパロダム本体着工へ』のお知らせ。 … 続きを読む
あらかると 大夕張ダム(二股ダム)工事着工 昭和30年頃 大夕張ダム工事に伴って、森林鉄道移設工事(三弦橋架設工事を含む)や、三菱大夕張鉄道の付け替え工事、水没する炭住の移転、各町を結ぶ橋の移設などが、同時に進んだ。 写真にうつる壁のような建築物は、はダム本体のややシューパロ川上流に作られた仮締切。 白黒写真に着色した画像 … 続きを読む
2丁目3番地 今さんの写真 その2 だいぶ前に『今さんの写真』で書いたように、多くの貴重な写真を掲載させていただいているリプこと今雅秋さんと昨年の夏、大夕張掲示板をきっかけに連絡がとれた。 17年ぶりのメールの再会となった。 そして昨年(2023年)の秋には、『2020年の大夕張の旅写真』と題する写真を14回にわたって紹介させ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 釣り 時期になると、シューパロダム周辺から上流にかけて、釣りに来たらしい人の車が駐車してあるのをみかけることがある。今もあのあたりは、アメマスを狙う釣り人たちとって、いい釣り場となっているのでしょう。 アメマス 昔、ワカサギは大夕張ダムでシューパロ湖ができて以来、その名をよく耳にし、地物かど… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り11月 米澤先生の大夕張山歩記も、山菜採りは11月の項で終わり。 むしろあの冷涼だった大夕張で11月まで山菜採りができたことに驚きを感じる。 JA上川のホームページでの紹介によると、「えぞゆきのした」は、えのき茸の原種に近く一般的なえのき茸と比べて、傘は卵色、茎は茶色でコリコリとした歯ごたえ、風味が良く… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り10月 大夕張の10月。 寒い日が続き、下旬頃には初雪も訪れる。 いよいよ冬が迫るころ。 山ブドウの木は、鹿島小学校から山神社に向かう坂道の土手の蔦や枯草が絡まった中に小さな黒っぽい実をつけていた。 我が家では、家に持ち帰っても、親がそれを利用することもなかったので、採って帰ったりはしなかった。 山ブドウ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 9月 秋、9月は、まさにキノコ狩りのシーズン。 ラクヨウは、ハナイグチといい、北海道ではボリボリと並んで、キノコ狩りで人気があるようだ。 自分は、ラクヨウとボリボリくらいしか知らないが、キノコもいろいろな種類や呼び名があり、奥が深い。 自然に恵まれた大夕張の暮らしの中で、愛好家の人たちも多かっ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 7月8月 北海道ではナラタケの別名でボリボリという。 自分は、ボリボリという語感になつかしさを感じる。 「ボリボリとってきたから」と、近所のおじさんからよくお裾分けをいただいていた。 我が家では、味噌汁やてんぷらにして食べるが多く、おいしかった。 住宅地も山の中にあるようなものだから、ちょっと道を外れ… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 6月 6月は山菜採りのハイシーズン。 自分の身の周りにも、山菜採りを趣味としている人たちがいて、休日になると毎週のようにでかける。 それぞれ自分のしまをもっていて、その場所はそれぞれ『秘密』のようだ。 山菜採りは人を夢中にさせるようで、『Kawauchiさんの初音沢より夕張岳~竹の子採りの思い出~』… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り 5月 最近は5月に入ると札幌のスーパーにも生フキや、ウド、アイヌネギなど山菜が店頭に並ぶ。 シイタケは食材として色々活用されるが、バター焼きは我が家では弁当のおかずの一品によく入っていた。 アイヌネギは、行者ニンニクともいい、コゴミとともに醤油漬けにして食べた。 大夕張に住んでいたころに山で採った… 続きを読む
2丁目3番地 大夕張山歩記 山菜採り4月 『鹿島のあゆみ』(昭和53年刊)鹿島小学校米澤作朗先生が書かれた文章から。 『大夕張山歩記』というタイトルで、1年間を月別に、大夕張での山菜採りと、釣りについて書かれている。 当時暮らした人たちの身近だった山菜採りや、釣りのことは、こどもだった自分にもその雰囲気が伝わってくる。 下の文中、えぞの… 続きを読む