運んだ、石炭を人を

塩狩峠ロケ列車 運んだ、石炭を人を

塩狩峠ロケ列車

シューパロ湖岸、下り列車のNO.4。   『ふるさと大夕張』への掲載当時、撮影した長谷川潤一さんから、次のコメントをいただいた。   <長谷川潤一さんのコメント>  「塩狩峠ロケ」はラッセル車と同じ場所で雪中、撮ったものです。 三浦綾子原作で、確か松竹映画。 佐藤オリエ?が女優さんで来ていたと思いま…
大夕張鉄道 車内風景 運んだ、石炭を人を

大夕張鉄道 車内風景

 車窓には、冬景色。  この写真を撮影した本間正雄さんからは、昭和62年頃の撮影だと聞いた。    そうだとすると、すでに大夕張炭鉱閉山から14年が経ち、大夕張鉄道も昭和62年7月に、清水沢~南大夕張間7.6Kmが全線廃止になる。  その直前の冬の頃だろうか。    昭和60年(1985年)に62名…
昭和35年 遠幌駅 運んだ、石炭を人を

昭和35年 遠幌駅

昭和35年 遠くに、ホームと「えんほろ」の駅名標が見えている。 下記『山史』によると、 北炭(北海道炭礦汽船)が遠幌炭鉱を開発、昭和23年に送炭を開始した。 同年6月18日に、北炭が駅舎社宅を完成し、北炭から提供を受けた。 営林署、北夕炭鉱、北菱鹿島炭鉱の岐線があった。 白黒写真に着色した画像   …
崩落現場越しにふり返る 運んだ、石炭を人を

崩落現場越しにふり返る

 崩落による大夕張鉄道の列車折り返し運転の5枚の写真のうちの一枚。  夕張方面に向かう大勢の乗客の姿はすでに乗り換えを終えたのか、数人の高校生と乗客の姿が歩いてこちら側に向かっている姿と、工事関係者たちが崩落現場で崖を見上げている姿が見える。     白黒写真に着色した画像 ↓白黒写真はこちらのペー…
土砂に覆われた現場と待機する列車 運んだ、石炭を人を

土砂に覆われた現場と待機する列車

 昭和35年(1960年)  元画像の状態が不鮮明で、白くボケて見にくいところがあるが、崖から崩れた土砂が、広範囲にわたって、分厚く線路の上に覆い被さっている様子が見て取れる貴重な写真である。  現場を迂回して前方の待機している列車に乗り込む高校生たち。その先に三弦橋。 ↓白黒写真はこちらのページ。…
崩落した崖を見上げる 運んだ、石炭を人を

崩落した崖を見上げる

『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや工事関係者の姿を写した5枚の写真のうち、「2 崩落した崖を見上げる」の写真に着色したものです。   ↓白黒写真はこちらのページ。 https://ooyubari.com/2020/07/…
大夕張駅を出発するNo.6 運んだ、石炭を人を

大夕張駅を出発するNo.6

白煙を上げて大夕張駅を出発するNo.6。 撮影した『海も好き』さんの記憶では、鹿島小学校下の踏切付近から撮影したのではないかという。 右に見えているのは、消防署の建物の裏になり、もう少し手前に火の見櫓が続く。 『No.6』が吐き出す煙とともに、大夕張駅前の背の高いポプラの木が風にそよぐ。 白黒写真に…
大夕張炭山駅付近 運んだ、石炭を人を

大夕張炭山駅付近

 大夕張炭山駅は大夕張鉄道の始発駅。  炭山駅の表札のかかる出入り口のところに、昭和30年代三菱バスの『砿業所前』、始発、終着の場所として記憶を留めていた。  その頃、シューパロ川上流の清流で川遊びをした。 「官行に遊びに」行く際、炭山駅の前の踏切を渡った記憶を呼び起こす写真でもあった。 勇壮に黒煙…
9201 運んだ、石炭を人を

9201

9201 北部移転当初の昭和4年から昭和38年まで、活躍を続けた蒸気機関車。 白黒写真に着色した画像   昭和35年大夕張炭山 入替えに活躍した9201号と9237号 【奥山道紀】    9200形機関車は,昭和4年専用鉄道の北部延長,自営運転開始に合わせて美唄鉄道より譲受ました。  以来,「920…
冬のバスと車掌さん  運んだ、石炭を人を

冬のバスと車掌さん 

1965年(昭和40年)頃 冬の三菱バス大夕張営業所前で撮影された写真だろうか。 中扉の旧塗装は、千年町のいとこの家に行くときにいつもこれに乗っていた。 馴染み深い車体だ。 扉の足下についていた『クレハ』のロゴもなぜか覚えている。   車掌さんのパーマヘアもなつかしい。 この頃、こういうヘアスタイル…
農場前臨時乗降場 運んだ、石炭を人を

農場前臨時乗降場

 昭和30年頃 桜ヶ丘方面と行き来する乗降場であったのだろう。対岸の桜ヶ丘方面に行くには、尚、崖の道を下り、シューパロ川にかかる細いつり橋を渡らなくてはいけなかった。   写真を拡大すると、制帽をかぶった鉄道員らしき人物や乗降する複数の人が見える。   白黒写真に着色した画像 後のシューパロ湖駅より…
列車を乗り換える 運んだ、石炭を人を

列車を乗り換える

『1960年(昭和35年)列車折り返し運転』のなかから。線路脇の崖の崩落により列車をのりかえ通学する高校生たちや乗客達の姿を写した5枚の写真のうち、「4 列車を乗り換える」の写真に着色したものです。   白黒写真に着色した画像 もとの白黒写真をみるにはこちらのページから↓ https://ooyub…
バス前(車掌さんと一緒に) 運んだ、石炭を人を

バス前(車掌さんと一緒に)

 子どもの頃、乗りものに乗ることが大好きだった。(といってもバスと汽車しかなかったが・・・)    乗るときはわくわくしていた気持ちが、降りるときにはなんだかちょっと寂しい気持ちにもなった。ずっとこのまま乗っていたい、そんな気分だった。    長時間乗りものに乗りたい気持ちはその後、家族を連れて「北…
バス前(運転手と車掌さん) 運んだ、石炭を人を

バス前(運転手と車掌さん)

昭和38年頃の三菱(鉱)バス、運転手さんと車掌さん。 白黒の時には気がつかなかったが、色をつけてみて、撮影された場所がわかった。   写真、バスの左後ろに見える掲示板の一部と銀色のパイプ。バス右上に見える三角屋根の一部。   ここは、昭和31年の開通から40年頃まで、山内線の始発、終着のバス停、『砿…
列車の冬支度|奥山道紀 運んだ、石炭を人を

列車の冬支度|奥山道紀

10月も残り僅か。   11月に入ると三菱大夕張鉄道でも本格的な冬支度です。   大夕張炭山の機関庫では、ラッセル車が整備され、客車にもダルマストーブが設置されます。 夕張岳の頂が白く化粧をすると、やがて炭鉱街も雪の季節となります。   シューパロ湖も凍結し、白銀の世界になるのも間もなくです。 19…
鉄橋を渡る列車 運んだ、石炭を人を

鉄橋を渡る列車

おそらく大夕張ダム完成以前の旧橋だと思うが、鉄橋を渡る列車。 荒々しい山肌と、そこにかけられた鉄橋が、石炭を運ぶ目的で奥地に向かって作られていった鉄道の事情を感じさせる。 場所不明。 白煙は後付け加工。 白黒写真着色した画像 谷にかかる鉄橋を行く蒸気機関車…
湖畔の列車 運んだ、石炭を人を

湖畔の列車

シューパロ湖畔を行く、『No.5』のプレートをつけた9600型蒸気機関車。 噴上げる白煙で後ろの木々も霞む。 まだ湖畔の道路は未舗装のまま。 昭和45年頃だろうか? 白黒写真に着色した画像 シューパロ湖畔をNo.5の引く混合列車が走る…
シューパロ湖畔を行くSL3重連 運んだ、石炭を人を

シューパロ湖畔を行くSL3重連

昭和S46年8月 「鉄道友の会北海道支部」、「北大鉄道研究会」の合同撮影会に合わせて、9600形SLの3重連がおこなわれた。 編成は、「No.3」「No.7」「No.5」+ セキ21両 + 客車ナハフ1 で走ったそうだ。 写真では、3機のSLが噴上げる黒煙がその迫力を伝える。 下のリンクから、走行の…
旭沢橋梁を行く『NO.5』 運んだ、石炭を人を

旭沢橋梁を行く『NO.5』

昭和47年 白黒写真に着色した画像   沢の下より橋の上の列車を見上げる 旭沢橋梁を進行中の混合列車【奥山道紀】  プレートガーダーをトラスで補強した「特異」な橋梁形式の旭沢橋梁を渡る№5牽引の上り列車です。  遠幌~南大夕張間の「遠幌加別川橋梁」も同形式です。…