バス前(車掌さんと一緒に)

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 子どもの頃、乗りものに乗ることが大好きだった。(といってもバスと汽車しかなかったが・・・)

 

 乗るときはわくわくしていた気持ちが、降りるときにはなんだかちょっと寂しい気持ちにもなった。ずっとこのまま乗っていたい、そんな気分だった。

 

 長時間乗りものに乗りたい気持ちはその後、家族を連れて「北斗星」で上野や、「トワイライト」で大阪にいくこととなり、寝台特急での旅につながった。流れる車窓からその土地の様子を眺めているのが好きだった。

 

 だから、子どもの時、汽車に乗るときは進行方向を向いた窓側で、バスに乗るときは前が見える運転手さんの後ろの席に座るという、こだわりも強かった。

 

 子どもの時に目に映っていたものが、興味や感情と結びついて、バスの車体についても、いろいろな部分が印象に残った。

 その一つが、バスの前面についている三菱マークにFUSOのエンブレム。

 このデザイン、形が気に入っていて、家にためてあった購買会の包装紙の裏に、鉛筆で書いていた。

 それに比べると、大夕張に当時入ってきていた夕張バスや夕鉄バスに多かったUDのエンブレムには、どういうわけか、あまり興味を持たなかった。やっぱり普段目にする頻度が違ったのだと思う。

 

 三菱の灰色っぱい旧塗装車は、中扉で「山内線のバス」。街中を走り回るバス、青と白に赤い線の入ったバスは、前扉で「見学旅行や修学旅行、札幌に行くときに乗るバス」で長距離を走る特別なバスという印象だった。

 新塗色のバスには、新しい、刷新されたイメージをもっていて、このバスが運行され始めた頃、駅前のバス停『大夕張駅』で待っていて、新塗装車がきた時は、とてもうれしかった。しかも前扉。「やった!ラッキー」という心境だった。

 

 実際には、旧塗装車も急行線などで使用されたり、順次、塗替られていったので、両方の塗装車が併存した時期も限られていた。

 私の10才前後から15才、ちょうど昭和40年前後から昭和45年まではそんな時期であり、その記憶が生み出した印象だったといえる。

 

白黒写真に着色した画像

観光貸切で乗務した際の記念写真だろうか、場所は不明。

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