月: 2021年10月

1992年の同窓会 昭和29年鹿島中学校卒業

1992年の同窓会

 今から30年ほど前、北海道新聞夕刊のコラムに、ある同窓会の様子が取り上げられた。  1992年(平成4年)4月15日(水曜日)のことだ。  それは、京都市嵐山で行なわれた鹿島中学校7期(昭和29年卒)の同窓会だった。    同年、大夕張では、夕張シューパロダム対策協議会が発足し、生活相談所が開設さ…
北海道弁••••••じょっぴんかう、じょっぴんかる |高橋正朝 #64 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••じょっぴんかう、じょっぴんかる |高橋正朝 #64

 北海道弁、〘 じょっぴんかう 〙もしくは〘 じょっぴんかる 〙は、ネットで調べたら、東北地方でも使うようである。  この言葉のルーツも、やはり東北だろう。 ただ、この〘 じょっぴんかう 〙〘 じょっぴんかる 〙の検索結果の件数は少ない。       我が家では、〘じょっぴんかう 〙という表現だった…
列車の冬支度|奥山道紀 運んだ、石炭を人を

列車の冬支度|奥山道紀

10月も残り僅か。   11月に入ると三菱大夕張鉄道でも本格的な冬支度です。   大夕張炭山の機関庫では、ラッセル車が整備され、客車にもダルマストーブが設置されます。 夕張岳の頂が白く化粧をすると、やがて炭鉱街も雪の季節となります。   シューパロ湖も凍結し、白銀の世界になるのも間もなくです。 19…
炭鉱の言伝え |Kawauchi Masami 思い出の記

炭鉱の言伝え |Kawauchi Masami

    嘘か本当かは分かりませんが、私の兄、次男が言っていたことです。  まず、  三菱の職員住宅は、後ろが山で、暴動が起きても責められ難いとか、  大夕張の街には、鉄道でしか行けず、道が無かったのは、昔、タコや朝鮮人が連れて来られて、逃げられない様にしていたとか、  戦争が終わった、終戦後、引揚者…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その4 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その4

 当日を迎える迄に、何回か、番組製作会社の方と連絡、打ち合わせをした。  自分の役割はたぶん当時のネットでつながっていた仲間の人たちに、人を大夕張に集まるお願いをしたというところだろうか。  先にも書いたが、どんなことを打ち合わせて、自分が何をしたのかはすっかり忘れてしまった。  それでも、自分も含…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その3 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語~その3

 この大夕張のロケの発端や、自分の詳しいかかわりなどは、20年前のこととて、すっかり忘れてしまった。    ただ大夕張がダムに沈むということで、当時は『消える大夕張への思い』が、各種メディアで盛んに取り上げられ報じられてていた。      下の新聞記事は、故郷への思いをテーマに、自分も取り上げられた…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その2

午後11時頃、最初に、鹿島小学校校歌の歌唱シーンの収録から始まりました。 鹿島小学校鼓笛隊生みの親、田中豊一先生(田中先生は2010年にお亡くなりになりました)のピアノ伴奏に合わせて、「ああ、大夕張」の合唱がグラウンドに響きます。 イリュージョン。かつての大夕張駅前通り。元住民達が懐かしそうに笑顔で…
2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その1 2丁目3番地

2001年10月28日 ~私のふるさと物語ロケ~その1

 平成13年(2001年)10月28日、住民が立ち退き人のいなくなった無人の大夕張に、多くの人が集まった。その時のことを当時参加した斎藤敏幸さんが、後日、次のように書いている。    10月28日、大夕張に一つの奇跡が起こりました。  その日、鹿島小学校校庭に、50人以上のかつての子どもたちが集まり…
昭和52年の大夕張 思い出の街角

昭和52年の大夕張

 神社の丘からの風景  昭和52年8月、閉山後4年後の大夕張。  すでに旧駅前の付近を除いて空き地ばかり。  この写真は、昭和52年8月「みほ」さんが、家族で大夕張を訪ねた時のもの。(この時、撮影された写真は、このページ以外にも掲載) この時、どういう思いで撮影し、町を歩いただろう。    実は同じ…
縮んだ町  写真

縮んだ町 

平成9年(1997年夏)   大夕張にダムが建設されると聞いた 鹿島小学校も閉校になると知らされた いてもたってもいられず 大夕張に行った   神社のあった丘から見た町は 山々の緑の中で あまりに小さく縮んでいた   1997年 夏 大夕張  …
高島屋ラーメン 学び舎の思い出

高島屋ラーメン

 東高生には馴染みの深い『高島屋ラーメン店』(明石町)  店先の横に机や椅子が用意してあり、そこに腰をかけて勉強をしている生徒達の姿。店主と生徒のつながりが見えるようでおもしろい。     白黒写真に着色した画像   昭和47年発行 夕張東高等学校20周年記念誌『シューパロ』より…
米沢先生訃報に接して|小林光志  思い出ばなし

米沢先生訃報に接して|小林光志 

 昭和27年鹿島小学校入学で、小学校3年生頃、担任ではありませんでしたが、一緒に遊んでくれた思い出があります。   米沢先生のクラスに、友人がいましたので良く遊びました。   深夜、米沢先生が宿直の時、鹿島小学校でお化け遊びと称して、何人かの友人たちと学校内を探検しました。  ある日、先生が私たちを…
おもちゃ 楽しかった日々

おもちゃ

 この写真、昭和30年代中ころ。  頭の中で描いていた色とりどりのオモチャ達が、モノクロからカラーへ。色がついて身近になった。  記憶をたよりに、想像をいれながら、彩色していった。    今も頭にあった色のイメージ・・・SLは濃い青、バスは赤みがかった黄色ないしは黄土色に近い色、というのが記憶に残る…
夕張北高との偶然の出合い|菅井宏史 思い出ばなし

夕張北高との偶然の出合い|菅井宏史

 高校3年の修学旅行時(何度か書きましたが、私は小学4年の時に大夕張を離れましたので、当然夕張の高校ではありませんが)、函館→青森の青函連絡船内で、同じく修学旅行中の夕張北高の一行と、偶然にも一緒になったのでした。   その時の状況を詳しくは思い出せませんが、「夕張」ということで、多分私がその中に知…
代々木町の高台から見る磯次郎の沢 思い出の街角

代々木町の高台から見る磯次郎の沢

 撮影者は屋根の上に立って撮影したのだろうか、けっこう高い位置で撮影している。  正面に磯次郎の沢。沢の裏手の山は、山菜を取りにはいったり、遊び場にしていた子どもたちも多かった。    季節は秋だろうか。昔、畑に藁で野菜や木を保護したり、物干しにダイコンの葉をかけていた様子を覚えているが、住宅の畑に…
北海道弁••••••もちょこい、もちょこす | 高橋正朝 #63 続・大夕張つれづれ

北海道弁••••••もちょこい、もちょこす | 高橋正朝 #63

 東京にきてから、この〘 もちょこい 〙〘 もちょこす 〙は、比較的早く忘れた北海道弁である。       この〘 もちょこい 〙〘 もちょこす 〙は、くすぐったり、くすぐられたりしたときに発する言葉なのは、皆さんご存知のとおり。  ま、たいてい、相手とふざけ合って、くすぐったりくすぐられたりしたと…
夕暮れのファイヤーストーム 学び舎の思い出

夕暮れのファイヤーストーム

 秋になると行なわれていた、鹿島中学校の年間行事の『文化祭』という名の学校祭。  最終日に行なわれていたファイヤーストーム。昭和45年の写真だ。この時、3年後に大夕張が閉山になるとは、夢にも思っていなかった。     左手に体育館、校舎。右手に学校林、学校林の先は、シューパロ川。 正面、木々の間にわ…
ひたむきに・生きた・君 | 斎藤敏幸 思い出ばなし

ひたむきに・生きた・君 | 斎藤敏幸

 私が、栄町アパート( 栄町2丁目14番地の8)に住んでいた頃、二つ向こうの棟のアパートに「佐藤ひでみ(秀美)」君という同級生が住んでいました。   彼は、何事にも真面目で、ひたむきさを持った少年でした。   家が近所のこともあり、互いの家に遊びに行ったこともありました。    彼との思い出で、いつ…
鹿島中学校 球技大会 学び舎の思い出

鹿島中学校 球技大会

 昭和46年卒業のアルバムの写真だから、昭和45年(1970年)の鹿島中学校の『球技大会』の写真。  教室の校舎と廊下の校舎に囲まれた二つの中庭に、バレーボールと、テニスのコートがあった。    球技大会の種目は、体育館で「バスケットボール」と「卓球」、中庭コートで「バレーボール」、グラウンドで「ソ…
学のあるはなし(その2)|丸山直記 思い出ばなし

学のあるはなし(その2)|丸山直記

  わたしが好きな音楽での思い出をひとつ。   前にも書きましたが、私は音楽が好きでしたが、生の交響楽団を聴くチャンスは、大夕張ではありませんでした。  しかし中学校の時に、札幌交響楽団が、鹿島中学校の体育館で演奏会を行いました。   音だけは知っていたが、見たことも無い楽器を大勢の音楽家が目の前で…