流れのように

長谷川安造。明治37年2月10日空知郡栗沢村生まれ。大正13年夕張郡沼澤で訓導。以後昭和13年3月から大夕張尋常高等小学校・鹿島国民学校・鹿島小学校で教鞭を執り、昭和32年に大夕張を離れる。昭和39年富野小校長をもって退職。平成10年没。平成7年、卒寿記念随想集より。

流れのように■学校の戦後■|長谷川安造 #12 流れのように

流れのように■学校の戦後■|長谷川安造 #12

 戦後、殊更自由主義、民主主義の徹底等が叫ばれて、教育界の様相も日とともに、移り変わって行った。  私ども学校職員では、いち早く仲間同志で職員組合を早々に結成し、不安がちの各教職員の生活を自主的に、相互に守り合うこととした。 その後、三、四ヶ月くらい経過した頃、組合組織が各地域で唱えられ、夕張市教職…
流れのように■終 戦■長谷川安造 #11 流れのように

流れのように■終 戦■長谷川安造 #11

   終戦直前の頃、内山校長の温情により、職員各家庭にて空襲に備え、防空壕を作るものにはその材料を提供するとの話があった。長さ、幅、厚さと大物であったが、家庭のことが頭に浮かび、防空壕づくりを決心した。  7月末日、お隣の外山先生共々、家の前の土手地に壕づくりが始まる。その最中の或日の午後、突然、礦…
流れのように■銃後の私(4)■|長谷川安造 #10 流れのように

流れのように■銃後の私(4)■|長谷川安造 #10

 そんな或る年の春、教室で朝の学習が始まって間もない時、教室入口の開き戸を静々とあけ、のぞき込むように「先生,ちょっとお願い」山羊綿羊組合の一会員小林さんだった。  私は学習を中断し、何事かと廊下に出た。  「家の山羊がいま難産で苦しんでいる最中、何とかお願いできませんか」  私は困った。しかしこれ…
流れのように■銃後の私(3)■長谷川安造 #9 流れのように

流れのように■銃後の私(3)■長谷川安造 #9

 動物愛護とか、農林省滝川畜産種羊場と言う言葉を耳にすると、私の戦時中の大夕張での生活が思い出される。  自給自足や増産教育が、全国どこの学校でも盛んで、前回にも一寸述べたところだが、児童と共に『打うちてして止まん』『勝つ迄』の精神で、成し遂げれるものには何でもぶつかっていったものだ。  高学年担任…
流れのように■銃後の私(2)■|長谷川安造 #8 流れのように

流れのように■銃後の私(2)■|長谷川安造 #8

 年がかわり、私は夕張市三菱大夕張礦業所のある大夕張尋常高等小学校に転勤した。  昭和13年の春の頃で、国内情勢、何処も同様な雰囲気で、この地は前任地に比べて、人口も多いだけに、応召兵士の数も多く、殆んど毎日の様に、大夕張駅ホームまで、高学年児童と共に見送ることとなった。  「勝ってくるぞと勇ましく…
流れのように■銃後の私(1)■|長谷川安造 #7 流れのように

流れのように■銃後の私(1)■|長谷川安造 #7

 昭和20年前までの戦争に参加し、大変な苦労や、戦果を挙げたたこと、又は戦友との悲しい別れ、戦慄厳しい中の色々、家庭的悲喜交々、何れも第一線に臨み、生死の線上に立っての有り難くも尊い体験談をよく聞いたり、読んだりする。  そうした度毎、私はほんとうに長い月日ご苦労様でした、お陰様でありがとうと感謝の…
流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし③-■|長谷川 安造 #6 流れのように

流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし③-■|長谷川 安造 #6

 今次大戦では、兄の長男(甥)が角田から出征後、満州で訓練を受け、終戦の春、沖縄に移動、6月の那覇市南方の真栄平で激戦の末、戦死した。兄の家は、二男が鉄道に就職し、当時、空知農学校付属寮母職の母を呼び、のちに嫁を取り結婚。岩見沢市内で家を継ぐ形となる。  私の弟は、終戦と同時に、色丹島で捕虜となり、…
流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし②-■|長谷川安造 #5 流れのように

流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし②-■|長谷川安造 #5

 沼ノ沢から大夕張に引っ越して間もない頃、忘れられない思いがある。  二女は幼少時、ジフテリアにかかった。  小学1年入学前のこと、病院で、再びジフテリアと診断され、血清注射を受けることになった。  草野院長が、「年のためきくが、この子、これまでに血清注射をしたことはないだろうな」ときいた。  私は…
流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし①-■|長谷川安造 #4 流れのように

流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし①-■|長谷川安造 #4

 私は14年間の思い出多い、沼ノ沢を後に、昭和13年春、大夕張尋常高等小学校に転勤した。母、私たち夫婦と娘三人の六人で、青年団員や父兄、教え子に見送られ、大夕張の地に移住した。  沼ノ沢の教え子たちと、青年団員は、新築炭住の私の引越し先まで来てくれ、手伝ってくれたものだ。嬉しい志に感謝。  昭和13…
流れのように■青年の夜学 ~山奥の出張教育所~■|長谷川安造 #3 流れのように

流れのように■青年の夜学 ~山奥の出張教育所~■|長谷川安造 #3

 今から50余年前のこと(昭和19年頃)大夕張尋常高等小学校から更に15km位、(シューパロ)川の上流地点に、冬山造材所があり、そこで数十人の青年たちが働いていて、山奥の青年夜学出張教育所が開かれていた。  私は或る土曜日の夕刻、スキーで林鉄(※)沿いに、細い雪道を,造材事務所を目指し急いだ。  歩…