流れのように■学校の戦後■|長谷川安造 #12

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 戦後、殊更自由主義、民主主義の徹底等が叫ばれて、教育界の様相も日とともに、移り変わって行った。

 私ども学校職員では、いち早く仲間同志で職員組合を早々に結成し、不安がちの各教職員の生活を自主的に、相互に守り合うこととした。

その後、三、四ヶ月くらい経過した頃、組合組織が各地域で唱えられ、夕張市教職員組合が結成された。その委員長とか、書記長の選出をした記憶がある。

 そうして、北教組、日教組等の組合組織に進展したものと考える。組合についての意見は様々であったが、組合員相互の経済生活確保運動の推薦を図る。それで大きく一致点が見い出されたものだ。

 いつの世も人、色々であって、ことにあたり順応性のない者には、こうした変動には馴染まれず、追従困難で、悩み苦しんだことも多かったと思われる。

 教育する者として、戦前戦後と百八十度の方向転換期であって、その変わり方に大きく戸惑った姿でもあった。 私には、以前より考えるところがあって、アメリカ民主主義、自由教育の著書等入手し、幾らか工夫したこともあって、さほどの戸惑いもせずに済み、毎日の教育活動には、大いに参考になり役だったものだ。

 文字や言葉で知るだけでは無く、実際生活に結びつく民主主義、自由主義として、児童の教育に苦心努力したところである。

 何時の世も、教育の言葉ある限り、目標は不動である。その任にあたる者、全身全霊職務遂行、邁進あるのみと考える。

(平成5年8月18日記)


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