炭鉱とともに 昭和18年 鹿島国民学校 教職員勤労報国隊 三菱大夕張炭鉱 更衣所(進発所)前 戦争の激化とともに、人手不足を補うため、外国人労務者や、昭和17年には京都から挺身隊が入山しました。 鹿島国民学校教職員による報国隊が組織され、日曜動員で、採炭作業に従事しました。。 当時の学校の日常が、戦争中を回想した次の文章にも出ています。 https:… 続きを読む
流れのように 流れのように■学校の戦後■|長谷川安造 #12 戦後、殊更自由主義、民主主義の徹底等が叫ばれて、教育界の様相も日とともに、移り変わって行った。 私ども学校職員では、いち早く仲間同志で職員組合を早々に結成し、不安がちの各教職員の生活を自主的に、相互に守り合うこととした。 その後、三、四ヶ月くらい経過した頃、組合組織が各地域で唱えられ、夕張市教職… 続きを読む