月: 2020年7月

明石橋と旭沢鉄橋 思い出の街角

明石橋と旭沢鉄橋

昭和40年頃 旭沢鉄橋  【山下貢】( 2006/10/21(Sat) 12:55) この鉄橋の名前を初めて知りました。確か、幼稚園児(S28年)で、大雪の降ったあと、列車が不通になり、この鉄橋を大人の後について渡り、大夕張の幼稚園に行った記憶があります。  今ならとんでもないことですよね!! 先生…
流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし①-■|長谷川安造 #4 流れのように

流れのように■思い出の記 -大夕張のくらし①-■|長谷川安造 #4

 私は14年間の思い出多い、沼ノ沢を後に、昭和13年春、大夕張尋常高等小学校に転勤した。母、私たち夫婦と娘三人の六人で、青年団員や父兄、教え子に見送られ、大夕張の地に移住した。  沼ノ沢の教え子たちと、青年団員は、新築炭住の私の引越し先まで来てくれ、手伝ってくれたものだ。嬉しい志に感謝。  昭和13…
『流れのように』と祖父のこと 2丁目3番地

『流れのように』と祖父のこと

 『青年の夜学』の原稿のことについては、掲示板でお知らせしましたが、こちらは『備忘録』なので、私の為に、重複する部分もありますが、書き留めていきます。  『青年の夜学』の原稿は、祖父が亡くなったあと、偶然見つけたものです。  祖父は昭和39年札幌に定年退職後、家を建て、亡くなるまで、発寒に住みました…
鹿島中学校校舎全景 学び舎の思い出

鹿島中学校校舎全景

昭和40年頃 マンモス校  【藤田育雄】 今、思い出して見たら、一学年10クラスのA~Jまでありました。 マンモス学校で、左の白い二階屋根の建物の一階に科学教室がありましたね? 自分、科学クラブでしたので???  2階建ての新校舎ができたというのが昭和35年の10月ということですから,それ以後の写真…
大夕張駅の『NO.4』 運んだ、石炭を人を

大夕張駅の『NO.4』

昭和30年代  №4 【奥山 道紀】  『№3』と共に三菱鉱業が自社発注したSLです。  昭和16年日立製作所で製造され、美唄鉄道を経て、昭和22年より三菱大夕張鉄道で活躍しました。  バック運転しやすいように特注されたC56形テンダが特徴です。  前照灯も横に№が入るアメリカ形の大型のものを装着し…
流れのように■青年の夜学 ~山奥の出張教育所~■|長谷川安造 #3 流れのように

流れのように■青年の夜学 ~山奥の出張教育所~■|長谷川安造 #3

 今から50余年前のこと(昭和19年頃)大夕張尋常高等小学校から更に15km位、(シューパロ)川の上流地点に、冬山造材所があり、そこで数十人の青年たちが働いていて、山奥の青年夜学出張教育所が開かれていた。  私は或る土曜日の夕刻、スキーで林鉄(※)沿いに、細い雪道を,造材事務所を目指し急いだ。  歩…