Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
夕張信用金庫大夕張支店 思い出の街角

夕張信用金庫大夕張支店

     昭和32年(1957年)に開設された。その頃、千年町の大井質店の一角を借りて店舗があった。 (「大井組と大井質店」の中の清一氏の葬儀時の写真に看板が見える)     駅前のこの建物はその後の建築だろう。    信金の建物の向かって右に見えるのは、北海道拓殖銀行の建物と掲示板。  建物は大夕…
山神祭 炭砿病院前 街の行事

山神祭 炭砿病院前

病院前の道路も舗装になった昭和40年代のころ。 6月、子ども達の神輿行列が炭鉱病院前を行く。   トラックに積んだ巨大なスピーカーの上、山車には『春日』と書かれており、春日町内会の子どもたちの行列のようだ。   春日町詰所前の広場を出発した神輿をかつぎ、子どもたちが隊列を組んで街中を練り歩く。   …
弥生町から春日町へ降りて行く坂道を行く山神祭神輿 街の行事

弥生町から春日町へ降りて行く坂道を行く山神祭神輿

   春日町から弥生町に登ってくる神輿を弥生町の崖の上から撮影した写真。  散歩道の地図と比べてみると、坂のこちら側は、弥生町3丁目。向こう側は、4丁目ということになるのだろうか。  崖の下はすぐ春日町の炭住が建ち並ぶ。  駅前の通りの先を右手に曲がって、弥生町3丁目と4丁目の間をくだっていく坂道、…
成田利夫さんに教えてもらった、白い実がなる草( 木 )の名前、フッキソウ | 高橋正朝  #121 思い出貼

成田利夫さんに教えてもらった、白い実がなる草( 木 )の名前、フッキソウ | 高橋正朝  #121

 私の前回の投稿、続・ふるさと大夕張 # 120 〘 名前を知らない草木の実2種類 〙に対し、成田利夫さんからコメントがありました。  名前を知らなかった白い実の草は、フッキソウという名だということで、URL が添付されていました。  その URL は、以下のとおりです。     tiotrinit…
お祭り 駅前商店街 思い出の街角

お祭り 駅前商店街

すずらん型の街灯にオート三輪、昭和30年代中盤最盛期の頃の大夕張駅前商店街だろう。 初夏を迎え、お祭りの季節がやってくると、街に幟があがり、紙桜の飾りで街が彩られる。   着物姿の女の子達の踊りとそれを見ている大勢の人たち。 駅前から春日町方面に続く通りをうめる、人また人の波に圧倒される。     …
消えた、大夕張|浅野岳男 訪問記

消えた、大夕張|浅野岳男

平成15年(2003年)10月7日。 昭和26年卒、鹿島中学校同期会が札幌グランドホテルで開催された。 午前中、希望者にバスツアーが計画され、夕鉄バスで、湖底に沈むと言われる「ふるさと大夕張」へ、行って来た。  南大夕張を過ぎると、シューパロ湖が眼下に広がり、その向こうに夕張岳が姿を現してきた。  …
七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny 思い出ばなし

七万屯突破記念 昭和41年3月 | ziny

     我が家の親の部屋に大夕張鉱業所の記念の皿が飾ってあります。    直径26cmの白地の皿に、紅梅の一枝に咲く数輪の花と蕾と、うぐいすが描かれ、皿の中央寄り縦に右から【 心を一つにして 社長 大槻文平 】と記されております。   裏面には【 七万屯突破記念 昭和41年3月 三菱大夕張鉱業所 …
母と大夕張 |あずき 随想

母と大夕張 |あずき

 私の母は親が営林署勤務であったこともあり、小学校時代は道内あちこちを転々としていました。  母は昭和42年ごろ、1年間だけ大夕張に住んでいたそうです。   錦町に営林署があったはずです。      母はその裏手の線路端にある職員住宅に住んでいたそうです。    そのころはまだ大夕張にも1万人以上の…
明石町 白地図 昭和38年 白地図

明石町 白地図 昭和38年

  昭和38年(1963年)、大夕張ダム完成後の明石町の白地図。   黒く塗りつぶされたところは、この地図が掲載された『鹿島のあゆみ』が発行された昭和53年時にまだ存在していた建物を示す。施設を示す手描きの文字も昭和53年時のものだろう。     昭和38年と昭和53年を合わせた地図。   これを見…
明石町駅地下通路 ホーム跡 1999 訪問記

明石町駅地下通路 ホーム跡 1999

     1999年(平成11年)6月、旧明石町駅舎が取壊しになった。その10日ほど前。    大夕張の玄関口だったという駅も、中学校を卒業して大夕張のまちを出た自分にとって、明石町駅は大夕張のはずれの駅という印象をどうしても拭えなかった。    私は、ここで乗り降りしたことはなかったが、鹿島(夕張…
名前を知らない草木の実2種類|高橋正朝 #120 続・大夕張つれづれ

名前を知らない草木の実2種類|高橋正朝 #120

私が、鹿島東小学校時代に食した、名前を知らない草木の実が2種類あった。 その2種類とも、中学生になってからは食べていない。      理由は、小学生時代のように、下校時に、道草を食って野山を歩かなくなったのと、学校が休みのときも、野原やシューパロ川の岸辺や沢などを徘徊しなくなったからである。    …
旧明石町駅 1997 訪問記

旧明石町駅 1997

1997年(平成9年)5月の旧明石町駅。   昭和48年(1973年)に廃止になってから24年、屋根が傾き、窓には木の板が打ち付けられながら、なんとかそこに建っていた。   この時期、故郷の大夕張を訪れた人は、きっとそうであるように、自分も「そこにある」ものたちを夢中で写真に収めたのだった。   正…
小学校の踏切 思い出の街角

小学校の踏切

 鹿島小学校側から見た踏切。    それまであった鹿島小学校横の踏切に『椀木式遮断機』が設置されたのは、昭和38年10月のことだという。  夕張市で二番目にできた踏切だったという。      昭和44年にできた歩道橋はまだできていない頃のようだ。    学校に通った道としては、栄町、富士見町方面は北…
2006年1月~12月 住民登録

2006年1月~12月

母の四十九日で札幌の実家に戻っている時に、両親とすごした大夕張に思いを馳せ、Googleで検索しているうちにこのウェッブページに遭遇しました。 すばらしいページの数々で感動しました。 2日間に渡って、くまなく拝見しました。 私は、昭和31年に大夕張で生まれ、鹿島小学校5年生の時に南部に移り、幌南中学…