Masa

北海道夕張市鹿島1番地。昭和31年3月、大夕張生まれ。 昭和31年から、昭和46年まで、炭礦で繁栄する、自然豊かな街で幼少年期を過ごしました。中学校卒業、炭砿病院の薬剤師だった父が亡くなり、大夕張を離れました。昭和48年三菱大夕張炭礦が閉山になる2年前のことでした。 1996年に「ふるさと大夕張」を開設、運営。2019年12月より再起動しました。
鹿島中学校の閉校にあたって |S.H 随想

鹿島中学校の閉校にあたって |S.H

 思えば鹿島中学校は昭和22年5月開校以来、九千二百余名の及ぶ卒業生を社会に送り出し、名実ともに輝かしい伝統を築きながら今日に至りました。  以後石炭の斜陽化で街の過疎化が進み、その中で、シューパロダムの建設が取り沙汰されている今日、大夕張にとって鹿島中学校の閉校は何ともいえない一抹のさびしさを感じ…
違和感 その2 |小野美音子 随想

違和感 その2 |小野美音子

違和感に同感!で~す。  そういえば北海道の結婚式は会費制が殆どでしたがこちらは招待制が多いですね。  由緒正しい母子家庭同士(私の方は歴史が浅め)の結婚でも主人が招待制で行うと言ったので、内地は面倒そう・・と思いましたが、今では暖房も北海道式です。   北海道方言の「ばくって」「ごみをなげる」を使…
違和感 |久々湊真一 随想

違和感 |久々湊真一

 SONY号は懐かしいですね。上空からの映像があったなんて、涙、涙です。   寒くなってきましたね。 本州は、そろそろ炬燵を引っ張り出す季節になりました。 私が本州に住むことになって中々馴染めなかったものに、このコタツがあります。   下半身のみ炬燵に入り、背中がスース-する形で暖をとるのは、非常に…
吹雪の中のスキー 楽しかった日々

吹雪の中のスキー

昭和45年(1970年)頃   一月頃、今年の少雪に付いて帳尻あわせはくるのか・・・・・と書いたことがあったが、2月20日現在、やっぱり「帳尻はあった」 札幌ではここ一週間、毎日大雪が続く。     さて、表題に付けた「吹雪」。 この日、吹雪と言えるのかどうか。 写真を見てもかなり横殴りの雪が吹き付…
スキー場を俯瞰する 思い出の街角

スキー場を俯瞰する

冬のスキー場。 馴染みはないが、富士見ヶ丘スキー場という呼称もあったそうだ。   大夕張では『スキー場』で、すべては通じた。 そのスキー場を街とともに俯瞰しためずらしい写真だ。   おそらく春日町の山の方から望遠レンズで撮った写真だろうか。   自分がスキーで楽しんでいたのはロープトウを中心にした斜…
雪に埋まる街 思い出の街角

雪に埋まる街

 昭和45年(1970年)頃だろうか、昭和30年代には炭住が建ち並んだ栄町の1番から10番までの土地は空き地が雪原になって目立つ。  児童会館の北側の栄町児童公園のあたりは、雪の下。    写真左上の大夕張駅方向から、協和会館、弥生町浴場、弥生町詰所、代々ギアパートのある交差点まで商店街の通りが延び…
鹿島中学校常盤町校舎全景 II 思い出の街角

鹿島中学校常盤町校舎全景 II

鹿島中学校をグラウンドからみた画像。   正面に体育館。   体育館の前から広がる土手で、体育祭や体育の授業では、ここに腰掛けてサッカーやソフトボールの試合を見ながら、のんびりと先生や同級生たちと語らったことのある人たちも多いのではないだろうか。  向かって右手が昭和40年代には理科室や音楽室があっ…
豆まきとひな祭り 記念の日

豆まきとひな祭り

  今日2月2日は節分。 暦の上では明日が立春。 季節の変わり目に訪れるという邪気を払い、無病息災を願う行事とされている。 鬼払いの行事として、豆まきをしたり、今は節分料理として恵方巻を食べたりする家庭も多いだろう。     大夕張では、豆は「ラッカセイ(落下生)」をまいた。これは北海道では一般的だ…
屋根の雪 写真

屋根の雪

その昔、吉井薬局となりのだるま食堂だった建物。 隣の建物とともに最後まで駅前に残った。   2002年冬 誰も居なくなった大夕張で、名残を残していた。 ドカ雪の翌日、トタン張りの屋根に積る雪が暖気にとけ、つららを伝った水が軒先にしたたる。   それでも春はまだ遠い。      2002年(平成14年…
八百五十登行 その2 昭和28年(1953年) 楽しかった日々

八百五十登行 その2 昭和28年(1953年)

前回『八百五十登行 昭和28年(1953年)』と同じ時の写真。 この日は湿った雪だったのだろうか、雪がつかないようにワックスを塗布している写真が残されている。 もっとも、大人たちはともかく、子どもたちはワックス、イコール白い蝋燭のことだった。   スキー場に出かけるときは必ず、ローソクを一本ヤッケの…
八百五十登行 昭和28年(1953年) 楽しかった日々

八百五十登行 昭和28年(1953年)

昭和28年2月15日。 写真の裏に「八百五十登行」と祖父の覚え書きがある。   この日は、カレンダーを見ると日曜日だった。 参加者は、中央に顔が見える石垣校長をはじめ、鹿島小学校の先生達の一行だったのだろう。   ところで「登行」・・・(とこう)という言葉に聞き覚えのある人もいたのでは。   スキー…
徽章コレクション 陳列棚

徽章コレクション

1998年2月5日、札幌駅近くの札幌第2ワシントンホテル2階『いろり番』で当時『ふるさと大夕張』のオフ会が行なわれた。ネットで知り合った人たちの初めての顔を合わせての会だった。   興奮冷めやらぬその様子は、今も『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の『交流会の記録』で読むことができる。 その際に、佐藤…
昭和26年(1951年)鹿島東小学校 開校の頃 あらかると

昭和26年(1951年)鹿島東小学校 開校の頃

  白黒写真に着色した画像   浜出栄子先生とは、自分が大夕張を出てから祖父の家で何度かお会いしたことがある。    叔母の結婚先の親戚筋になる。 その縁で、祖父の家には何度か遊びに来たことがあった。     すでに昭和も晩年の頃だったと思うが、その頃、自分も祖父の家で暮らしていたので、印象がある。…
「町」の呼び方 あらかると

「町」の呼び方

今朝の新聞に日本の「市町村」の町の名を「まち」と読むか「ちょう」と読むか、どちらで読むかについての記事があった。   記事によると、東日本では「町」を「まち」西日本では「ちょう」と呼ぶ傾向にあるという。 その理由については不明、今後の研究に待たれると結論づけている。      「市町村」単位の「町」…
黄色い旗と思い出ノート 3 回想・随筆

黄色い旗と思い出ノート 3

以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。   平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第三集(平成12年分)を掲載します。        平成10年 すでに廃校に…
黄色い旗と思い出ノート 2 回想・随筆

黄色い旗と思い出ノート 2

以下、『ふるさと大夕張』(1丁目1番地)の方に今も掲載されているページを、そのまま転載します。   平成10年(1998年)4月から平成12年(2000年)にかけて記入されたものを第一集から第三集として、3回に分けて、今回は第二集(平成10年~11年分)を掲載します。        平成10年 すで…
千年町小泉呉服店の風呂敷 2丁目3番地

千年町小泉呉服店の風呂敷

先日久しぶりに鹿島小学校、中学校の時の同級生みほさんとメッセージのやり取りをした。   その中で「高校時代もっと勉強しておけば」という話題になった。   自分の事で恐縮だが、昔の風俗や暮らしに興味があった自分は、いまさら「万葉集」、「◯◯日記」などの古典ものにふれて(「読んで」とは言えない笑)昔の人…
夕張奇譚テーマソング タイムマシン   2丁目3番地

夕張奇譚テーマソング タイムマシン  

先日、『夕張奇譚 其の二 ダム湖に沈んだ街』で、紹介したYouTube番組の中に挿入されていた、夕張奇譚のテーマソング「タイムマシン」という曲。その曲の部分だけが編集されて、『ゆる怪』さんのYouTubeチャンネルにアップロ-ドされた。    そのことを制作者の『ゆる怪』さんが、コメント編の方にリン…
大夕張山神社 裸まいり 1968年 街の行事

大夕張山神社 裸まいり 1968年

2025年正月静かな元旦を迎えた。    札幌に住む自分にとって雪が積る窓の外の白い風景は、子どもの頃に過ごした大夕張の風景と何ら変わりがない。 とくに夜になると、窓の外の漆黒の闇をほんのり明るく照らす雪明りは、ある懐かい感情を覚えさせる。     写真の裸まいりの写真には、掲載されている『鹿島で暮…