記憶の中のお祈り |小野美音子
2024-02-10
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「昭和40年鹿島小学校前」の写真にジ~ンときたことがあります。
東方の博士役を終え満足そうな菅井さん。
3人を見守るように、お母様が身体を少しかしげ、かごを持つ姿にどこか聖らかで暖かいものを感じたからです。
そしてバックに映る美しい教会のたたずまい・・!
日曜日が楽しみでした。
最初に暗記するのは小学校低学年には??の、お祈りの言葉。
今になると美しい文語調と思えますが、唱えているうちに意味が変化してきました。
記憶に残っている部分を少し・・。
カッコの中が当時の連想部分です。
天にまします(増します)我らの父よ、・・・・・(父が増える!?)
御名が(皆が)尊まれんことを・・・・・・・・・(皆シアワセ!)
御国が(三国が)来たらんことを・・・・・・・(日本と天国とどこ?)
我らに日用の糧を(日曜の勝てを)与えたまえ・・・(神様が勝つのね!)
めでたし聖寵(成長)みちみてるマリア・・・(マリア様も大きくなる!)
河村先生は優しく意味を説明してくれたのに・・・
それでも高学年になると正しい意味が少しずつ分かってきましたが・・・
もしかしていまだ・・!?(カンコウという前科もあることだし・・)
千古のみどりさん、あのお祈りで私を助けて!
菅井様、お母様によろしく。
(2001年10月12日 記)
ほんと久しぶり。って、前回から「久しぶり」の言葉で括れないほど時間が経っていて、
ホント。忘れたころにやってくる災害と同じレベル。
いつの間にか巨大化してるし・・
でも以前写真を何枚か見せてくれたことは、とても懐かしかったです。
櫛引家のお姉ちゃんは私と同学年で、庭を隔てただけの身近にいながら
一度も喋った記憶がない。理由も知らない。
反対に石沢さんの3人兄弟は良く覚えている。
マーちゃんはカツとなると無鉄砲というか凶暴な一面があって心配していたけど、
順調に大人に育ったようですね。良かった。
兄の順一君はハンデイを抱えていたので生きづらさがあったのではないかと思うけど、
もう話をする機会は無くなったわけだ。一歳上だった。一緒に街歩きをしたりした。
飛行機乗りだったと聞く彼の父は翳があって謎だらけの人だったね。
逆にその奥さんは細くて社交的。神社の前で踊っている写真が残されています。
意外にも、まだ覚えていることはあって、懐かしさが芋づる式に連なって出てくる・・
が、まあ、私も、あちらの世界に行ってからゆっくりお話することにいたしましょう・・
はるちゃんの近況も気になるところですね。引退したと思うけど元気でいるかな?
実は私のマゴの1人が彼の幼少期に似ているのだ。「好み」と「行動」が (^^)/
貴兄とももっと繁く語り合いたいね。この場を借りて。
では~
ー 准 ー
ご無沙汰しております。
治ちゃん准ちゃんお元気そうで、久しぶりだけど弥生町
一丁目12番地の佐々木憲男です。1舎は庄司さん2舎は梅木さん3舎石澤さん、三兄弟(順一、政俊、俊幸)4舎佐々木勝宏(86歳死去)きくみ(令和5年三月十九日九十九歳死去)最近、石澤政俊さんマーちゃんと電話連絡して順ちゃんの死去を知りました。
弥生町連中は成沢君(成沢憲治)成松雅夫、櫛引正敏元気そうで。内川潤一さんとは鹿島中学校の校庭で良く会いましたよ!BBQで楽しみましたよ。
今年のシューパロ湖の渇水散策も友人が大夕張に住んでいますので優遇措置で駐車場を利用させて頂いております。