YS11の町にて思う|柳川 傑
2020-09-24
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昭和37年(当時小5年)に、春日町から現在の愛知県三好町に家族そろって転居して来ました。
親父(故人)が、当時、大夕張炭鉱の労務の仕事をしていて、炭鉱離職者を引き連れ、農村地帯だった三好町が、工場誘致条例の第1号として誘致した、三菱の「YS11」プロペラ機の部品工場であった「三和金属」に転職してきました。
当時は、石炭で栄えていた大夕張の方がうんと都会であり、三好町は、畑と田園、道路は国道153号(名古屋と豊田市を結ぶ)だけが舗装されているだけで、後は砂利道ばかりでした。
学校は木造の瓦屋根(鹿島小学校は鉄筋コンクリートの3階建てだったよね)。
でも、今は、三好町はトヨタ自動車関連企業が並び、大型スーパー、東名高速道路の東名三好インター等々すさまじい発展を遂げています。
ところが、わが故郷、大夕張はダムの底に沈んでしまったと聞いています。
名前は忘れてしまったけど、春日町の傍に流れていた川で魚釣りをして遊んだことや、冬になると、材木を切りに行く馬車に乗せてもらって川を渡り、雪遊びをしたことが思い出されます。
三好町へ来てから、北海道へ行く機会は何度かあったが、とうとう、大夕張へは一度も行くことができなかった。
小学校3年生途中までいた、南部小学校(菊水町で暮らしていた)も、同様に無くなってしまったんですね。
でも、元気なうちに一度、大夕張や南部に行ってみたいと思っています。
(2006年12月2日 記)