心根地 第三章 夕張岳より|今井一郎

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 彼が、南部に移り住んでから一年になろうとした頃、南部のヤマ元で事件が起こった。

 昭和六十年六月五日午後三時四十分頃。三菱南大夕張砿南一卸七方付近で起こったガス突出事故が発端であった。そのガス突出事故に坑内火災が加わった。

 炭砿の坑道は地下に網の目の如く掘られている。そして、坑道一本一本に名称がある。

(中略)


 地下では千数百人の人間が息をしている。それゆえ、炭砿も呼吸している。幌南町の山中に竪抗があり、その出口に巨大な換気扇があり人間の吐く息も、ヤマから放出されるメタンガスも、地熱で暖められた多湿の空気もオカに排出される。

 坑内の坑道は、全て動脈であり、静脈であり、毛細血管であるのだ。坑内での職種も多岐にわたり、花形の採炭員。石炭層までの坑道を切り開く掘進員。地下深くに存在する坑道は、放っておくと数ヶ月で地圧で潰される。そうなると、ヤマは呼吸できないので、元の坑道の大きさに戻す作業を行う仕繰員。

(中略)

 彼はその日、朝七時から夜八時までの勤務であった。夕方五時五十分に、清水沢から帰ってくる貨物列車の入替作業の準備に駅構内に出た。

 砿業所の正面当たりにある三十二号ポイントを返しに行った時に、異変に気づいた。

 砿業所の前の駐車場に、パラボラアンテナを備えた放送局の中継車が止まっていた。普段、この時間には来ない三菱砿業セメントの札幌支店の支店長専用の黒塗りの車も止まっている。

 一番方の残業組が昇抗して来る時間であるのに、砿業所からは人は出てこず、わさわさとせわしなく集まった
人間が砿業所に吸収されるのみであった。

 定時に列車は到着し、入替作業も、とどこうる事無く機関車は庫に戻った。

 皆、駆け足で鉄道課のテレビの前に集まった。午後六時のニュースには、二、三分間があった。駅長が内線電話を施設課にかけるが、この騒ぎは一体なんであるのか、伝えてくれないとのこと。

 そうこうしているうちにニュースが始まり、皆に戦慄が走った。ガス突出で百名近くの抗内員が昇抗してこないとのこと。


 最終列車の入替を終わらせ、自宅に戻った彼が、テレビのニュースで新たに知った事実は、ガス突出の現場は南一卸七方付近。

(中略)


 自分の心の動揺は、今の三菱のヤマが石炭を出せなくなったら閉山になるからだと、必死で置き換えていた。しかし、繰込所は阿鼻叫喚の世界であった。


 繰込所の壁には昇抗してこない抗内員の名前。そして、その名前に重ねられた「死亡」の朱の文字。泣き叫ぶ女、騒然とする中、必死で、砿業所長が拡声器で、現状を説明しようとしているが、不明者家族の安否究明の声にかき消される。

 そうしている中、また、朱の死亡の文字が増えた。

 次の日、鉄道は貨物全休になった。三往復の旅客列車の入替だけでは暇を持て余した。そして、会社からの情報はなく、現状把握はテレビの情報のみであった。


 昼休みに彼の職場にT産業の社長が訪れた。

 (中略)


 高橋と平石とトミーが、坑内の南一卸八方付近で発見され、炭鉱病院に収容されたとのこと。

 明日が通夜なので遠幌の寺に来てくれとのことであった。

 酒癖が悪く、仕事の日も朝から酒を飲んで繰込所に現れ、いつもT産業の社長に怒鳴られていたが、腕のよい大先山の高橋。

 オカではいつもへらへら笑っているが、ヤマに入ると人が変わったように、若い後山を怒鳴り散らす平石。

 酒が元で離婚したが、子煩悩だったというトミー。トミーは、やはり三菱南大夕張砿に下請けで入っていた日高工業の社長とその妻と作業員が共謀した、あの「夕張保険金放火殺人事件」の放火された作業員宿舎で、住み込みで賄いをやっていた元妻と子供を殺された。

 一年程前に、日高工業の社長と、その妻と実行犯の作業員が逮捕された次の日、坑内の作業の合間の一服休憩の時、トミーは目に涙を浮かべ「日高の野郎、死刑にでもなんにゃきゃ気持ちが晴れない」と言った。

 日高の判決を前にして逝ってしまった。

***

 昭和四十八年に閉山した三菱大夕張時代、労務課で経理をやっていたが、やはり酒が元で離婚し三菱南大夕張に再雇用されずにT産業に流れてきた品川は、酒の飲みすぎで力仕事はできない。

 この日も作業現場から離れた斜坑の入口に設置された、ホイストの操作をしていた。

 ホイストは、北炭ではタッガというらしいが、高圧空気で作動するウインチである。

 彼らの作業は「盤打」と呼ばれ、坑内では最低の仕事といわれる。

 地圧で押し縮められた坑道を、抗枠を交換しながら元の坑道の大きさに戻す仕事を「拡大」というが、盤打は盛上がった抗盤を掘り起こすだけの単純な作業である。

 品川は、空の炭車をホイストで降ろし、斜坑に張られたワイヤーを引くと、ホイストの脇に設置された笛が鳴る仕組みで、炭車がズリで満載になると笛の合図でホイストを巻き、炭車を引き上げる。この時、後山は炭車に
へばりついて昇って来るので、実車と空車の入替は後山の仕事である。

 一人離れた場所に居た品川は生還した。しかし、危篤で面会謝絶であった。

***

 その日、午後三時に勤務を終えた彼は、自宅に戻りソファーに腰掛けると暫くの間天井を見つめた。

 (中略)

 たった三ヶ月の、真っ暗な坑内でT産業の死んだ高橋や平石らと交わした一言一句を、思い出そうとしていた。

 天井のシミを一つ見るたびに、ヤマ鳴りの時のこと、ズリを満載した炭車がホイストのエアーの圧力が少なくて巻上げられなくて、汗みどろで押した時のこと、坑口まで三回も人車を乗り換えるのが面倒で、平石とクビを覚悟でベルトコンベアーに腹ばいでジッと乗っていた時のこと、彼の測定したズリの量と平石の見解の違いで喧嘩となり三十分以上お互いのキャップランプで、お互いの顔を照らし、にらみ合った時のこと、拡大の現場で彼が誤って高橋の背中に二十キロもありそうなズリを落としてしまった時のこと、

 (中略)

 結局、六十二名が死んだ坑内事故は全ての葬式が終わっても解決しなかった。


 坑内は燃え続けていたのだ。


 彼は、一日にたった三往復の旅客列車の入替のためだけに出勤する日々が続いた。

***

 一年で一番昼が長い時期。

 午後七時に南部に戻って来る最終列車の入替が終わり、駅に戻るとき、茜色の空の中に幌南町の排気竪抗から立ち上るねずみ色の煙に「閉山になるのではないか」という不安は続いた。

 三菱のヤマはこの年、災害が多かった。抗内員が炭車に轢かれて死亡したり、九州の兄弟砿の三菱高島砿が坑内自然発火で火災を起こし、9名が死亡。

 採炭は再開されていなかった。

 三菱高島砿は、三井三池砿と共に明治、大正、昭和と、石炭を出し続けているヤマであるが、古いヤマほど採炭現場が深くなるので経費がかかり、他の炭砿と同じく赤字のヤマであった。

 その高島砿の赤字を、南大夕張砿の黒字で埋める状態だったので、二砿共に石炭を出せない状態は三菱石炭鉱業にとっては致命的であった。


 南部のヤマ元では、南大夕張砿の災害が起こるまで、話題といえば高島砿で、「高島は閉山になるのではないか」、「高島が閉山してくれた方が南部は助かる」という話で始終していた。

 炭砿労組の組合報では、高島は閉山なし、南大夕張の坑内火災も一卸と二卸の連絡坑道を封鎖して、一卸に夕張川の水を注入し水没させ消火する。その間、主力採炭を幌南町側の上二片に移し、三卸も総力で採炭増力させる。との事であった。

***


 夕張川の谷ぞいに細長い集落を形成している南部も、いよいよ夏らしくなってきた。セミが鳴きはじめ夕張岳の方向には入道雲も発生する時期。彼は、炭砿病院に入院している品川を訪ねた。


 入院病棟の三階で、病室の入口に貼られている入院者の札で品川を探す。

 品川の名前はすぐに見つかった。病室の扉は開いていた。中に入り品川を目で探すがわからない。もしや、と思い窓際の右のベッドに近づくと、そこには、昔、白黒テレビの頃の外国の物語のミイラ男の様にからだ中包帯を巻かれている男が寝ていた。枕元の札には品川の名前が書かれていた。


 彼は、品川に声をかけていいものかどうか迷い、呆然としていた。病室の中は暑かったが、開け放たれた窓からはカーテンを揺らしながら風が入って来る。

 白いカーテン、白い布団、白いシーツ、白い壁、白いベッドのパイプ。そして、白い品川の包帯。品川は白の世界に同化している様であった。

「品川さん、お客さんだよ」と、立ち尽くす彼を見かねて、隣のベッドの男が声をかけてくれた。

 その時、包帯だらけの顔の、目のあたりの隙間の奥に瞳が見えた。

「シナさん、大変だったなぁ」。

 彼は平常心に戻って品川に何か話し掛けなければならないと、差し障りのない言葉を選んだつもりであった。

 品川は蚊の鳴くような細い、カン高い声で

「みんな、死んじゃったよ。オレみたいなろくでなしが生きてるんだからおかしいよなぁ。だけんど、体中、
包帯よ。あん時の事、ドドンってきたから、山鳴りかと思ったさ。だけんど、変だったんだぁ。下から風吹いてきて、後ろの戸門、開いちゃったんだ。そしたら粉塵、舞っちゃって辺り真っ白さ。オレ、ガスだと思ってエアーのホースくわえて蛇口ひねったたら目の前真っ赤になって飛ばされたんだ。気ぃ付いたらここで寝てたんだ。体、熱くて熱くて、寝れなかったんだ。医者と看護婦さ来て、包帯取り替えたんだ。オレの体、真っ赤にただれ
てんだ。」

(後略)

 追伸
 人間の造作物は必ず風化しますが、自分を育んだ「地」は「心」の中で自分を形成する「根」である。自然に同化した「地」に、いつか足を向けた時、新しい未来がある、と、云いたい私の書き物の一部でした。

(1999年2月13日 記)


随想

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