三つの歌 | 高橋正朝 #14

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 『 三つの歌です 〜君もぼくも〜あなたも私もほがらかに〜忘れた歌なら〜思い出しましょ〜みんな 〜みごとに歌いましょ 』

 私の年代なら、みんな知っている NHK ラジオ第1放送の歌番組です。

 この歌番組もよく聴いていた。と、いうか、ラジオ放送では、NHKが最も電波が強かったので、大夕張では、必然的に、NHK を聴くことが多かった、といえる。

 歌詞の1番はよく覚えている。

 これは、番組のはじめと最後に、会場にいる聴衆者が、司会の 宮田輝 のかけ声で一斉に歌うからだ。

 通常は、1番だけで斉唱は終わる。滅多になかったが、2番以降も、披露されることがあった。

 ネットでみると、2番、3番 〜 さらに6番と続くのだが、それらは覚えていない。が、1番目の最後のフレーズ、『 〜みんなみごとに歌いましょ〜 』の『 みごとに 』を、6番目の最後のフレーズ、『 〜いっしょに 』と混同し、1番目を『 〜みんないっしょに歌いましょ 』と覚え込んでいた。

 作詞作曲は 天池真佐雄 となっている。大変わかり易い詞と曲だ。1番目で、『 〜みんなみごとに歌いましょ』で結び、6番目で、曲の最後の最後で、『 〜みんないっしょに歌いましょ 』と、詞の全体を収斂させている。

 大夕張での子ども時代でのラジオの聴取だから、アマチ•マサオという名は耳で知っていたが、天池真佐雄 という漢字表記はまったく知らなかった。

 これは、芸能活動用の名前で、本名は、中野政雄 とネットに出ていた。

 この『 三つの歌 』の番組で、あるとき、司会の 宮田輝 が、いつもの番組初頭でのセリフ、「 アマチ•マサオさんのピアノに合わせて•••••• 」、つづいてのスタッフ紹介で、ホステスの「 アマチ•フサコさん•••••• 」と聞いたとき、「 アレ、二人は親戚かな? 」と思った。二人が親娘だと知ったのは、3、4年後だった。

 アマチ•マサオの漢字表記は、天池真佐雄 だが、アマチ•フサコの漢字表記は、池が地になって、天地総子 となっている。

 鹿島中学校の生徒になっていたときだが、何のテレビ番組だったか覚えていないが、天地総子 へのインタビューのとき、司会者が、アマチ•フサコさん、と紹介したが、画面には、天地総子 と漢字表記がでていた。

 大夕張時代の私の周りの女子生徒で、フサコという名前の漢字表記は、皆、房子 だった。だから、総の漢字を使ってフサコと読ませるのは珍しいといえる。

 天地総子 に対しての私のイメージは、童謡とコマーシャルソングだ。 

 『 パンシロンでパンパンパン、パンシロンでパンパンパン、パンシロンを飲んだらネ、胃腸も胃腸もいい感じ。パンシロンでいい感じ。 ” 飲みすぎ食べすぎにパンシロン。胸やけ胃の痛みにロート製薬のパンシロンをどうぞ ” パンシロンでパンパン 』

 という、ロート製薬のコマーシャルが有名だ。

 この、『 パンシロンでパンパンパン〜 』は、結構、色んなバージョンがあり、ネットで検索すると、懐かしい芸能人を見ることができます。

『 三つの歌 』もユーチューブで聴取できます。

   

 そのなかの1つに、2つの地方での対抗歌合戦の形式のものがあり、天地総子 が釧路局に出向き、中野慶子 が宮﨑局に行き、内幸町放送会館( 東京 )にいる司会者の 宮田輝 が2人をホステスとして紹介していた。

 

 ホステスという言葉は、劇画とかテレビや映画の内容ですでに知っていたが、バーやキャバレーで働くおネーチャンの職業をさすものとばかり思っていた。司会者としての意味合いにも使えるんですネ。

 しかし、現在の NHK は、司会者の意味合いでのホステスという言葉は使わないのではなかろうか••••••。

 釧路局での司会、天地総子。宮﨑局での司会、中野慶子。総合司会、宮田輝。 てなことになるのでは••••••。

(2020年11月21日 記)


 (筆者略歴)

昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。


2件のコメント

  • 参考までにYouTubeから、NHKラジオ第一放送の『三つの歌』のリンクです。


  • 『宮田輝』『天地総子』懐かしい名前が出てきます。
    天地総子さんは、昨年亡くなっていたんですね。懐かしいお名前をサーチすると、最近はそんなことばかりで、時の流れとはいえ、ちょっと陰な気分。

    NHKラジオ第1放送で1951年から1970年まで放送された長寿番組だったといいます。のちにテレビでも放送していたそうです。NHKの記憶にある番組では、『お笑い3人組』というのもありましたが、これも最初はラジオ番組でスタートだったそうです。
    自分はテレビ放送開始と同じ頃に生まれたので、テレビの影響を強く受けはじめた世代ですね。
    高橋さんの記事をきっかけにNHKアーカイブ中『NHK放送史』の1950年代で当時の番組を懐かしく思い出しました。
    https://www.nhk.or.jp/archives/search/year/

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