当時出かけた大夕張|小野田 正憲

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 ひょっとすると、飯田氏とは、中学と高校の中間期にお会いしているかもしれません。


 さて、私はご近所の清水沢出身で、昭和30年7月生まれです。

 父が、南高の教師で、スキー部の顧問だった関係で、3歳の頃からスキーを履き、大夕張にもよくつれて行かれました。

 あの、ロープウェイ!?が懐かしい。

 夏は、釣りに、夕張岳登山にと、大夕張での思い出はたくさんあります。結婚して長女が4歳頃になったとき、その昔釣りをした白金沢につれて行って、途中ぬかるみにはまり断念したこともありました。



 もう2ヵ月ほど前のことでしょうか、休日に家族を連れて南区の実家に遊びに行ったときのこと。

 テレビを見ていた親父が「あっ!」。

 よく見ると、懐かしいじゃありませんか、鹿島がうつってるんですねエー。すぐに、鹿島小の廃校式とわかりました(再放送のようでしたが)。

 確かに、自分の生まれた町がダムのそこにしずんでしまうことは残念なことだろうと思います。私は清水沢生まれですが、自分の生まれ育ったアパートが跡形もなくなっていたことでさえ、愕然としたくらいですから。

 でも小学校の廃校に出席できた、いやそのことを知り得たことだけでもうらやましいと思います。結婚してすぐに、かみさんに自分のふるさとを知ってもらおうと連れてきてみたら、ボロボロの廃屋になっていたときのショックは今でも忘れません。

 もう10年も前のこととなりました。ダムなどの是非についても、改めて考えさせられました。川釣りを趣味とする私にとって、ダムに限らず小さな砂防ダムや護岸工事など今までは考えられないような奥地までその開発の手が伸びているのを見るにつけ、その価値が全くわからないのです。ただ、仕事がないから、ダムでも造って・・・・ではないでしょうか。

 この問題を考えると機嫌が悪くなるので。またに機会にでもするとします。

(1997年8月 記)


随想

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