花火の思い出|池田憲治

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 宝町に住んでいた北沢さんの近くに私の友人が居り、その関係で私も、昭和33年~昭和35年に、花火の打ち上げに行っておりました。

 

 北沢さんはもう亡くなったそうですが、火薬を節約して鉄砲用にも使っていたので、時にはあまり上がらず火の粉が落ちてきて、ゴザの上に並べてある花火の上に身を伏せたりしたものです。

 不発の物は、時間のある人が、朝早くから探しにいきました。

 北沢さんは、警察に始末書を書いたりしていました。

 筒は4~5個ありましたが、花火は150発しかないので2時間(もしかすると3時間)持たせなければならないので、今度は俺の筒だ、と思っても、すごく待ち遠しい打ち上げでした。

 あの頃、ボーイスカウトも在ったようで、私達が神社の登り口にくると、少年たちが番をしておりました。

 

(2000年10月08日 記)


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思い出ばなし

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