歳の差弁当 |Kawauchi Masami
私達の時代の移り変わりが激しくて、私達のお母さんも、20歳で子供産む人と、35歳で子供産む人もいます。そうすると、お母さんの年齢差、15才ですよね。
お母さんの年齢差15年も有ると、弁当の内容が、全然違いました。
まず、遠足のおにぎり。
私は、購買会などの包装紙でしたが、私のお母さんより若いお母さんは、アルミホイルでした。
海苔が、綺麗に剥がれていました。
私は、母が32歳の子供でした。
水筒も、若いお母さんは、オレンジジュースを入れていました。
小学校は完全給食で良かったのですが、 中学へ上がると弁当でした。そのおかずが、『歳の差弁当』と言うか、 私のお母さんの年代は、『茶系統』でした。
大体、砂糖と、醤油の味付けに、漬け物・卵焼きでしたね。それと、一本45円のソーセイジ。輪切りにして焼いて入っていました。
若いお母さんの弁当には、ウインナーソーセイジとか、シュウマイとか、色鮮やかでしたね。
私は ウインナーソーセイジも、シュウマイも、食べたこと有りませんでした。
あの頃、出始めたと思います。
中学の給食は、お汁が出ましたね。男子は弁当の蓋にお汁を入れて、食べていましたね。
実は、ここだけの話、私は弁当の事で、母を困らせた事有りました。
「みんなの弁当と同じくして欲しい」と。
母は「何を入れたらいいか、分からない」、と言っていました。すると、高校生の兄が、買い物もしてきて、私の弁当を作ってくれました。
開けてみると、なんと、ウインナーソーセイジが入っていました。
初めて食べる味、「うまい」。
それと焼いたシュウマイ、あの時のシュウマイの上に、グリーンピースが1つ乗っていました。
醤油が入れ物に入っていて、醤油を付けて、またまた、『初めての味』に感激した事を覚えています。
多分高校生の兄は 女子高生から弁当の中身聞いたのだと思います。
私が18歳で、大阪で初めて食べた今では何処にでも有るけれど、 当時、大夕張で食べたことがなかったもの・・・『餃子・ お好み焼き・ 焼き肉・ たこ焼き・ ハンバーグ・ 水炊き・・・』 まだ、有ると思います。
『 ジンギスカン』は、食べましたが、『牛肉の焼き肉』大阪で初めて食べました。
長嶋茂雄が引退した頃の話です。
(2021年3月1日 記)
(筆者紹介)
昭和29年6月生まれ。三男として 南清水沢で生まれ、2歳の時、緑町に、のち春日町で18歳まで大夕張で暮らす。一時、大阪へ、昭和51年南大夕張鉱業所ヘ就職し、平成2年3月の閉山まで勤務。