節分の思い出 | ziny
石炭ストーブの上で、大豆を炒って
「鬼は外・福は内」
と豆をまき、自分の年の数の豆を食べるというのは、どの家も同じだったと思うのですが・・。(我が家はストーブも何度目かにはフジキ式ストーブになった。)
でも、食べた分とは別に、年の数だけの豆をチリ紙に包み、近くの四つ角へ置きに行くというのは、ほかの家でもやっていたのかなぁー?
そこには、先に来た人の豆もあったような記憶も、かすかに浮かんだりするのですが・・・。
寒い夜、電柱の裸電球に照らされた雪明りの中、誰にも見つからないように、ひっそりと置いてくるという感じで、代々木町2丁目6番地の我が家から、恐る恐る出かけて、振り返らずにさっさと帰ってきた記憶です。
家族の分も一緒に持っていったような気もします?
置きに行った場所は、大夕張駅前通りを下ってきた弥生町のお風呂と協和会館、弥生町の詰所と代々木アパートそれぞれが四つ角にある道路の真ん中でした。
小学生の頃だったと思います。毎年ではなかったような記憶なので、年男の時だったのかなぁー・・。
これは厄払いや魔よけだったんでしょうね。
我が家のルーツは宮城県なので、そっちの風習だったのだろうか?
大夕張・鹿島一番地が湖に沈んでも、節分には、雪明りの雪道と、あの四つ角の情景が浮かんでくることでしょう。
長屋の狭い部屋にまかれた豆は、何日かはタンスの陰や、部屋の隅っこから、ひょっこりと出てきました。
見つけると嬉しく、拾ってホコリを息で吹き飛ばして食べたものです。
お腹を空かしていた当時はとてもうまかった。
窓からまいた豆が、雪の上にのっかっていたのもあったかなぁ・・・?
昭和30年代、佐々木家の懐かしい節分の思い出です。
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皆様に福がくることを祈って・・・
♪「 オニわー ソトー~・・!
フクわー ウチー~・・! 」
「 オニわー ソトー~・・!
フクわー ウチー~・・! 」・・♪
(2013年2月3日 記)