時代を支えた馬 | 泊川俊徳

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 戦前から昭和40年過ぎまで、随分、馬が活躍してくれました。

 戦時中は、炭鉱坑内の『石炭運搬』、街の中では、『運送屋』、日本通運・鹿島通運の荷物の運送、又、当時 トイレのバキユームカーの代わりに、馬車に大きい木製の箱に、ウンチを入れて、通称『便所場球場』へ運び、川へ流しました。

 夏は『馬車』。

 冬は『馬そり』。

 冬、坂道を登る時、1トン前後の体重の馬が、そりの重みと、雪道ですべり、上がれない。

 子供の頃、それを見るたびに、馬が可愛そうに思いました。

 当時、馬の背には、カチュゥシャに、沢山の鈴が付けて有り、

『そこどけ、お馬が通る♪シャンシャン♫』

とばかりに、鈴の音を響かせていたのを、思いだします。

 ばん営競馬に使うような、大きな馬でした。

 春日町、向かいの沢から、冬季間、山の伐採した木材の運搬も、馬で運搬してました。

 随分、事故で馬も死んだようです。

 重い生の木材を、道無き道を、そりで運搬するのですから、馬にとって、生き地獄だったに違いないと思います。

 自分が大夕張を出て、よく本州へ仕事や旅行で、田舎町、特に、農業の盛んな土地へ行くと、馬頭観音と言う馬の霊を慰める慰霊碑が多かった。

 北海道も、農業の盛んな土地。しかし大夕張は、炭鉱町。馬頭観音の慰霊碑は、大夕張を離れて初めて見ました。

 農繁期も無い、年中休みの無い大夕張の馬にとって、住みづらい土地だったに違いないですね。

 昔の冬、馬そりに、かくまき姿。

 NHKドラマすずらんに、出てきそうな風景。

 絵になる感じです。年配の方には懐かしいのでは。

(2001年11月27日 記)


思い出ばなし

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