昭和30年代。最盛期の町。健保会館武徳殿の庭の様子が、よくわかります。そして、正面には、三菱大夕張幼稚園の玄関のある中央の建物と東西に伸びた立派な園舎全体が写っています。この頃は、この規模の園舎にさえ収容しきれなかったのか、私たちは、2部制の一日交替で幼稚園に通っていました。
奥には、園庭の一部が見え、園舎前の遊具も並んでいます。
人がいなくなってから何度か、この場所を訪ねましたが、遊具がいくつか残る空き地に面影はまったくなく、何かを思い出すということもなく、連れて行った我が子が無邪気に遊ぶ姿を眺めていただけでした。
昭和30年代栄町
昭和30年代の大夕張の華やかな時代のアスファルト通りで、車よりも歩行者と自転車の道路でした。
車はほとんど通らず、武徳殿の庭の半円形の造りが想い出されます。
幼稚園、鹿島小学校、小さく神社、が見えてますね~。
幼稚園の広場で遊びました
昭和35年。私が2才でした。栄町ブロックで高校1年までいました。
懐かしい風景ですね。手前はプール、中央は武徳殿、白い建物は幼稚園、奥に見えるのは鹿島小学校、たぶん、スキー場も写ってますね。
幼稚園の隣に広場があってよく遊んでました。相撲の土俵もありましたよ。
下の画像は、昭和34年のソニー号からの映像の一コマ。(ソニー号の映像をコマ送りで見ていくと本当に面白い)
ちょうど、上の写真の反対側上空からの写真。
鹿島小学校から北に向かって飛び立ったソニー号が、最初に、幼稚園の園舎と健保会館武徳殿の建物をとらえる。
武徳殿の正面から栄町ブロックに向かって伸びる通路と真ん中の花壇。そのプール側と、幼稚園側に対照的に円を二つに切った形で配置された半円形の花壇。棚や温室?のようなものも見える。
花壇で(特に園庭側の半円形の)は、みんなで、丸くならんで、お絵かきをしていた。
線路側の園庭が意外に広くかったことに気がつく。でもあまり外遊びをしていた記憶がない。
むしろ、中学生になって、商店街にいく際、富士見町の詰所の手前から線路の木の柵を乗り越えて、ショートカットしていったときのコースが、ここの園庭だった。
写ってはいないが、写真左手前武徳殿の背後に相撲の土俵があった。
武徳殿そばにの小さな道、子ども頃はりっぱな正面の階段よりむしろ人が通ったような跡のような小道をかけ回っていたなあ。
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頭の中の記憶のカケラが、上の写真と見比べていると、立体的に再構築されていくような気がして、楽しく時間を過ごせた。
この幼稚園通いました。あまり記憶に残ってないがとても綺麗な先生で、病で早くに亡くなったとか。
手前のプールも何度も利用しました。