男たち

11998

 やや大仰なタイトルではありますが、当時の働く人の姿です。

 仕事の合間だろうか。カメラに向ける顔。たくましさの中の笑顔がやさしい。

   

 建物の蔭になるこんな場所は、春遅く4月5月まで雪が残っていた。

 後ろにはまだたくさんの雪が残っている。

 こういう場所は、一年中陽あたりが悪く、春には雪解け水でいつも水たまりができていた。地面は湿り、苔が生えていた。

 そして、一年を通して湿ってひんやりした空気で充たされていたものだった。

白黒写真に着色した画像

春の陽射しがまぶしい。日陰に残る残雪を背に、5月頃だろうか。

『便所』の話  【飯田雅人】2021年3月21日

 後ろに見える建物は、渡り廊下に、トイレ、トイレなんて洒落たいい方はしなかった。

 便所。汲取りの蓋と、臭気筒が見えている。近くに寄るととても臭かった。

 臭かったけど、それが別にどうということもなく『便所』だから当たり前のことだった。

 鹿島小学校の木造校舎には長い渡り廊下があった。昭和30年代、小学校の西側の坂の下に大きくて広い便所があった。長い階段でつながっていた。小さな小学生にとっては、不気味で『おばけがでそう』な便所だった。

 昭和14年に建設されたその木造校舎の『便所』は、最盛期全校生徒2600名の◯◯を支えた!その校舎も、昭和46年8月、取り壊された。

 鹿島中学校も木造校舎に渡り廊下があり、その先にやはり大きな便所があった。当時はまだ生徒が清掃活動を行っていた。割り当てられた掃除当番で、モップを振り回しながらチャンバラをして遊ぶ不真面目な男子中学生が遊ぶにも十分なほど広かった。


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