T の後頭部の傷 |高橋正朝 #68
今から7〜8年ぐらい前だから、2014年ぐらいのときだったように思う。
用事があってバンコクから帰国した際、札幌で、鹿島東小学校の4〜6年生の菊組で同級だった、苗字のイニシャルの U という男性と会った。
娘さんが2人いて、それぞれ子どもがいる。
U とは、鹿島中学校3年生の I 組でも同級になった。
話がはずみ、鹿島東小学校で、やはり、同級生だった男性の苗字が T のことになった。
U が、『 マサトモ、お前、T の後頭部に大きなキズがあったのを覚えているか? 』と、訊くのだ。
クラスで、私の席が T の真後ろだったことがあったなら、そのキズに気づいてもいようが、そういうことはなかった。
T は、私と同じ坊主頭だったが、休み時間や体育での授業で、彼と接したときも気づかなかった。
私は、『 全然覚えていない。知らない 』と答えた。
U は言った。
『 あのキズは、じつは、オレがつけたんだ 』
『 え、何でだ? 』
『 東小学校の1年生のとき、鹿島橋の近くでケンカして、ガケに突き落としたんだ。そのときに出来たキズだ 』
『 また、何でそんなことに •••••• 』
『 理由は覚えていないんだ。マサトモも知ってのとおり、T は性格のいい男だろう? 誰からも好かれるタイプだ。何でケンカになったのか、さっぱり覚えていないんだ 』
U が言うとおり、T は人と話しをするときは、いつも魅力的な笑みを浮かべている男だった。
小学生当時、T は常盤町に住んでいた。 U は、私と同じで、明石町だった。
U は、別に乱暴者ではない。 ケンカをするタイプでもない。
T は泣きながら家路についたそうだ。
そりゃそうだろう。 痛かったろうなぁ ••••••。
前回の投稿で、運転中に、シカと3回も衝突した男性のことを書いたが、U がその男性である。
T は、大夕張鉄道に就職したようなことを、某から聞いたことがある。
今の時代なら、ケガをさせられた生徒の親は、ケガをさせた生徒の親と学校に怒鳴りこむことだろう。
当時のことだから、そういうことは発生しなかったそうである。
(2021年12月5日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
そういえば、低学年の頃、家の裏山の空き地で遊んでいて、その頃、仲よくしてくれていた高学年の近所のお兄ちゃんに石を投げてぶつけてしまったことがある。
ふざけてなのか、けんかをしたのか、どうしてそうなったのかは、さっぱり覚えていないけれど、本気で投げたけっこうな大きさの石は、お兄ちゃんの頭にあたってしまった。
石があたって痛がっていたお兄ちゃんの姿だけは今も良く覚えている。
親に怒られたわけでなく、誰に注意をされたわけでもなかったが、ふだん優しかったお兄ちゃんのそんな姿にショックを受けた自分は、それから二度と人に向かって石を投げたことはなかった。