札幌にあった三菱の宿泊施設 その2
(前回のつづき)
前回、 Masaaki Saito さんの南3西23あたりにあった宿泊施設と、自分の北1西8にあった宿泊施設の思い出について掲載したが、同じような思い出をもち、何か覚えている方がいるのではないだろうか?と思い、何人かの方に聞いてみた。
その記憶を以下に紹介する。
(Kawauchiさん)
昭和40年頃、小学6年生の時に、第18回さっぽろ雪祭りに行きました。
印象に残っているのは、大きな雪像のSLから煙を出していたのが、印象的でした。
当時、バス代が大人200円だったか400円で、6年生の私は身体が小さかったから、大人の半額で行った記憶があります。
友達同士で、1泊しました。
宿泊施設は、三菱の施設で素泊まりで、当時雪祭りを見るために、20人ぐらい泊まっていたと思います。
寝返りも出来ないくらいぎゅうぎゅうでした。
場所は、全く覚えていませんが、雪祭り会場まですぐだったと思います。
なんだか寮 と言っていた様な気がします。
(当時スキー選手だった小林さん)
夕工高校時代(昭和41年)まで、冬は、良く使いました。
北炭も(場所忘れた)近いとこにあって、両方を使ってました。
二食付きで340円だったかな?(まるやま寮)違う名前だったような気がするけど、すっかり忘れてしまいました。
てっしん寮、大夕張炭鉱のか?北炭のか?こんな名前だったような気がする。
大倉、雪印、ジャンプ台での大会の時利用してました。
でも、一般の人も利用できましたから、多くの人が利用してるのではないでしょうか?
(toshiさん)
寮には、小学校低学年と高校3年のときに、就職試験で泊まったことがあります。
そこには栄町の近所の女の子が働いていた記憶があります。
円山公園の近くであったような気もしますが、場所はあやふやです。
父親たちは、札幌の 円山の寮 と呼んでいた気がします。
朧気な記憶ですが、登別と洞爺湖にも、三菱の宿泊施設があつたような。まだ小学生の頃、ふた家族で登別へ行ったときの写真があります。
洞爺湖のこの施設には、私が大夕張から旅立った年、同級生の母親達と温泉に入ってきたと母が言ってました。登別の方はあまり自信がありませんが。
はっきりと場所はわからないが、北1西8と、南3西23あたりに、それぞれ『◯◯寮』と呼ばれる三菱の宿泊施設があり、多くの人たちが使っていたことは確かだろう。
雪祭り、スキーの遠征、受験・・・人生の節目にいろいろな理由で札幌の宿泊施設に泊まった人は多かったに違いない。
ただ、思えば、大夕張から出てきて泊まった札幌の宿泊施設の場所など、覚えていないのがふつうかもしれない。
自分もあのとき、寝苦しさから窓を開けてみた光景をもとに、懐かしさから場所を確かめてみるという行動を取らなかったら、わからないままになっていたことだろう。
これまで聞いた大夕張の思い出話の中にも出てこなかったが、訪れた先の出来事は覚えていても、宿泊した施設自体にそれほど意味がないわけで、よほど何かなければ心に残りにくいかもしれない。
寮の場所を確かめてみることはできないのだろうか、他にもなかったのか。
そういえば、これも自分が高校時代バス通学していた国道12号線沿いに、三菱鉱業の寮があったことを思い出した。