汽車にハネられそうになった小型トラック|高橋正朝 #69
この話は、私が10年ぐらい前に、鹿島中学校の1年生のときと2年生のときに同級生だった女子生徒に、バンコクから電話した際に聞いた話しだった。
そのときは、大して気にも止めずに聞いていたのだが、〘 ふるさと大夕張 〙にそのことを投稿せんがため、それを了解してもらうことと、不確かだった内容を確認するために、数日前に電話した。
鹿島東小学校4〜6年生のときと、鹿島中学校3年生のときに同級生だった男子生徒の苗字が U のシカと衝突した交通事故のことを投稿してから、女子生徒の表題の話しを思い出し、そのことを書こうと思いたったわけだ。
最初は何だかんだ言って渋っていたものの、投稿することを結局 OK してくれた。 気がいいんだよなぁ、彼女 ••••••。
彼女は、鹿島高校を卒業し、18歳になっていたからすぐに自動車の運転免許を取得した。
我々の年代としては早い。
実家が商売していたから、配達の手伝いのためだった。 遊びのための運転免許取得ではなかった。
ある日の午後2時ぐらい、商品を小型トラックで、本覚寺に届けに行った。 本覚寺は、皆さんご存知の通り、錦町の坂の道を上った突き当たりにあった。
配達を終え、小型トラックに乗り込み、エンジンをかけた。
何となく、
〘 あぁ、今日はお寺に来たんだなぁ ••••• 〙
と、彼女は感慨に耽けながら坂道を下って行った。
大夕張鉄道の線路を渡ろうとしたが、線路の真ん中でエンストになってしまった。
線路上のエンストというのは、焦るものだ。 しかも、そこに汽車が現れ、運転士と助手は、小型トラックが線路上に立ち往生しているのを見つけ、汽笛を鳴らし続ける ••••••。
彼女は、焦りに焦ってアクセルを踏んだり緩めたりする ••••••。
〘 もう、ダメか •••••• 〙
と思ったが、小型トラックは、うまい具合に線路を抜け出たので、九死に一生を得た。
汽車が急ブレーキをかけなかったら、彼女は、良くて大怪我、下手をすれば、異界に行ったかもしれない ••••••。
彼女が、配達を終えて帰途についたとき、〘 あぁ、今日はお寺に来たんだなぁ •••••• 〙という感慨を持ったので、案外、仏様の加護があったのかもしれない。
この女子生徒は、元理科室だった2年 K 組の人研ぎの実験台に、苗字が N の男子生徒に正座させらた S 子である。
(2021年12月11日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
昭和40年頃の話だろうか・・・。
すでに配達のクルマが走っるようになってきていたんだ。
商店街や駅前の通りは、クルマが比較的見られる様になっていたが、富士見町の住宅道路は、狭く勾配がキツかった。
しかも降る雨が、土を削り、でこぼこ道になっていた。
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馬車が石炭を運んだり、三輪のし尿処理車が、各家の便所口まできていたので、よくその後を追いかけて走った。
それに比べると、錦町の本覚寺前の坂道は比較的広くかった印象で、近くの営林署官舎に住んでいたT君とキャッチボールをして遊んだ。下側になると外したボールを取りに行くのが大変なので、とても緊張した。
小学校前の踏切は別として、各所にあった踏切は、おそらく人が通る前提なので、かなりせまかったはずだ。