祖父のスケッチ帖  

26007

祖父長谷川安造が沼ノ沢から大夕張の尋常小学校に赴任したのは、昭和13年春のこと。

34才の働き盛りの家族五人を抱えての引越しだった。

祖父は、絵を描くことが好きだったようだ。

秋の冷え込む頃に写生に歩き、土手や山野に腰をおろしてスケッチしていたため、肛門を悪くし入院し手術したという。

退職してからも自宅の玄関に自分で描いた水彩画を額に入れて飾っていた。

 

そんな祖父のスケッチブックが2冊ある。

1998年頃、亡くなった時、娘である母から私に渡されたものだった。

 

縦12センチ、横19センチの小さなものと縦32センチ、横28センチの大判のものがある。

昭和14年から昭和20年代までのスケッチが残されていた

 

スケッチ帳には、大夕張での暮らしの合間に、人物や静物、風景などをスケッチしたものが残っている。

時期的には昭和14年から、昭和20年代が中心で、古いものは昭和9年頃のものがある。

余談だが、そのころ、漫画家の加藤芳郎が大夕張を訪れたという時に記念に描いてもらったという祖父の似顔絵があった。しかし、その絵の行方はわからない。おそらく祖父の形見分けのときに親戚に引き取られていったものと思う。

  

スケッチは、簡単な線で描いたもので、練習の跡と思われるものも多いが、大夕張を直接感じるもの、そうでないものも含めて、大夕張が盛んだった同時代に大夕張に暮らしていたものが描いていた資料ということで掲載していきたい。


 

 

祖父長谷川安造の記憶

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