札幌にあった三菱の宿泊施設 覚え書き
実は、『札幌にあった三菱の宿泊施設』は前回の『その3』で終了の予定だった。
記憶の中にあった、自分が泊まった北1西8の寮と、スキー部が泊まっていた南3西23あたりにあった寮。
この2つは記憶に確かにある。そして、北2東6の三菱鉱業寮にも泊まった人がいる可能性もないわけではないということだった。
その後、三菱の寮について、いくつかの思い出と貴重な情報をいただいたので、覚え書きとして書き残しておきたい。
まず、フェイスブックのコメントにその頃(昭和40年代)三菱の寮について山本さんが次のように書いてくれていた。
(山本栄子さん)
私も高校生の時、北大病院に通うのに、数回お世話になりました。
北一条か、大通りだった様な。
50数年前の事なので、『さんせいりょう』頭に三は付いてたような気がする。
母と一緒だったり、一人での利用時に近辺を歩き、NTTや美術館などを横目で・・。
札幌は大都会
平日なので、私服で行ってたのですが、丸井でマッチ持ってないと男の人に声かけられ、『恐い』と思ったことも。。。
何と答えたか覚えてないくらい。
お上りさんに・・見えたんだろうなあ。
山本さんの思い出は、北1西8の寮、自分が宿泊した場所と同じ場所だろうと思った。
北1条通りに面して、NTT(むかし電電公社)や美術館(中央警察署の隣にあった。今は北菓楼の店舗になっている)が、西5丁目にあった。
自分も寮に行くときは、北1条通りを歩いたり、北大植物園の前や道庁の裏の通りを歩いていった。三菱バスの車庫で降りて、国鉄バスに乗り、『北1西7』のバス停で降りていくこともあった。
いずれにせよ、北一条通りは、よく目にしたことだろう。
同級生の鈴木さんの親戚の方が、『三省寮』に今から60年前、勤めていたという。高齢ではあるが、今も江別の方で元気に暮らしているという。
場所について覚えていないか、聞いてもらったところ、次の様にお返事をいただいた。
『三省寮の場所は、北1西8らしいです。 深宮さんというお店の裏にあったそうです。円山の方の名前は憶えていないみたいですが、主に職員の方が宿泊していたらしいです。』
ここが、『三省寮』と言われた三菱の寮だったらしい。
さて、札幌の三菱の宿泊施設を思い出すきっかけをあたえてくれた Masaaki Saito さんからも、すぐに次の様なメールをいただいた。
(Masaaki Saitoさん)
引率の田中憲夫先生に電話して話を聴きました。
スキー部が最初に泊まったのは街中で、三省寮だったと。
私は泊まってませんが、一期上の方々が最初で、その一年だけで、2年目からはやはり円山に近い所の三菱の宿泊施設だっと。
田中先生も、施設の名前が思い出せないけど、円山寮と言っていた気がすると。
今の、薄野の東急インか、ジャンボ駐車場の辺りにインドアのスケート場があって、試合前日なのに夕食食べてスキーにワックスがけ終わらしてから滑りに行き、宿に帰って来たら田中先生にヤキ入りました。
その抜け出してスケートに行ったのを覚えていて、ヤキ入れたのも覚えていて大笑いでした。
洞爺湖にも有った宿泊施設。 何度か泊まりました。
スキー部は大広間で寝ました。
とても綺麗な宿泊施設でした、勿論温泉だったと。
スキー部の中で、私のあだ名をつけられた場所でした。
名付け主は一年先輩方です。
田中先生も、飯田君の『ふるさと大夕張』を良く見ていたと。 岳楓寮の話をしてました。
北1西8にあったのが『三省寮』、もうひとつの南3西23あたりにあった寮の名前は、はっきりわからないが、円山にある『円山寮』みたいな言い方をしていたということがわかった。
道内や道外にも三菱の寮はあった。
昭和32年(1957年)に洞爺湖温泉町西湖畔の小高い丘に建てられた健保の保養所は、2階建ての183.95坪に及ぶ立派な施設だった。札幌から湖畔を車で進んでいくと右手の少し小高い所にこの建物が見えてくるといった場所にあった。
上のsaitoさんのメールの中にも出てくるが、洞爺湖温泉スキー場で行なわれた大会など、スキー部の遠征でもたびたび使用したらしい。スキー部員の上下数学年が一緒に2階の大広間に泊まり、そこからは洞爺湖が綺麗に見えていたという。
東京の三菱鉱業学生寮に宿泊したという山下 昭次さんの思い出。
札幌ではないが、東京の三菱鉱業学生寮に4年間お世話になりました。
東京世田谷区下北沢にあり、小田急線、井の頭線の駅近で便利で閑静な住宅地でした。
大夕張他北海道、九州の高島、端島他からの寮生が50〜60人いました。
私は閉山前の1972年〜の入寮でしたが、閉山後の何年かは大夕張から新入生も入ってきてました。
金が無くても楽しく忘れられない思い出ばかりです。
数年前に寮があった場所に行ってみたが立派なマンションになっていました。
幼稚園〜高校までが跡形もなく、青春そのものの学生寮も消えてなくなり、寂しさを感じました。
大切な日、人生の節目で利用していた宿泊施設は、忘れ難く、思い出として長く記憶に留めていたのだろう。
建物自体はすでになく、記憶の中にしか、その手がかりを見つけることしかできない。
そうしていまも、多くの人たちの、こころの中に残っているし、そのことに驚かされる。
札幌市内の円山のあたりにあった三菱の寮の場所や名称は、はっきりはしなかったが、たぶん昭和45年頃の住宅地図を調べると、出てくるのだろう。
ネットで調べてみると、札幌市中央図書館の郷土資料のコーナーにあるようで館内閲覧のみ可能となっていた。
昭和46年の札幌、その時は、大夕張から初めて出てきた自分が都会の街でいろいろな面でカルチャーショックを受けていた時期だった。
札幌オリンピックが開かれ、札幌の街も大きく変わっていった。
この雪がとけたらのんびりとそんな思い出の糸をたどりながら、昭和45、6年の札幌の住宅地図を眺めてみたいものだと思う。
三省寮は仲間と雪まつりを見に行った時、就職面接に行った時など
泊まりました 昭和43年頃ですね
当時流行りだした味噌ラーメンで人気の店「熊さん」が近くにあり
美味しくいただいた記憶です