大夕張で見た最後の映画、〘 マタンゴ 〙|高橋正朝 #100
〘 マタンゴ 〙は、私が、鹿島中学校3年生のときに、協和会館で見た映画だ。
私が、大夕張で見た最後の映画だった。
初公開は、1963年8月11日とウイキペディアに出ている。
映画の初公開の日付からすると、大都市のお盆休み期間の興行を目論んだのだろう。
私が、協和会館でこの映画を見たときは、冬休み、たぶん正月だったような気がするが、間違った記憶かもしれない。
テレビが普及するのに反比例して、映画は斜陽産業の入口にさしかかっていた。 そのなかにあって、特撮監督の円谷英二、監督の本多猪四郎のコンビの映画は、結構、ヒットを飛ばしていたのは、皆さんご存知のとおりだ。
そのコンビの映画のなかでは、この〘 マタンゴ 〙は異彩を放っていた。
私が協和会館に行ったときの観客席は、ほぼ満員だった。 だから、この投稿を読んでいる人のなかには、当時、そこで、〘 マタンゴ 〙を見た人も、結構、いるに違いない。
このころから、それまで空想科学小説と言われていたものが、〘 マタンゴ 〙の3年ぐらい前に、早川書房が SF マガジンを発刊し、SF という呼称とジャンルが一般的になった。
編集長の福島正実は、星新一と、〘 マタンゴ 〙の共同原案者になっている。
元々は、イギリスの、ウィリアム・ホープ・ホジスンの原作を翻案脚色したものだ。
原作は、SF マガジンにも載ったものを、後年、東京にきてから読んだ記憶があるが、映画とはかなり違っていたように思う。 脚色されていたとはいえ、映画のほうが断然良かった。
〘 マタンゴ 〙は、石森章太郎が、月刊誌〘 少年 〙で、マンガにしている。
〘 マタンゴ 〙をマンガ化した石森章太郎はすでに世に知られたマンガ家だったが、当時は、人気マンガ家というほどではなかった。 しかし、SF とマッチし、急に存在感が増した。 それまでは、少年マンガよりも、少女マンガのほうに佳作が多かった。
ただ、この、石森章太郎のマンガの〘 マタンゴ 〙は、恐怖感は感じられなかった。 映画は評判が良かったが、マンガのほうは、さほどの評判にはならなかった。
10年ぐらい前、一時帰国したとき、札幌の紀伊國屋書店で〘 マタンゴ 〙の DVD が販売されていたのを見つけ、即購入した。
この映画は、久保明が主役だか、DVD のパッケージは、水野久美が目立つデザインだった。 こういう恐怖映画は、洋の東西を問わず、 美女が登場するのがお決まりのパターンだ。
(2022年7月9日 記)
昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。
いよいよ登場『マタンゴ』
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同じ1963年に公開の『海底軍艦』と並んで思い出に残る。
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マタンゴでは、夜眠れぬ恐怖におびえ、海底軍艦は、宇宙戦艦ヤマトの前の時代の空飛ぶ戦艦のカッコヨサに憧れた。
高橋さんの協和会館の最後の思い出が、私の最初の協和会館の記憶につながっていく。
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この二本の映画は、今も自分のDVDコレクションの一つにおさまっている。