闘犬の記憶
闘犬は、大夕張でも場所を変えて巡業のような形で何ヶ所かで行なわれていたのか、あるいは、毎年、その年によって違う場所で行なわれたのかわからない。
ある時期(昭和30年代中頃)流行り、その後すたれたそうである。
この闘犬が行なわれていた写真の場所、話によると、春日町であれば、弥生町から春日町におりる坂のある崖下のように見える。
会場に子どもから大人まで集まり、女姓の姿もある。にぎわいが伝わってくる。
幟が立ち(相撲の幟と似たもので闘犬名が書かれていたそうだ)、周囲に巡らせた柵の上にかけた板の上で食い入るように見つめる大人達。
想像ではあるが、この席は、賭けた犬の勝負を見つめることのできる大人達の特等席だったのだろう。
下では、中学校の制帽や野球帽をかぶった子どもたちの姿が多い。
見物料を払っての見物だったのだろうか。
・・・・
今は、動物愛護の観点からもあまり聞くことのなくなった闘犬だが、これよりややあとの頃のことになるが、小学校高学年の頃か中学生の頃、周囲で闘犬の話をしていたことを聞いたことがあった。
子ども雑誌にも怖面の立派な横綱の化粧まわしをつけた土佐闘犬の写真が取り上げられていたのを見たことがあった。
けれど、その後興味を引かれることはなくなった。
それは、ある時、同じ雑誌に闘いの後、傷ついて血だらけになった土佐闘犬の姿が掲載され、その写真を見てとても可哀想に思ったからだった。
勝者をたたえたのか、敗者の健闘を伝えたのか・・・・
どういう趣旨で掲載されたものだったのかは、覚えていない。
知ったかぶり 【泊川俊徳】 2007年9月24日
9月24日、大夕張にて鹿島小学校校庭にての雑談から。
昭和37年前後、春日町河川敷にて、当時ケンカ犬と言われた闘犬が流行した時代が有りました。
長い期間では無く「短命の流行」でした。
多分、おおっぴらな賭け。
許可も無いまま行ったのではと思うのですが、闘犬と言うより犬のケンカそのもの。
ルールも訓練も無い感じでした。
闘犬を扱う人も、ズブの素人で、子供ながら見ていて、闘犬なんていうシロモノでは無いように思えました。
闘犬(一口メモ)
一般に 土佐の闘犬
・土佐犬…土佐犬と言いますが、土佐の闘犬
・土佐イヌ
別べつの犬です
【土佐の闘犬】
西洋の大型犬。マスチフ、ボクサー等の犬を掛け合わした大型犬の雑種の事を闘犬と言います。
この闘犬を、一般的に土佐犬、土佐犬などと言ってますが、日本古来の在来犬とは違います。自然界には存在しない、人間に作られた種類。
【土佐犬(トサイヌ)】
日本古来の在来イヌで、紀州イヌ、柴イヌに似たイヌで、鹿等の猟犬として訓練していたようです。
土佐の闘犬とは、全く別な種類。
土佐の闘犬・・・一部 外国では危険な犬として 一般家庭での飼育は禁止している国も有るようです。
日本でも飼い主が闘犬に噛まれて、大怪我した、死亡したという話も聞きます。
以前 四国高知県で観光客相手に闘犬ショーを見た事がありましたが、かなりの老犬で、一分か二分のショーでしたが、「そんな年寄りの闘犬何時まで使う気かょー、引退させて美味いもの食べさせて、休ませろー」と言う感じでした。
24日 ちょっと闘犬の話題が出ましたので 知ったかぶり いたしました 失礼
闘犬の記憶 【片岡正記】(2006年4月18日)
闘犬を鹿島東小学校のグランドでやっていたのを、父親と一緒に見に行ったことを覚えています。
時期的にも昭和35、6年頃だったと思います。
すごく大掛かりなイベントでした。
闘犬 【ziny】(2006年4月16日)
いやぁー、懐かしいですね。
我が家の親戚筋に遊びにいったら優勝した犬の化粧回しの写真なんかありました。
確かに昭和30年中頃、私は便所場球場に行く坂の途中でやっていたのを見た記憶があります。
大久保組の闘犬【池田】(2006年4月16日)
大久保組の初代社長が、引退後飼っていた犬が、全日本の横綱を2年くらい張っていたと思います。
横綱用化粧まわしをつけた、絵で云えば50号くらいの大きな写真を見たことがあります。
今なら動物愛護協会に乗り込まれますね。