三菱大夕張礦業所 楽しき夕べの団欒/出勤風景
昭和15年(1940年)頃発行された絵葉書から。
「和気満山」
あまり聞き慣れない言葉で、『霊気満山』という言葉が昔からあるが、そのもじりだろうか?
和やかな雰囲気が炭鉱全体に及ぶというような意味で付けられただろうことはわかる。
タイトルの下に、「出勤風景」と「楽しき夕べの団欒」の二枚の写真。
「出勤風景」
開坑した頃の栄町の炭鉱住宅は、1棟8戸の木造平屋の長屋だったというが、ここでは、三角の玄関屋根が四つ(四軒分見えている。
ここには写っていながいが、トイレは外便所で、四軒分で一つだった。
働きにでる夫を見送る白い割烹着姿の妻と子どもたち。
それぞれの家庭の玄関前で家族がカメラにおさまる朝の風景。
「楽しき夕べの団欒」
仕事の後は、家に帰って家族との楽しい時間。
以下は、この写真を見て、自分が推量したものだ。
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壁際に並べられたタンスや本棚、屏風などの調度品がきれいに並ぶ。
壁面の中心に掲げられたのは『天皇皇后額縁写真』のようだ。
その隣には朝に夕に仰ぎ見る秀峰夕張岳の写真。
当時の間取りは、襖(ふすま)をはさんで六畳と四畳半だった。写真の写し方か、幾分広く見える。
モデルになっているのは、30代夫婦と一男一女の子ども達、夫の母親の4人家族。
来客を迎えての団欒の図といったところだろうか。
戸主である夫を中心に、接待する妻、孫を相手に果物(リンゴ)の皮むきをしている老母。無心にミカンを食べている子どもたち。
手前の着物を着た女の子は、大正期から昭和の初期にかけて流行したという『文化人形』を抱いている。
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いかにも、モダンで快適、衛生的な家庭環境・住宅環境だったように見えるが、これから6年程後の、昭和21年のメーデー記念臨時大会では、大夕張炭労の要求として賃金などに交じって「住宅衛生に関する件」があり、住宅の徹底的改修や下水道の完備、便所の清掃、浴場の完備などが訴えられていた。
当然、働く人達の生活実感とは、かなり異なって見えただろう。
鉱員募集、炭鉱のPRに、当時考えられていた幸せで和やかな家庭像を見事に演出した写真だ。
この8枚組の絵葉書について↓