白銀橋落橋事故 昭和43年11月
最初にこのページをどこのカテゴリーに入れたらよいのか、迷った。
当時、運転手だった方がお一人亡くなられているから、「思い出の街角」にというのもちょっとどうかなと・・・・。
そこで、『備忘録-あらかると』というエピソード的なところへ収めることにします。
下の資料は、「白銀橋が永久橋に」という白銀橋の架けかえが昭和44年5月中に始まり、年内には完成する予定を伝える昭和44年5月の記事。(昭和45年に完成した。)
落橋した昭和43年は自分は鹿島中学1年で、家で購読していた読売新聞にも記事が大きく出た。
橋桁が斜めに大きく傾きワイヤーから外れた橋が湖面に刺さった状態の写真を、驚きとともに目にしたことを覚えている。
この事故によって、開拓地区の交通は一時途絶し、不便な生活を強いられた。
常盤町から鹿島中学校の裏を通り、白金地区(昭和44年の町名改正により)に抜ける道路建設が突貫工事で進められたという。
『しろがね』(夕張シューパロダムふるさと誌)では、『鹿島白銀橋落橋災害』という言葉が使われる。
鹿島白金地区の住民の生活に対する影響の大きさを物語っている。
この時期、鹿島中学校の校舎横、山側の砂利道路を工事関係のトラックらしき車両が、連日砂埃をけたたて走行していた。
「白銀橋」が永久橋に
年内完成目ざし着工へ
シューパロ湖
(昭和44年5月16日)
昨年11月、通行中の大型クレーン車もろとも湖に落下した夕張市大夕張、シューパロ湖の鉄製つり橋「白銀橋」の落下原因は半年たった今でも依然ナゾのまま。
北大工学部で鑑定を急いでいるが、結論が出るまではまだ時間がかかりそうだ。
一方札幌営林局では、落ちた橋のかけ替え準備を進めていたが、コンクリートの永久橋にかけ替えすることになり、今月中に着工する。
新しい橋は今年中に完成する予定。
「白銀橋」はさる34年、大夕張ダムを建設するさい、奥鹿島開拓地へ通じる木製のつり橋が水没することになったため、道開発局が現物補償として架設したもので、橋の長さは110メートル、幅3.5メートル。
札幌営林局の木材輸送トラックの通行がほとんどで、同営林局がさる38年に全面補強工事をし、従来の重量制限9トンを14トンに直したが、設計上では、56トンの荷重まで耐えられるようになっていた。
毎年、夕張市、同営林局で橋のボルト、ワイヤの点検をしており、原木を満載した大型トラックが連日10台前後通行していたが、異常はなかった。
ところが昨年11月10日未明、通過しようとした北広運輸会社のクレーン車(11.7トン)が、約70メートル進んだところ、鉄骨のきしむ音とともに橋が落ちてしまった。
クレーン車の前には乗用車が渡ったが、この時は異常なかったという。
夕張署の調べでは原因はまったく不明、落ちた時は風速10メートル前後の風が吹いたいたことから、突風にあおられ、揺れているところにクレーン車が通りかかり、急激にワイヤに力が加わり、開拓側のタワーが倒れたらしいという説もあったが、確証は得られない。
同署で調べたところ残った方のタワーが少し曲がっていたことから、クレーン車が接触したのではないかとみて、5ヶ月ぶりに先月、湖底から姿をあらわしたクレーン車を検証したが、車体には傷が全然みられず、落下原因のナゾは深まるばかり。
現在は北大で鑑定を進めているが、結論がでるのはまだ先のようだ。
上の写真は、東側から撮影した写真のようだ。
橋がワイヤーから外れて湖面におちているのがみえるのが、開拓方面と思われる。右手が明石町方面だろう。
落橋した旧白銀橋は、湛水したときに行ったことがありました。
橋の中央に自転車を止めて、湖面を見下ろすと、水の色は緑ががった濁ったグレー。
濁った色のまま。
それはシューパロ川独特の色でしたが、もっと澄んでいたら綺麗なのに・・と思って見ていました。
落橋のニュースは故郷から届いた最初のニュースだったのでよく覚えています。
(故郷から届いたニュースとしては、他にはあの忌まわしいニュースもありました。)
勝手に想像しますに、橋の耐荷重56トンとは、たぶん設計上の静荷重では?
風の影響などは、この時代、設計条件には入っていないはず。
割と新しい室蘭の白鳥大橋だって、風の影響は「過去のデータ」だけで設計している。