弁当箱の蓋に注いで食べた味噌汁
10月も下旬を迎えると気温の寒さに、あたたかいものが恋しくなる。スーパーなどでは店頭で鍋料理の食材などの品揃えが充実している時期でもある。
すっかり寒くなったこの頃、我が家も先日鍋料理をいただいた。
味噌味のスープに野菜を入れた鍋だが、もやしが入っていた。そのもやしを口に入れた時、味噌味のスープとあいまって懐かしい味を思い出した。
前もどこかで話したかも知れないが、大夕張の記憶はほとんど断片的であいまいである。
『霧のかかった夢の中』のようなものが多い。
だから正確かどうかはわからない・・・。
そんな中の記憶に鹿島中学校の給食の思い出があった。
懐かしく思えた味は、鹿島中学校の給食の味である。
当時の鹿島中学校の給食は、記憶によると半分給食で、弁当持参だった。学校で出る給食は、テトラパックに入った牛乳と、汁物が配られた。
汁物は、薄い味のスープや味噌汁が多かったように思う。もちろん味噌は白味噌である。
給食当番が、各自の入れ物に味噌汁を注いでまわった。
自分は、B5版サイズの大きなアルミの弁当箱に母がご飯とおかずを詰めてくれていた。
給食の時間になると、その弁当箱を開け、蓋をひっくり返して待ち、そこに給食当番に味噌汁を注いでもらうのが常だった。
角が多少丸みを帯びていたとはいえ、昔の弁当箱だ。直方体の形をしていた。
蓋の角に口を当て、こぼさないように汁を飲む。そういう食べた方をしたのは今思えば、中々ない経験だった。だから、今も覚えているのかもしれない。
鹿島中学校の給食で出て来たものといえば、その他にもいろいろあっただろう。スープや、わかめと豆腐の入った味噌汁なども定番だったような気もする。
三角錐の形をしていた、テトラパックの牛乳とともに思い出すのは、味噌汁ばかりだ。中でも、もやしの味噌汁は、忘れられない。
Kawauchiさんの『歳の差弁当』の話の中に、「男子が弁当の蓋にお汁を入れて食べていた・・・」と書かれている。
今思えば、たぶん原則は、お椀やカップ持参ということだったのだろう。
女子はもちろん、男子の中にも容器を持参していた人がいたのかもしれない。
しかし長いこと、自分は弁当箱の蓋の裏に汁物を入れた食べた記憶しかなく、それが当たり前だと思っていた。
学校も大らかな時代であった。
小学校の給食については、以前長谷川潤一さんが、『食億』で書いてくれたことで、思い出したことがたくさんあった。
鹿島中学校の給食は、昭和49年からミルク・おかず・パン(米飯)が提供される、所謂『完全給食』が実施された。自分が経験したその形は、『補食給食』とよばれるらしい。
因みに、昭和29年に施行された学校給食法では、次のように規定される。
■完全給食とは、給食内容がパン又は米飯(これらに準ずる小麦粉食品、米加工食品その他の食品を含む。)、ミルク及びおかずである給食をいう。
■補食給食とは、完全給食以外の給食で、給食内容がミルク及びおかず等である給食をいう。
■ミルク給食とは、給食内容がミルクのみである給食をいう。
昭和43年に自分が鹿島中学校に入学した頃、給食が施行され、完全給食が実施される、その過渡期でもあった。
(2023年10月23日 記)