金太郎飴と千歳飴 | 高橋正朝 #186

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 昭和23年生まれの私の年代とその前後は、金太郎飴はわりとよく食べていた飴だった。

 今でも購入できるようだが、その辺の店で見つけるのは難しいようだ。

 

    

 ネットを見ると、購入できる店の紹介があるが、今の時代、わざわざ出かけるよりも、配達費がかかっても、送付してもらうのがベターだと思う人も結構いるだろう。

    

 あとは、偶然、店に陳列してあるのを見つけて、懐かしさで購入する機会があるかもしれない •••••• 。

   

 もっとも、こういうレトロな、駄菓子の類に属するものは、そこら辺の店では売ってないだろう。 ましてや、スーパーやデパートではなおさらだ ••••••。

    

 金太郎飴は、大夕張時代の私には美味く感じられたアメだった。 というか、大夕張を離れてからは食べたことはない。

    

 東京にでてから、七五三の時期になると、千歳飴を見かけるが、パブロフの犬のごとく条件反射的に金太郎飴を思い浮かべる。

 それは、千歳飴の味は、金太郎飴の味と似ているのだろうか?という疑問からだ。

 

   

 マンガには、七五三のことが描かれると、必ずといっていいくらい、女の子2人と男の子1人の計3人が和服を着て微笑んで立ち並び、千歳飴と書かれた細長い袋をぶら下げている。

 季節の風物詩としての写真も然り。 千歳飴なるものを食べたことのない幼児の私は、どんな味がするのだろうかと思っていた。

    

 千歳町や大夕張には神社があったが、明石町にはなかったので、それで、七五三を祝う晴れ着を着た子どもを見ることはなかった。 

 したがって、千歳飴なるものは、明石町の購買会、生協、服部商店で売られていたかどうかは記憶にまったくない。

    

 もっとも、七五三は、お祭り、七夕、お盆、正月に比べると、あまり派手さのない祝いごとだから、注意が不足していたからかもしれない。

    

 そのわりには、金太郎飴と千歳飴の味の違いが気にかかるというのは、単に、食い意地が張っているということになるのかもしれない。 

   

 それならそれで、東京で、七五三の時期に、千歳飴を買って食べて味わえばいいように思うのだが、いまだかって実行していない。

    

 そういうわけで、千歳飴なるものは、どういうものかは不明のままだ。

    

 金太郎飴は、私の年代の大抵の者はかじっていると思う。

    

 かじってもかじっても同じ金太郎の顔が出てくるので、不思議に思っていた。

 

 私が特にボンクラだったわけでもなく、マンガ雑誌に、金太郎飴の製造方法の解説が載っていたのを3〜4回ぐらい目にしている。

   

 ネットをチェックしてみたら、金太郎飴の作り方の解説もあった。 今回のチェックで、金太郎飴というのは、登録商標であることを初めて知った。 

 

 

 (2024年3月2日 記)

 


(筆者略歴)   

 昭和23年11月に明石町生まれ。鹿島東小学校から鹿島中学校に進み、夕張工業高校の1年の3学期に札幌に一家で転住。以後、仕事の関係で海外で長く生活。現在は、タイ、バンコクで暮らす。

メール宛先:taka-jp@outlook.com  (メール宛先変更になりました)

  


   

   

1件のコメント

  • 金太郎飴と千歳飴、大夕張の中で売られていたのかもしれないけれど、実際にはあまり覚えていない。
    食べた記憶もあまり残っていない。どちらかというと、金太郎飴は『どこをきっても「金太郎」の顔が出てくる』ということをネタにした漫画の記憶がそれに刷り込まれている・・・。
    よく見る千歳飴を手にした風景も、大夕張では記憶にない。ないのか、忘れたのか・・・。
     
    金太郎飴も千歳飴も実物に接したのは、自分の子どもが生れて後のことだったような気がする。
     

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