思い出の啓心寮 | みほ
栃木県北部の那須町、黒磯市をおそった集中豪雨から二週間が過ぎましたが、いまだに二名の行方不明者が発見されておりません。
私の住む、真岡市は被害はありませんでしたが、川はかなり増水し天災の恐ろしさを改めて感じさせられました。
那須にはスキーやキャンプなどで毎年行っています。
つい、数週間前にも家族で行って来たばかりでしたので、住民の方達のことが気の毒で、とても心配です。
飯田君(ごめんなさいね。同級生なので「君」で呼ばせて下さい)のお話で『啓心寮』のことが出ていましたが、私達が高校三年生の初夏に、閉山が決定し、親と離れて大夕張に残ることになった高校生のために用意された寄宿舎が、その『啓心寮』だったのです。
夕張東高、夕張南高、夕張工業高の1~3年生、男女約70名が入寮しました。
私は8月から卒業までの7ヶ月位でしたが、「仲間」が沢山居たから、とても楽しい寮生活でした。
唯一嫌なことと言えば、女子トイレが暗い廊下の奥の方にあって、毎晩怖い思いをしながら行ったこと位です。
その当時、舎監として寮生達と共に生活して下さっていたのが、体育の田中憲夫先生でした。
そちら、北海道では有名なお話かも知れませんが、その田中先生の娘さんが、アトランタオリンピックの水泳で大活躍していた『田中雅美』選手だったんですよね。
そのことを、オリンピック直前に知りましたので、関東に居る同級生に電話をかけまくり、応援していました。
次のシドニーオリンピックでも、是非頑張って欲しいです。
そして、ここで初めて知った方達も次は大きな応援をお願いします。
大夕張には誰も居なくなってしまいますが、清水沢駅前商店街には心強い同級生が数人住んでいます。
いつでも会えると思いますので、立ち寄ってみて下さい。
ダムに沈んでしまう前に、私達も家族でもう一度大夕張へ行ってみたいです。
(1998年9月14日 記)